親密さのレビュー・感想・評価
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演じているのか、本音をさらけ出しているのか
4時間の長編だが、前半はとある演劇制作の過程を追いかけたドラマで、後半はその演劇をまるごと見せるという構成になっている。前半で、プライベートをさらしていて役者たちが、後半では役者として役を生きている。役者たちの人生の在り方を前半で見せられた観客は、後半の舞台劇で、素直に役を演じる俳優たちを「キャラクター」とは見なせなくなる。役者本人たちがダブって見えるようになる。このセリフは台本のセリフを読んでいるのか、それとも演じている本人の言葉なのか、その言動は役者本人のパーソナリティを反映したものなのか、それとも台本にあることを演じているだけなのか、わからなくなる。
主人公の男性を演じているのが、台本を書いた張本人だというのも上手い。自分で演じることをしぶっていたが、とある事情で演じざるを得なかった彼のぐだぐだを前半で見ている分、彼本人の特性と役柄の区別がつきにくい。劇終了後の電車のシーンはすごい。劇よりも劇的な現実(という虚構)。
この構成力は、凄いとしか言いようがない。
濱口監督作品は、昨年観た「ハッピーアワー」以来。
こちらの作品の方が古いのですね。
「ハッピーアワー」は長いけど全く飽きさせない
作品でしたが、本作も同様でした。
いや、こちらの方が古いわけですから、そりゃぁ
そーか!って感じですよね(笑)
人間の心情の移ろいを本当に本当に丁寧に
描く監督だなぁと感心です。それも冗長化することなく。
この作品の登場人物が実在してて、その人から
思い出話でも聞いて作ったんですか?と言いたくなる
脚本。まぁ微妙な感じをよく拾えるよなぁと。
本作のすごいところは第二部は演劇丸々ってとこ。
一部はその制作過程なわけですが、劇中劇という
範疇ではないというところが恐ろしいです。
制作過程で見え隠れする人間関係、演じる人物に
よって見え隠れする感情、演じる人間の気持ちの上で
描く感情、そして劇中劇の内容・・・このリンクっぷりが
すごいです。
一体、何で人間を描こうとしているんだ?おい?と
突っ込みたくなるほどに見事です。
劇中劇がリアル世界の人間関係のメタになっている
ような錯覚にも陥りますしね。
あーだこーだと描きたいのですが、観賞後1ヶ月
経過しても頭の中が整理できないという・・・(笑)
また見直したくなる作品でした。
観て損はないです。 秀作です。
言葉が刺さりまくる作品
ひとつの演劇作品を創り上げるところから実際の舞台公演までを、4時間半という壮大な時間で描いた作品。
冗長に感じるかと思ったが、特に公演パートは普通に演劇作品の記録映像として楽しめた。(その後、演劇を映像で観るのもわるくないと感じて、最近増えてきている配信を探して観てしまったぐらい)
全体を通して役者の芝居からカメラワークまでリアルを追求した演出になっている。
その分敢えてなのか製作パートではセリフが聞きづらい部分が多々あり少しストレスに感じた。
全編を通して、とにかく言葉が染み渡る。
特に印象に残った、朝焼けのなか歩きながら話した「言葉は想像力を運ぶ電車」の詩を書き残しておきたいと思う。
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言葉は日本中どこまでも想像力を運ぶ。
私たちという路線図。
一個の私は想像力が乗り降りする一つ一つの駅みたいなもの。
どんな小さな駅にも止まる各停みたいな駅もあれば、
仕事をしやすくしてくれる急行みたいな言葉もある。
分かる人にしか分からない快速みたいな言葉もあって、
一番言葉の集まる駅にしか止まらない新幹線みたいな言葉もある。
地下の暗闇を走る言葉もある。
地下から地下へ受け渡される邪な想像力たち。
でも時より地下から地上に顔を出してビルの谷間を潜るとき、
冬の太陽が無理矢理縦縞に変えようとするから想像力は眉を顰めたりします。
時々届くのが早いほど言葉は便利な大事なものにも思えます。
だけど本当に大事なのは、想像力が降りるべき駅で降りること、
次に乗り込むべき駅で乗ること、ただそれだけです。
だからダイヤグラムの都合から、ぎゅぎゅう詰めの急行とスッカスカの各停が同じ時刻に出発して、
ほんの一瞬同じ速さで走る時、急行のなかの想像力が羨ましげに各停を眺めることもあるのです。
2012年には東京メトロ副都心線と東急東横線が繋がるみたいに、
今まで繋がれなかったあれもこれも繋がるんだろうか。
そんなことを想像しています。
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※Thanks Theaterで鑑賞
言葉。電車。感情。
秩序立ったレビューはとても書けそうにない。恐ろしいほど言葉に詰められ、言葉に揺らされ、そして電車に揺られ続ける。ただひたすらに全てに問い詰められる255分。という感じだった。
最後の最後に至るまで画面にも台詞にも一切の弛緩がない。私たちの生きるこの現代とはほんの少し異なった世界線を、しかしそれを中心に据えることはなく、ただただその存在だけを放って物語は進む。
断絶の後に上演される舞台劇「親密さ」を超えて、あのラスト。断絶前の夜明けの対話。長い物語を観たというだけではない、とてつもない疲労を感じる。それはつまらないとか面白くないの疲労ではなくて、観る者に対してひたすらに詰めてくる、それに対抗するための疲労感だ。
それにしても多分濱口監督は電車の使い方日本一上手いと思う。すごく適当に言った。まあ電車の使い方だけではない。全ての使い方が不器用に見せかけた巧みさに満ちている。観てるこっちがいつか追いつけなくなったらどうしよう、とふと思った。いや置いていかれる作品を作って欲しいという気持ちもあるのだけれど。
乗客を適切な駅に降ろせているだろうか。
演者の誰もが鮮烈な中、劇作家を演じる佐藤亮の声が染み渡る。発せられる言葉もまた、この声にどこまでも的確なのが良い。第一部終わり間際の長回しは真に驚愕で、歩く平野鈴と佐藤亮/側で流れるライトを灯した車/やがて明けゆく空、そして包み込む二人の会話と、未体験で、それでいてあまりに映画であるとしか形容しようのない。
映画の最後を彩るごく短い挿話は、第一部で繰り返された詩に相応しい内容で、反復された動きに胸が締め付けられる。
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