オンリー・ゴッド : 映画評論・批評
2014年1月14日更新
2014年1月25日より新宿バルト9ほかにてロードショー
賛否の嵐!「ドライヴ」の監督が、神と対峙する男の葛藤を描いた怪作
奇才ニコラス・ウィンディング・レフンの映画はどこか爬虫類の生態を彷彿させる。表皮には艶やかな色彩と模様が彩られ、その動きは常軌を逸したスローモーション。かと思えば、瞬時に獲物へ飛びかかり毒牙を突き立てる――。「ドライヴ」から2年、本作はレフンの“真の顔”が表出した怪作となった。
舞台はタイ・バンコク。ライアン・ゴズリング演じる主人公はある日、ボクシングクラブを共同経営する兄が惨殺されたことを知る。彼は仇を打とうと動き出すが、事件の背後には現地の住人を畏れさせる元警官の姿があった。
さぞ壮絶な復讐劇が始まるかと思えば、むしろ描かれるのは容赦なき“返り討ち”である。この元警官ときたら、己こそがあらゆる価値概念の審判者。いざ相手を悪と見定めると、背中から刀を抜きスパン!と一刀両断してしまう。まさに怒れる神のごとき存在だ。ゴズリングが拳を構えてみても、ここでは一介の人間などあまりに無力。いつしか彼の胸中には畏れが席巻し、神の前でただひれ伏すしか術がなくなってしまう。
なるほど神との対峙というテーマをレフンが描けば、かくも暴力性と屍、それに赤と青のネオンが深層心理に焦げ目を遺す、ビザールな映像世界が広がっていくのだ。と同時に、この情景はレフンの映画作りにも通底しているように思える。映画の神に頭を垂れつつ、一方では神に対して果敢に抗おうとする。そうやって打ち破られた創造性の限界こそが、彼に類い稀なる才気をもたらす。
賛否の渦巻く本作だ。私が海外で観た時は、途中退場する人、「オー・マイ・ゴッド!」と絶叫する人、上映後に疑問や感想をぶつけあう人が入り乱れ、劇場は揺れた。とはいえ神に挑む男にとってもはや怖いものなど存在しない。千差万別のリアクション一つ一つをレフンはきっと嬉々として受け止めているに違いない。
(牛津厚信)