劇場公開日 2013年11月23日

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ジ、エクストリーム、スキヤキ : インタビュー

2013年11月21日更新
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井浦新&窪塚洋介、11年の時を経て「芝居を通じて」伝え合ったメッセージ

俳優の井浦新と窪塚洋介が「ジ、エクストリーム、スキヤキ」に出演し、「ピンポン」(2002)以来、実に11年ぶりの共演を果たした。劇団・五反田団を主宰し、ジャンルの壁を軽々と飛び越えるクリエイター・前田司郎が、自らの同名小説の映画化で映画監督デビューを果たす場に立ち会うという僥倖(ぎょうこう)を得たふたり。銀幕の世界で“再会”を果たした井浦と窪塚が、作品の世界観そのままにリラックスした面持ちで語り始めた。(取材・文/編集部、写真/江藤海彦)

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「生きてるものはいないのか」(石井岳龍監督)や「横道世之介」(沖田修一監督)などで原作や脚本という形で映画とかかわってきた前田監督だが、今作は監督・脚本を兼ねるため、これまでとは位置づけが変わってくる。演劇や小説の世界から、映画という空間的な広がりのある世界を手に入れたことにより、どのような脚本が構築されていったのかに興味が集まるのは必然といえる。

井浦「前田監督とふたりで会い、お話する機会があったのですが、それを経て脚本を読んだときに『あの人そのまんまじゃん!』と思いました。読み応えがありすぎるほど文字だらけ。『何だこれは!』みたいな。次のページへ進むペースがすごく遅かったです」
 窪塚「しかも、『これ誤植?』みたいなのが多かった。セリフが『。』から始まっていたりして。そんなの見たことないから(笑)。誤植だと思っていたら、『狙いなんですよ』って。脚本そのものは『ああ、すごいあの人の空気感だなあ』と思った」

今作の主人公は、洞口(井浦)と学生時代の友人で絶縁状態だった大川(窪塚)。自殺に失敗した洞口は、15年ぶりに大川のもとを訪れ、大川の同棲相手・楓(倉科カナ)、洞口の元恋人・京子(市川実日子)を強引に巻き込み、スキヤキ鍋とブーメランを手に1日だけの特別(エクストリーム)な旅へと出発する。脱力系に見せながら、人間同士のわかり合えなさ、わかり合いたさのせめぎ合いを鋭く、軽妙に描いた意欲作だ。

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映画の現場としては珍しく、クランクイン前に2週間の稽古期間があったという。井浦は、「すごく前田組らしいなと思いました。現場で『はじめまして』から生まれていくものも尊いけれど、この作品はイン前に役者も技術チームもみんなが、前田司郎という共通認識を共有して作っていった方がずっと良くなると稽古をしながら確信が持てました」と語る。さらに、「緻密なことをやっているのに、その匂いを感じさせないよう、いかに力を抜いて演じるか。それは本番での作業ですから、そこに至るまでの“詰め”の作業は一番難しくて、一番楽しかった。稽古がないと怖いと思った映画の現場は初めてでした。それくらい監督の頭の中は緻密で、繊細で、乱暴。それを自分の血肉にしていくには、現場でのライブ感だけではいけないんだと思います」と掘り下げて説明した。

演劇にしろ、小説にしろ、前田監督の真骨頂はセリフだ。今作でもいかんなく発揮されており、前述の通り脚本は文字だらけ。要は、取り留めのない軽妙な会話にアドリブはなく、演者はすべて前田監督が執筆した脚本を忠実になぞって演じていったことになる。窪塚の言葉が、それを裏付ける。

「監督は肝心なことを言わないんですよ。肝になる設定を言わない。それは汲んでくれってことなんでしょうけれど。優しい雰囲気の映画ですが、設定とかすごく荒い。勝手に感じて、勝手に想像してごらん? みたいな。前田監督からの挑戦状ですよね。僕らも何も教えてもらえませんでしたから。イン初日に『この作品は何の意味も何のメッセージもないから、掘り下げるようなことはしないでくれ』って言うんです。なんだって? と思いましたよ(笑)。でもね、それにみんなやられてしまって、現場がひとつになった。大黒柱みたいな監督ではなく、空気みたいな監督で、常にそこにいるっていう感じでしたね」。

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互いの話に聞き入りながら相づちを打つふたりからは、11年ぶりに共演を果たしたという気負いは感じられない。というのも、11年間まったく会っていなかったわけではなく、交流は続いていた。そしてまた、共演シーンこそなかったものの阪本順治監督作「行きずりの街」で“ニアミス”の状態があったため、再会の瞬間を自然体で迎えることができた。ふたりにとって、これまで互いの存在をどのようにとらえてきたのか、今回の共演で新たな魅力を得る機会があったのか聞いてみた。

井浦「細かい部分でいえばもちろんありますけれど、それよりも僕は、やっぱりびりびりするし、だからこそ面白くて信頼できると確認することができました。『ピンポン』のときは役が役だったし、そういうところまでは感じなかったけれど、芝居の部分と洋介君の活動すべてがやっぱり面白い。撮影中に言葉にする必要はありませんでしたが、『そっちもいろいろあっただろうけれど、こっちも楽しくやってきたよ』というのを、いかに言葉にせず芝居で伝えられたら面白いなと思っていました」
 窪塚「新君のもともと持っている資質みたいなものをすごく感じていて、静かだけどメラメラ。自分の道を歩いていくということに、そのメラメラな炎を使っている人。芯がぶれようがないんですよ。僕のなかでも、サイズが違うかもしれないし、種類が違うかもしれないけれど、そういう感覚ってある」

また窪塚は、「“変わらないこと”。これは武器なんですが、それが邪魔になるときもあるんです。ふたりともガッと熱してしまうタイプだから。今回の役を演じるには、ふたりとも熱いんですよね」と明かす。そのうえで、「自分がそういう人間であると分かっていれば、この温度を下げていく作業、抜いていく作業に取り掛かる必要がある。監督が言ったように掘り下げない、流されていく感じですね。目が覚めて、二度寝しようかどうか悩んでいるくらいの自分を押し出していった」という。その最たる例として、「衣裳を着たまま帰っちゃったんですよ。家で飯食っている最中に『あれ、これ俺の服じゃない! なんだこのジーパン!』って気づいて、そうしたら全部衣裳だった(笑)。スタッフも気づかないんだから。それくらいみんなに浸透していた空気感。かゆいところに手が届かない、そのままでいることを楽しんでもらう作品なんです」と爆笑秘話を語った。

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会話の流れで“掘り下げる”質問はしたくなかったのだが、メラメラとした炎、温度を下げる作業について改めて聞いてみた。井浦は、「熱の色を変える作業になります。赤いメラメラとした炎は、ふたりともうわっとやれば出来てしまったり、互いにそういう作品を多くやってきた。でも、いかに力を抜くことに炎を使うか。色が違うんです」と説明。さらに、「面白くやろうとすると前田さんは無言になって怒っている。こっちが一生懸命やっている姿を見るとゲラゲラ笑う。一生懸命やるという方向はあってもいいんだと思います。それが面白く見えて、監督が書いたグルーブ感とは違うかもしれないけれど、『これが洞口』みたいなところへいけばいいのかなと。稽古のときに、僕のダメさ、下手さを笑ってくれて、それがヒントになりました」と振り返る。

窪塚も、「突っ込みゼリフがあって、それが落ちるとするじゃないですか。突っ込み加減が強まるとコントみたいになって、鬼の前田が出てくる。かといって、ぬるすぎると突っ込みにならないから落ちない。その間のすごい天文学的なところを狙っていたのが稽古だったと思う」と同調する。そして、「セリフをちょっとかんじゃったら、『あそこのかんだところが良かった』って。いや、ただかんじゃっただけなんだけど(笑)。要は、細かいところは関係ないんですよね。不安だったけど、台本を読んだときにゲラゲラ笑った自分の感覚を信じようと。それは、監督を信じることになるから。監督がOKというのならOKなんです」と笑みを浮かべた。

ふたりの表情からは、戸惑いながらも充実した現場だったことが伝わってくるとともに、完成した本編に確かな手応えを感じていることがうかがえる。そして映像をひと目見れば、前田司郎という才能のもとへ呼び寄せられた2人が「11年ぶりの共演」というトピックを忘却の彼方へと追いやり、撮影を必死に楽しんだ軌跡をたどることができる。

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