「愛は未知数のシグナル」インターステラー REXさんの映画レビュー(感想・評価)
愛は未知数のシグナル
人間=肉体という器が朽ちるまでの時間 と、深淵膨大な宇宙空間を移動する時間 との闘い。ブラックホールやワームホールを極限まで可視化した未来の映像。空間のマジックによってすれちがう親子、それぞれの戦い。
様々な見所にあふれたこの作品を、「物理学上の理論で最高に面白い」とも「未知に挑む人間の勇気を描く史上の傑作」とも 「再会を諦めなかった親子の愛情」とも、はたまた「地球がだめなら他の惑星、 というアメリカのパイオニア精神についてはいけない」 など批判的な意見も、人の観点によって様々あるだろう。
だけど私は、アメリアが言った「愛は科学的に未知の力」という台詞が忘れられない。 劇中のクーパーには一笑に付されてしまったが、実はこれが一番のキーポイントだと思った。
愛というとただの心情を表す概念や言葉だと捉えてしまうが、人が強い衝動で何かエネルギーを発し、空間に介在する物質を突き動かし、光と同じくらいの速さで信号を送れるとしたらどうだろう。または、知らず知らずのうちに潜在的にそういうエネルギーが備わっているとしたら?
「未知の力を解明するのが科学」と子ども時代のマーフが言っていたように、人間がまだ解明していない力というのは 「想いが重力を伴い相手に届けられること」なのかもしれない。 その力を解明できれば、想い=脳というのは人そのものだから、まさに「宇宙 (空間)を愛(という信号)で満たす」 ことができると解釈できる。 それは「どこにでもいてどこ(一点)にもとどまらない」存在になるということではないだろうか。
劇中、キリスト教聖書を引用したような言葉が随所に出るが、もしかしたら昔「神」と言われた人間たちは、そういった力を理論ではなく 「ある」と感じ宇宙の根源を理解していた人たちなのではないだろうか。
人類はブラックホールもワームホールも理論物理学上は解明しつつある。 遠い星空の果て、誰かが目覚めさせてくれるのを待ちながら眠りにつくアメリアと、助けに行くクーパーのように、新世界のアダムとイブを夢見るのもいい。
だが、五次元や未知の星の圧倒的空間に気圧されながらも、生命の力を再認識する自分がいた。 渡り鳥の渡りのメカニズム、虫の羽ばたき、そういった生命そのものの力はまだまだ未知数なのだから。
地球を捨てるにはまだ早い。 監督にはそういう意図はないかもしれないが、計らずとも私は地球への愛着を強くした映画であった。