「宇宙冒険物語 (&宗教劇)」インターステラー ko_itiさんの映画レビュー(感想・評価)
宇宙冒険物語 (&宗教劇)
一見ハードSFのつくりだが、本質は古式ゆかりな宇宙冒険談。
先に気がついたことを書いて、後に感想を述べる。
○ ブラックホールについて
昔、英国の物理学者の故フレッド・ホイルは「ブラックホールの中心にはホワイトホールがあるのではないか」と提唱していた。ホワイトホールからの物質の急速な放出がブラックホール(の元の星)の崩壊速度を後押ししているのではないのか?そうでなければ強烈な重力であるブラックホールなど存在するわけがない(提唱した当時はブラックホールはまだ理論上の存在だった)いっていたのを思い出した。今作では特異点=ワームホールだが理は通っていると感じた。
○ クライマックスについて
字幕では五次元といってはいたが、これはおそらく余剰次元のことだろう。そうでなければ画がおかしいことになるからだ。そして、それを踏まえなければ下手をすると漫画チックと解釈されかねない、あの時計のシーンは、量子的存在になったクーパーがモールス信号を送る“あれ”は余剰次元を動かした事だろう。
個人的にはそんなに難解な映画とは感じなかった。落とし所はアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』と同じだからだ。
それよりも驚いたのはいつもは暗かったり疑問符的な落ちをとるノーラン作品としては今回はハッピーエンドだったことだ。
[追記]
クライマックスのトンデモ展開やご都合主義などの批判があるが、これが主題なのではないかと二回目で観て気がついた。流れでいうと。
クーパー事故る。→ ワームホール誕生。→ 娘の部屋の異変を調べていたら昔の仲間と再会。→ 娘と出来そうにもない約束をして宇宙へGO!→ 巨大ブラックホール付近の星であれやこれやあってブラックホールの中心(特異点)に到達→ トンデモ展開→元(?)に戻って娘と和解。→ また宇宙へと旅立つ。
上記の流れと作中で言われた「起きるべきことは起きる」や「大人しく夜を迎えるな……」の言葉を踏まえるとクーパーは“選ばれた”としかいえない結果となる。つまり、これは旧約聖書でのノアの箱舟やソドムとゴモラと同じつくりで、神(五次元人)に選ばれたクーパーが数々の困難を乗り越えて神の“恩寵”を得る。という内容を宗教の言葉やイベントを使わずに描いた映画であるということだ。そういう視点からすれば『2001年』的だとはいえる。