「毒親を人間化するということ」リアリティのダンス kkmxさんの映画レビュー(感想・評価)
毒親を人間化するということ
エンドレスポエトリーを観てからすっかりホドロフスキーファンになってしまったので、前日譚である本作を鑑賞。こういうタイミングでホドロフスキー特集を組んでくれるアップリンクには感謝しかありません。
さて、本作は幼年期のアレハンドロの話かと思いきや、父親ハイメがメインの話でした。
ハイメの暴君ぶりはエンドレス〜でも強い印象を与えてきますが、本作はアレハンドロが子どもなので、虐待描写がかなり強烈です。トラウマある人にはキツいかもしれない。また、アレハンドロも子どもだから反抗もできず基本ただ耐えるだけなので、なかなかにシンドいです。前半部はそんな感じの息苦しい父子関係の話なので、正直ちょいと退屈しました。
しかし、ハイメの話になっていく後半からドライブ感が加速し、グイグイと引き込まれました。
暗殺を試みていざイバニェスと直面したときに衝撃を受けるハイメの姿に、こちらも衝撃を受けました。鏡のように、ハイメはイバニェスに自分の姿を見たのです。エンドレス〜を観たときに、「イバニェスとハイメは同じキャストなのでは?」なんてこちらも思っていたので、そうか、意図的に似せていたのかと直観できました。
馬係になり、馬に語りかけることで、ハイメは自らの思いを語れ、はじめて悲しげで人間的な表情を浮かべることができる。そしてついにこの時、虐待の常習者である独裁者ハイメの、そう生きざるを得なかった彼の背景にはじめて思いを馳せられるのです。そしてハイメも、政敵イバニェスが馬と戯れ、喜び悲しむ姿に、同じ人間であることを体験的に理解していく。
ここて、ハッと気付きました。これは、ホドロフスキーが憎き毒親ハイメを人間化しているんだな、と。
ホドロフスキーにとってハイメは加害者。悪魔のような存在だったと思われます。しかし、ハイメも人間。その時はそう生きるしかなかった。
おそらく、これまでホドロフスキーは父親に対して100%の悪のイメージを抱いていたのでは、と想像します。しかし、それではホドロフスキー自身も救われない。本作はサイコマジック、心理療法なのです。父と向かい合い、父を理解する。父は悪魔ではなく、弱い、それでもなんとか必死に生きたひとりの人間なんだ、とホドロフスキーは本作を撮りながら身体で理解していったのでしょう。
無神論者ハイメは聖者ホセと出会い、神の存在を知覚します。これは特定の神の存在ではなく、神的な、個を超えたものへの信仰心の目覚めが描かれているようで、じわりと沁みました。生きるには生かされるという面もあるのだ、と気づけたハイメは、愛する妻子が待つ家に帰り、自分の影と対決し、独裁者のペルソナを見事に焼き捨てたのです。
そして、この作業があったからこそ、エンドレス〜のあのredemptionなエンディングを迎えることができたのだ、と断言できます。
過去を変えることはできる、とホドロフスキーは言います。これは、過去の捉え方を変えると、本当に変わったように実感するのだと思います。捉え方を変えるには、徹底的に向かい合い、理解すること。
現実世界を生きたハイメ・ホドロフスキーがこのように救われたかどうかは窺い知れません。しかし、本作によって、アレハンドロ・ホドロフスキーの中に生きるハイメの魂は解放されたと思います。仮に霊魂があるのであれば、怒りと恨みに縛られてこの世を彷徨っていたハイメの霊は成仏できたと思います。
ちなみに、映画の面白さはエンドレス>リアリティ。
やっぱり、父の話よりも本人の話の方がテンション上がりますからね。
ホドロフスキーのサイコマジック5部作、だいたい3年インターバルで作られているので、最終作のときホドロフスキーは97歳くらい。イケる!新藤兼人は98まで撮っていたぞ!