「見終わったあと、穏やかな地球と帰れる場所があることに安堵する。」インターステラー すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
見終わったあと、穏やかな地球と帰れる場所があることに安堵する。
〇作品全体
本作を見るのは二度目で、時間軸の流れや登場人物の動きを更に理解する面白みがあったけど、やはり一番の魅力は「安息の地がなく、帰れる保証がないという恐怖」だ。
序盤の地球上でのシーンでは吹き荒れる砂嵐によって、地球が居住不可能な惑星となっていく。ただ、急に終末が訪れるのではなく、人々は「まだどうにかなる」と思っていて、いつか全てが解決する日を願いながら、橋渡し役として過ごしている。その人々の甘い認識がリアリティに溢れていて、まず印象的だった。
主人公・クーパーがNASAから娘たちの代が最期の代になるかもしれないと聞かされるとともに、地球上の異常気象は単なる異常気象ではなく、居住不可能な惑星へと様変わりする過程であることがわかる。そしてこの後訪れる大津波の星や氷の星が、「砂嵐の星」となる地球の末路を示唆していて、物語からも映像からも「安息地のない恐怖」を煽ってくる。
一方で新世界を模索する先行き不透明感が「帰れる保証がない恐怖」を注ぐ。一息入れようものなら人類の未来を閉ざしてしまうような状況で、行くも地獄、戻るも地獄の表現に、ただただ息を呑んだ。
宇宙ステーションが破壊されてしまったあとは一時的な安息地すらなくなり、クーパーはブラックホール内にある特異点の可能性に地球上の人々の生死を賭けるしかなくなってしまう。ただ独りで進んでいくしない孤独に加え、宇宙に放り出されたあとの静寂が、画面を完全に「安息地のない恐怖」で覆う。音のない暗闇の恐怖を久々に体感させられた。
クーパーが次世代の人類に助けられ、未来の道筋を作ってコロニーに帰ってきたときには、地面があり、穏やかな風が吹く世界があることに、見ているこちらも安堵した。
人類を脅かす砂が、ラストシーンでは希望の大地として存在している。マーフの部屋に現れる「幽霊」のように、恐怖の対象であるはずが希望の象徴として再び登場する構成も見事だった。
劇場を出た後、穏やかな地球と帰れる場所があることを新鮮に感じた。そんな当然のことを新鮮に思えるくらい没入できる魅力が、本作にはあった。
〇カメラワークとか
・地上と宇宙でアスペクト比を変える演出が良い。地上の閉塞感と宇宙の広大であることの恐怖感を感じた。
・静寂の使い方が良い。一息付くとかそう言う静寂でなく「なにもない」緊張感。ここぞというところで使われいて、そのタイミングも絶妙だった。
・五次元の世界の表現が良かった。映像演出が、というか「クーパーが分かるように次世代の人類が構築した世界」とすることで、今の人類が認識できる映像が説得力あるように感じる、というか。例えば『2001年宇宙の旅』だと山の峰という既存のものの色や影を変えて異次元を作ってたりするんだけど、元のモチーフが連想されてしまうだけで、異次元世界の説得力って薄れてしまう気がする。本作は画面に映るものが大前提として「クーパーが理解できる空間」としているのが巧いな、と思った。
〇その他
・終盤でマーフが兄・トムの畑を焼いて時間稼ぎをしたり、トムが家族を医者に見せないシーンはトムを悪役にする必要があるか?と思ったけど、トムはクーパーという未来への可能性を諦めた人類の象徴だったんだと理解した。トムはクーパーへのビデオメッセージでも「クーパーを諦めること」を伝えていたし、砂嵐によって収穫できない作物が減っていくことを理解していながらその場に留まり続けている。地球という慣れた居住の地に固執し、治療したところで生い先が短いことを悟った老人のような思考がトムの行動とリンクする。
マーフが畑を焼いたのは物語上の時間稼ぎでもあるけど、疫病に冒されつつある畑にしがみつくトム(=地球上の人類)の思考に変革を与えるアクションでもあったと感じた。
でも、マーフと抱き合うトムの虚無感溢れる表情は「解放」というより「失意」だったから、なんか理不尽に可哀想な感じになっちゃってたのは否定できない。
・TARSたちロボットのデザインはホント素晴らしい。長方形が3つくっついてるだけでなぜあんなにも魅力的なのか。ボタンを押す時に小さく伸びてくる棒状の手がかわいい。
・マット・デイモン演じるマン博士が人間味溢れてて好きな登場人物だ。クーパーによって起こされた時、どれほど嬉しかっただろうか、と思うと生に固執するマン博士を非難できない。
・IMAXで見たけど、ほんと凄かった。音と映像美ももちろん素晴らしかったけど、たまに訪れる真っ暗と静寂の恐怖もまた素晴らしかった。