「家族がいる総ての人、そして家族のいた総ての人に観て欲しい映画」家路 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
家族がいる総ての人、そして家族のいた総ての人に観て欲しい映画
自分の生活圏である故郷の家を或る日いきなり、出なければならなくなった人々の哀しみが、観る人の心に多くの問題を問いかける作品だ。
この映画とは直接関係の無い別の事であるが、私は個人的な体験として福島県ではないけれども、東日本大震災発生後に、震災ボランティアに参加した経験がある。
やはりその体験から感じた事は、被害状況が余りにも大きいので、自分達人間の無力さを痛感した。そしてボランティアである自分は、そこで暮らすわけではないので、そこの土地を離れてしまえば、もう自己の日常からその事は切り離されてしまう。
しかし、現場に住む人々には、正にその土地こそが生きる為の自己の生活圏であるので、そこを簡単に離れる事は出来ない。
しかも、原発事故よる放射能漏洩の被爆問題となると、自己の生命の存続にも影響の有る問題へと発展する。
そんな途方も無く大きな問題をこの「家路」と言う映画は、ドキュメンタリー作品では無く敢えて、ドラマとして、現実に仮設住宅に暮す人々起こり得る問題を描き出していく。
この作品の久保田直監督は、今迄は、普段ドキュメンタリー作品ばかりを製作してきた、ドキュメント専門の監督だと言う彼が、ドラマとして本作を描いているからこそ、更に尚此処の土地に暮している人々の苦悩が静かに伝わってくる。
ガランと人気が無くなってしまった、廃墟と化した村。ゴーストタウンの何処にも、人影は見当たらない。
そして、鳥のさえずりだけが人気の無い村に響いている。
松山ケンイチ演じる次郎、そして長男の総一を演じた内野聖陽、母親を演じた田中裕子そして嫁を演じた安藤サクラ、この一家を演じているみんながまるで本当にこの村にいるように感じられる映画であった。
映画を制作し、上映する為にも多くの電気を必要とする。
21世紀の現在の日本に暮している我々にとり、電気を使用する事の無い生活を営んでいく事は不可能な現実がある事も確か。
そして自然エネルギーの活用が何処まで、現実的な需要と供給のバランスを可能に出来るのかも、一般人である素人に判別出来る問題でもない。
出口の無い、迷路にハマってしまった感じの、問題解決迄に、多くの時間を必要とする問題だ。この大きなテーマを静かに、カメラに納めてくれた監督を初めとしスタッフのみなさん、そしてキャストのみなさんの努力に感謝したい。
映画観賞後、改めてこのレビューを書いていてこの様な映画の存在の大切さを痛感している。
震災から丸3年が経過した今、この作品が完成し、公開された事は本当に意義深い。
そして今後20年30年と月日が経過し、震災を知らない人々が増えていく中で、この作品が出来た事の価値とその素晴らしさが証明される事だろう。
一人でも多くの人に観て頂きたい作品です!