「武士ならば弱いものを守りなさい」蜩ノ記 ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)
武士ならば弱いものを守りなさい
佇まいの良い作品だなぁ~。監督は小泉堯史氏である。
この人は山本周五郎原作、黒澤明監督の遺稿「雨あがる」を監督した。
僕は原作を読み終えた後、しばらく涙が止まらなかった。
ありふれた「市井の人たち」を映画作品として撮る。
しかし、ありふれたひとたちであっても、人の事を思いやる、弱い人の心に寄り添う。そんな生き方が出来る人は映画を撮る価値がある。
本作を観終わった後、小泉監督が表現したかった事が、自分の腹の奥底の方に、ストンと落ちてゆく。
後味が清々しく、美しい作品である。
どこかの国のエラい人が「美しいニッポン」と言った。
「ゲンパツ」とかいう「ホーシャノー」を垂れ流す「巨大湯沸かし器」は
「コントロールできています」と言いきった。
こういう人たちはきっと、「人の事を思いやる、弱い人の心に寄り添う」よりも「自分の出世を思いやる、そのためには、より強い人に寄り添う」のだろう。
そういう人たちに、この作品を見せてあげたいと思う。
まともな人間なら、きっと自分の生き様に「恥」を感じるだろう。
この映画の主人公のように三年先と言わず、今すぐ
「腹を召されよ!!!」
と厳に申し上げたい。
本作の主人公、戸田秋谷(とだしゅうこく・役所広司)は不祥事を起こし、三年後に切腹する運命を受け入れている。
今は自宅蟄居の身だ。その見張り役として、藩から命を受けたのが岡田准一演じる、壇野庄三郎である。壇野は、戸田の逃亡など、不審な行動がないかを常に監視する。しかし、壇野がそこで見たのは、同じ武士として、戸田が極めて尊敬すべき人物であったことだ。
彼は一つの疑問を抱くのである。
本当にこの戸田が「藩主の側室と一夜を共にした」という、驚嘆すべき大罪を犯した人物なのか?
やがて壇野庄三郎は、藩の根幹を揺るがすような事実を知るのだが………
この作品で特筆すべきは、何よりも美しい絵心だ。端正でしっとりとしている。しかし、決して浮つかず、がっしりとした「絵」をスクリーン上に投影させている。小泉監督は、黒澤明監督によって鍛え上げられた、いわゆる「黒澤組」出身である。本作の絵の美しさは、その黒澤作品を上回るのではないか? とさえ思えるほどだ。
かつて黒澤監督は映画の事を「シャシン」と呼んだ。
映像を、キャメラのレンズを通してフィルムに焼き付けること。その、なんとも手作業の感覚が、大切に大切に、小泉監督に受け継がれている感じがする。
スクリーンに映る、日本の風景。日本の家並み。そしてなにより、質素ではあるが、毎日の暮らしを丁寧に、丁寧に生きていた、江戸時代の「ニッポン人」そして「武士」の姿が印象的だ。
私は決して武士の生き方や、所作を美化しようとか、誉め称えようなどとは、これっぽっちも思わない。
「仏作って魂入れず」と言うたとえがある。
いくら武士として武術が優れようが、その所作が寸分なく完璧であろうが、関係ない。
自分より身分の低いもの、立場的に弱い者。そういった人たちに罪を被せたり、辛い暮らしを負担させたりする者は、すでに武士のココロを失っている。
「美しいニッポン」とか言っているエラい人や、どこかの大都会に「世界の運動会」を呼んだぞ!!と浮かれている人々よ。
武士ならば「弱いものを守ってこそ武士」である事をお忘れなく。