ラッシュ プライドと友情のレビュー・感想・評価
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日本語吹き替え版で鑑賞
今回、何の予備知識もなく、時間の都合で日本語吹き替え版を鑑賞しました。
近年の吹き替え版のクォリティは、字幕を読む煩わしさから開放される分、映画に集中できることと、微妙なニュアンスも含む演技を楽しむ事も可能なくらいに、高まっていると思うのですが、今作は映画のロールが始まる直前に「kinkikids」の歌についてのテロップが入ります。
その瞬間に、配給会社の観客への配慮と、芸能事務所の力関係、そして主役級の吹き替えをおそらく堂本剛、堂本光一が演じているのだろうとの予感が走り、見事的中するのですが、まあ、内容は満足できる出来でした。
ただ、そんな余計な要素が嫌いな人は、日本語吹き替え版を避けたほうが良いでしょう。
F1レーサー、ラウダとハントの決着!! 奇跡の生還は不死鳥の如く!
1970年代のフォーミュラーレース
百戦錬磨だったハントにライバルが出現した!
ラウダとハントは異なる性格や特徴を
持ちながら、好敵手!良きライバルになった
熱いレースを見ることができました。
理論的なラウダと波乱万丈の人生を送っていたハントの2人の篤い友情がありました。
1976年のドイツのレースで、コーナーでクラッシュ、マシンが炎上!
ラウダが大火傷を負った事故は、復活できない、レーサーの人生の道も危ぶまれると思いました。
自分の人生を終わらせても勝ちたい相手
自分が嫉妬した相手と燃える2人の闘争心が
感じられました。
2人の決着、1976年の富士スピードハイウェイは、悪天候の死闘のレースだったと思いました。
2人の友情が生まれた、自分を奮い立たせる
人間ドラマが見られたストーリーでした。
過去のカーレース映画から抜け切ることは出来なかったか…
青少年雑誌「ボーイスライフ」の影響も
あって、F1やインディ500、またルマン24H、
そして日本グランプリ等の情報に頻繁に
接していた若い頃を思い出す。
従って、私がカーレースに
夢中になったのは、
この映画の二人よりも前の時代の話で、
F1では空飛ぶスコットランド人と言われた
ジム・クラークや、
他にもジャッキー・スチュアートや
グラハム・ヒルらが活躍していた。
また、アイルトン・セナは
この映画の2人よりもまだまだ後の時代の
伝説のカーレーサーだ。
人の生き様の評価は難しい。
ラウダのようにひとつひとつの慎重な検証の
上に確実に人生を積み重ねるか、
ハントのように一気呵成に
人生に花咲かせるか、
人によって価値の見出し方は
異なるのだろう。
私は多分に前者のタイプと思うので、
ラウダが日本グランプリでの疾走を
取り止める判断のシーンには
ジーンと来るものがあった。
それだけにドイツGPで疾走したことによる
事故は
彼の一生の後悔でもあったろうと思う。
レースシーンそのものに力点が置かれている
作品ではないのだろうが、
少し前に、かつてのカーレース映画として
名高い「グラン・プリ」や「栄光のル・マン」と
比較して、
最後の雨中の日本GPのシーンは
見事だったものの、
レーシングカーの疾走そのものの迫力は、
これら2作品に及ばなかった印象だし、
特に「グラン・プリ」では
カーレーサーの生き様や結婚観について、
ヒューマンドラマとしての
似たテーマがあったので、
この作品には、今一つ過去のカーレース映画
から抜け切ることが出来なかった
印象はあった。
毎年F1日本GPに行き、たまに海外観戦もしてますが...
初めて観ました。ニキ・ラウダ、カッコイイ‼︎
日本人に例えると、王監督と長嶋監督のようなかんじですか⁉︎(ちがってたら、スミマセン。)
今年もそろそろF1開幕しますね。テンション上がってきました!
実話
事故の場面がすごかった
本当のレースも事故ったらこんな大変なことになってしまうんだろうなぁ
ニキ・ラウダがかわいそうだった。
雨の日にハントがあんなことを言わなければあんな事故は起きなかったのに…
二人の熱い友情が伝わってきた。
娯楽作ではありません
F1題材なのに妙に暗いです。さすがのハワード君なので映像感覚は秀でていますが、本来下積み時代から仲のよかった二人をいがみ合いの仲に改変してしまったため、二人ともいけ好かない自己中男であるだけで、人間ドラマとしての深みがありません。感動より嫌悪を感じる作品でした。
コクピットにいるかのような疑似体験。 つい身を乗り出してしまう。
後味さわやか。
乱交シーンがなかったら、子どもに推奨したい映画。
事故と、その後の治療シーン・顔の傷は年齢によってはトラウマものだが、
その不屈の精神と、障害をものともしない姿勢とかも、見て感じ取ってほしい。
”チャンピオン”にこだわった二人の男。
”チャンピオン”目前にしての選択。
一度、栄光を手にして、自分の実力を証明してからの引き際。
しがみつくけれど、しがみつかない。
命を懸けた職業。ある意味、チキンレース。すぐそばにある死・大事故。
ただ、二人とも、無謀に命を軽んじたわけではない。
その、アプローチの仕方こそ、真反対の様で、似た者同士の二人を中心とした映画。
F1レースは全く知らないと言っていいほど知らない。時折流れるニュースを見るくらい。
『チキチキマシン猛レース』や『マッハGOGOGO』は大好きだけれども、別次元の話。
『デイズ・オブ・サンダー』は見たけれど、レースの種類が違う。
実話ベースの映画なのに、きれいに起承転結。切り取り方が上手い。
事故からの、驚異的な速さでの復帰。
事故後のイタリアでのレースでの、あわやと言う場面での切り抜け方。
そして、ワールドチャンピオンが決定する大詰めのレースでの、順位の変転。
まるで、フィクションのような展開。だが、事実。記録に残っているはずだから。
事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。
「もっとレースシーンを」「レースの駆け引きが描かれていない」というレースファンのレビューもあるが、
レースシーンと、ラウダ氏・ハント氏を軸とした描写が半々。
他のレーサーたちは割愛。
人間ドラマは、あっさりと。
ハント氏のスポンサーが破産して、次を探すところとか、離婚とか、
事故後、ラウダ氏の後任をさっさと決めた雇用者との確執とか、
その後復帰の際にはそういう駆け引きがあったのかとか、
ジャパンGPでの決断後の雇用者との関係とか
もっと、周りの人々を含めて、人としての嫌な部分が露呈するようなドラマがあったのではないかと思うが、そこはあっさりとさわりだけ。
インタビューやスピーチの受け答えは、実際のやり取りなのだろうか?機知に富んでいる。
記者へのフルボッコは映画としては気持ちがいいが、今やったら、SNS等で炎上、記者会見謝罪もの、ワイドショーのいいネタだな。下手したら謹慎処分。
そういう嫌なシーンが極力少ない代わりに、
ラストには、破産したスポンサー夫婦や元妻がTV観戦で応援している姿。
クルーが「生きて帰ってきて欲しいんだ(思い出し引用)」と伝えるシーン等、愛にあふれている。
映画中、”孤独”が強調されるラウダ氏だが、妻やフェラーリへの移籍に引っ張ってくれる先輩等、人の縁に恵まれている。けっして、”孤独”ではない。孤高の立ち位置なんだろうけれど。
”まじめでコンピューターのような面白みのない”と言われるラウダ氏の、妻となる人との最初の出会い。同乗しているお兄さんたちともども、「ヒャッホ~」となってしまう展開。
遊び心あふれている。鑑賞者の心の機微を知り尽くしたかのような脚本・編集。
そして、魅せる映像。
迫力あるレース。自分もF1カーに乗っているかの様。視界の悪さ等も再現。中継のように全体像をみせながらも、コクピットからの視点、マシンの一部を切り取った映像。巻き上がる芝生と飽きさせない。遠景・近景。追い抜き展開を木で隠した後のという展開も揚がる。過去の実物映像も使っているのか?役者が乗っているかはともかく、実際に走らせた映像と、演技している映像を織り交ぜているのか?
事故の壮絶さは怖かった。鑑賞しているだけなのに、炎が肺に入ってくる感覚。病床のシーンも傷口のグチュグチュがリアル。見ているだけで痛そう。
色使いや構図も見事。緑豊かな田園風景でのシーン。不安を煽るシーン。シルエット、眼のアップ。ぼやけた視界。嵐をバックにした人影。雨粒までもがはっきりと見える。黒澤明監督は、雨を映像に映り込ませるために、墨を降らしたというが、この映画ではCG処理か?
スピード感あふれるシーン。スローモーション。
「納得している(思い出し引用)」というシーンの後で映る富士山のすがすがしさ・神々しさ。揺るぎない安定感。霊山・富士!!!
こちらも、鑑賞者の心の機微を知り尽くしたかのような映像。
かつ、情緒を揺さぶる音楽。
高揚感の高め方。不安の煽り方…。
繰り返しになってしまうが、鑑賞者の心の機微を知り尽くしたかのような音楽。「これから大変なことが起こりますよ、今は楽しい気分ですよ」等、気持ちを先導されるようでもあるが、まんまと罠にはまってしまう。
意外にエンディングがアゲアゲの曲ではない。かえって、二人の関係の気高さが染みわたってくる。
実況中継は本職を起用か?
ずっとレポーターとして出てくるもみあげの男性とかも本職のレポーター?
役者もいい。
どこか憎めない”小シバ犬”顔の笑顔を見せるハント氏。レース中の表情とのギャップに萌える。大きなぼうや。
”鼠顔”と映画の中で評されるラウダ氏。歯に衣着せぬものの言いよう。自信満々な物腰なのに、ちらつく自信なさげな表情・猫背。事実をズバッと言ってしまうのも誠実だからこそかなと思わせる妙。シーンによってハンサムに見えるときと、そうでもないときのギャップが面白い。
ハント夫人。高慢で、愛され方は知っているが、愛し方は判らない繊細さと残酷さを表現して見せる。
ラウダ夫人。受け答えは機知に富んでいて、ハンサムウーマンなのだけれど、耐える女として描かれる。ラウダ氏を高めたのはハント氏だろうが、人生を豊かにしたのはラウダ夫人。
ラウダ氏をフェラーリに引っ張ってくれる先輩は、活躍どころがないが、常にラウダ氏を見守っているシーンで出てきて印象深い。
皆、眼で多彩な感情を語る。そういう演出なのだろうが、百の言葉よりも饒舌。
そして、陽気なハント氏の元スポンサーもお気にいり。「スーパースター!」彼にならそう呼び掛けてもらいたいなんて思ってしまう。
どこをどう計算間違いしたのか弟・会計士!ハント氏の実家に責任を取ってもらいたくなるが、損失は、それでも火に油的な金額なんだろう。ハント氏が完走できていたらスポンサーもついていたのだろうが、その辺の”責”も追及しない。自分の道楽・根っからのハント氏のファンと腹をくくっている様子にまたグッとくる。
と、職人技が結集したエモーショナルな映画。
踏み込みが足らない気もするが、きれいにまとまっている。
スカッとしてさわやかさに浸りたい時、
F1カーに疑似便乗して非日常に跳んでいきたい時、見返したい映画です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
<蛇足>
しかし、あの悪天候の中、レース決行?放映権の関係だなんて。
霧や豪雨・台風と経験している日本人にとっては、あの視界の悪さ、スリップしやすい道路状況がどんなに危険か知っている。映画でも、視界が開けたら、目の前に車!というシーンがあったほど。機械部分に雨が入ってきて、トラブったりはしないのだろうか?人の命なんて考えていなかったのね。合法的なデスマッチとしてしか考えていたのだろうか?
1976年。日本はバブル前夜で、金儲けしか考えていなかったことが恥ずかしかった。
あの時のラウダ氏の表情にじ~ん。目だけで語る。
ラウダ氏。
視神経や運動神経・聴覚・お尻の感覚の損傷はなかったんだね。
他の人の事故シーンでは足を損傷していたけれど、この時のラウダ氏は足も怪我していない。訓練・シミュレーションの賜物?事故の時、こうすると怪我が最小限に抑えられるとか。
レース服は耐火加工だったのだろうか。生きていてよかった。400℃の炎の中、救出にあたった人々の勇気にも感謝。
ハント氏。
女性との関係は、通常ではありえないと思えるエピソードを聞く。
HIVは大丈夫だったのだろうか。最初のHIV患者の”発見”が1983年だから、まだ、乱交が危ないなんて認識もなかった頃だろうけれど。
安全運転
2022年6月12日
映画 #ラッシュ #プライドと友情 (2013年)鑑賞
吹替版で見たんだけど、#KinKiKids の二人が吹き替えを務めていたことを見終わった後に知りました。#ジェームス・ハント 役が #堂本光一、#ニキ・ラウダ 役が #堂本剛 だったそうです。
皆さん気づきました?それとも既知のことなの?
シナリオ良し、映像良し
予告篇が割とストーリーの大筋を語ってしまっているように見えるためまぁこんな映画だろうと思って視聴したが、実話とは思えないほどドラマ性のあるストーリーでぐいぐいと引き込まれた。
そしてどう撮影したのかと思うほど迫力のある映像がその没入感に拍車をかけ、気づけば映画の中に入り込み2時間が一瞬で過ぎ去る、正にF1のような映画であった。
ハント派?ラウダ派?
とても見応えがあって面白かったです。
派手好きで華やかなハントと知的で努力家のラウダ、まったくタイプの違うふたりの天才。
この作品はハントとラウダ、どちらを応援したいか、どちらに感情移入をしたかでまったく見え方が異なる映画かもしれません(どちらに感情移入しようと面白いのに変わりはありませんが)。
僕は、たしかに華やかなハントに憧れはするものの、応援したのはラウダでした。
ラウダのファイナルレースの決断はスゴい勇気だと思います。
中盤から物語もスピードアップ
物語の始まりはニキ・ラウダとジェームズ・ハントがF3にで始めた頃から。
2人ともまだまだ若く尖っている。
レースに関してはやめるのも勇気ともいいきれない。
20パーセントの確率で事故が起こり、毎年2人が死ぬ。冒頭の台詞にもあったが、そんな仕事を選ぶのはよっぽどの人だ。
その後もニキはレースを続け、ハントは早くに引退、一種のタレントに。レースにおいても、生き方においても2人の性格の違いが良く出ている。
レースを支えるメカニックの大変さ、その役割の大きさも分かった。
う~ん、気持ちのよい対比!!
1976年のF1を争ったふたりのエースドライバー、ジェームズ・ハントとニキ・ラウダの話。
映画は、ジェームズ・ハントの奔放さとF3のレースシーンから始まる。当時F3の花形レーサーだったハント、その後彼をメインドライバーとするヘスケスチームはF2を経て、スポンサーなしの自力でF1へ進出する。
一方のニキ・ラウダ。オーストリアの有名な実業家の息子だが、実家からは勘当され、銀行融資で金を調達しレーサーがいなかったF1チームのBRMに転がり込み、車を最速に改造するとんとん拍子にフェラーリへ。
「やつら(雇い主)は、俺たちドライバーを、役に立たなきゃすぐに交換する。だけどよ、大切なのは情熱と愛だろ」 と語る先輩ドライバーに、「それは当たり前でしょ。僕も、もっと稼げる仕事があるなら、そっちをやりますよ」 と冷静に語るラウダ。一方のハントは、トップモデルのスージーとの結婚など人生を楽しむ。
この対照的なふたり。しかしめざすものだけはいっしょなふたりを描くことで、本作は軽快に進む。
ラウダはこの年のチャンピオン街道をひた走るが、歴史が示す通り、ドイツGPで大事故に見舞われ生死をさまよう。しかし、奇跡的に6週間で復帰し、不在中にポイントを詰めてきたハントと、最終戦、日本の富士スピードウェイでの決戦に臨む・・・。時に現実は、映画以上のできごとを引き起こすんが、これなんかまさにそれだね。当日は、ラウダが大事故を起こした日と同じ豪雨。この最終レースは、みんな、必見ですよ。それもスタート30秒前をぜひご覧ください!
独りで行儀よくするラウダと、みんなで奔放に騒ぐハントを対比したこの映画を、軽快に成功させている要素は、ハントの奔放さを好意的に描いていることだと感じる。たとえばハントのスージーとの結婚生活は、酒、麻薬、浮気、短気で、あっというまに破綻を招くのだが、そのあたりの描写は限りなくあっさりしており、どろどろさせない。
ラウダのセリフは、通常の車を運転する際に、「スピードを出したら危険なだけだし、賞金も出ないのに速く走る理由がない」 と言ったり、ハントに向かって 「1回、2回は勝てても年間は勝てない。しょせんお前はパーティの主役だ」 と言ったり、「幸せは僕を弱くするのではないか」 と悩んだり、実はけっこうあるのだが、ロマンを語り情熱を求めるハントが、その思いを語るシーンは多くない。ラスト近くの 「勝った後に楽しまなければ、勝つ意味も、勝つために努力することの意味もなくなってしまう」 くらいだ。そしてそれがかえっていいのだと思う。行動そのものがハントを示している、ということだろう。上手な映画だ。
13年間走り3度もチャンピオンになったラウダと、たった一度だけF1チャンピオンになったハントでは、成績では大きな差があるものの、本作で語られるように、ラウダの真の意味での好敵手はハントだったのだろうな。ということを、心の底から楽しめました。よかった。
おまけ
・400℃を超す炎に1分間包まれ、肺を焼かれるという大事故から奇跡の生還を果たすラウダ。もうだめかと臨終儀式のために呼んだ牧師が到着したとたんに死地から回復したという、現実においても劇的だったであろうシーンは、映画にもさりげなく差し挿まれていたね。
・今回の鑑賞で残念だったのは、TV放映の録画を観ているので、ラストに音楽とテロップがないことだ。やはり劇場鑑賞が、最高だなあ。
・「宿敵の存在を呪わず、神の恵みだと思え。賢者は敵から多くを学ぶ」
初めてF1知ったから、12月1日はF1記念日、ということにしてみた
いい台詞が山盛り、そしてとても好きなのが次の二つのシーン:
ニキとマルレーヌが初めて出会い、マルレーヌの車に乗せてもらったニキがその車の状態が悪いことを淡々と滔々と述べるところ。案の定、車はエンスト。ニキが他の車を止めようとしても行き過ぎる。マルレーヌはここはイタリア式で、とかっこよく車を止める。イタリアの元気なにいちゃん二人が止まってくれたのはマルレーヌじゃなくてニキが居たから!マルレーヌ、完全に蚊帳の外!「知らないの~!フェラーリと契約したニキ・ラウダだよ!!」と上機嫌なイタリアにいちゃん!「嘘、おじいちゃんみたいな運転だし」とマルレーヌ、「賞金でないのにスピード出す必要ないし危険」とニキ、「女性からのお願いには普通は応えるものよ」とマルレーヌ。それからのニキの足!ペダル!クラッチ!ギア!きゃー!かっこいい!後部座席の二人のイタリアにいちゃんと一緒に興奮しまくりました。
二つ目は、ジェームスが一人で、レースのシミュレーションをしているところ。レーンを全部頭に入れてカーブもトンネルもわかっていて、ギアをどうするか言葉にして、ペダル踏む足も動かしている場面。努力のない天才は居ない。ジェームスは本当に憎めない愛すべき人。
二人の印象的なシーンが、それぞれの性格と真逆なシーンであることにときめいた。
映画「コリーニ事件」に出ていたアレクサンドラ・マリア・ララが出てるから見た。本当に美しくて素敵。本物のマルレーヌと瓜二つで凄い。この映画、ニキもジェームスも本物に似てる。でも物まね合戦になっていないのは演技が素晴らしいから。
ニキが「グッバイ、レーニン」のあの男の子のダニエル・ブリュール!とすごくびっくりした。英語もドイツ語もなんだか訛っていて、あれは多分ニキの話し方だろう。そしてオーストリアドイツ語の訓練を数ヶ月も受けたとブリュール言ってた。すごい言語能力であり演技力!「イングロリアス・バスターズ」にも出てたとあったので、もう一度見なくては!スイスのレーサーのレガツォーニは「シチリアーノ」その他で大活躍のピエルフランチェスコ・ファヴィーノがやってたー!マルレーヌの元彼が、クルト・ユルゲンスって、あれ~、すごい~!
F1レーサーって、なぜほぼ全員ハンサムなんだろう(ジェームスもちろん、セナ、アレジなど)?いつも見られているから磨かれるんでしょうか?それとも死と背中合わせの仕事が彼らを美しくさせるんでしょうか?なぜ、ほぼ全員裕福な家の生まれなんだろう?
新聞のスポーツ欄はいつもスルーする自分ですが、見ました、F1のところ。ルイス・ハミルトンがコロナ陽性でレースに出ない!ハミルトンもかっこいい!
ニュルブルクリングで、ザビーネ・シュミッツという女性は、超すごいドライバーでRing-Taxiというのやってるんですね。客を乗せて、彼女のすごいドライビング・テクニックに酔いしれることができる!他の女性ドライバーはクラウディア・ヒュルトゲン。行きたいです!早くコロナ収束してくれたまえ!
ニキは昨年、マルレーヌと二番目の妻ブリギッテに囲まれて穏やかに天国にいったんですね。ウィーンのシュテファン大聖堂で葬儀が執り行われたっていうのは本当にすごいことだと思います。ニキのお墓は、ウィーンのハイリゲンシュタット墓地にあるようなので、移動が自由になったら行ってみたいです。
映画は私の学校です。全く知らない世界に連れて行ってくれる。
追記
上述のザビーネ・シュミッツさんは、がん闘病の後、2021年3月にお亡くなりになったそうです。51才。
ハントもラウダも似てた!!
古き良き時代のF1、ラウダとハントの確執や事故からの復活。
いまと違いチームごとに全くコンセプトの違うマシン達。
おじさんにはハマれる映画です。
最後の日本グランプリ、『あれっ?』ってシーンも多いですが、まぁご愛嬌と言うことで。
伝記ものの枠を超えている
ライバル二人の話を均等に書いて W 主人公にしてやる。そしてクライマックスはその二人が対決・・・スポーツモノの王道。それが実に成功してクライマックスであんなことになったのにとても盛り上がった。
私としては特にクライマックス済んだ後の二人の会話が好きです。 この映画、キャラクターとキャラクターのぶつかり合いが醍醐味なわけですから。最後に会話でそのぶつかり合いを見せてお互いにお互いの言ってることが理解できないし相手に自分の価値観や考え方も押し付けようとするようなところが。そのぶつかり合いが映画全体を象徴している思った。そしてそんな理解し合いないところがありながらも二人の友情と成功の物語にもなっていて伝記ものの枠を超えた純傑作的な作品だと思った。
金かければ良いものができると思ってる? それは違うよ。
そりゃ、もう、お金を掛けまくって撮影したことは分かりますよ。
でも、それだけ。
「二人の天才ドライバーがいました、とさ」、という映画に過ぎないので、仰々しい宣伝文句に惹かれて期待していると、期待は大きく裏切られると思います。
一級品は錆びない。
この頃はカーレースの映画ばかりを見直している。
やはり「栄光のルマン」を超える映画はない。
このラッシュも悪くはないけれど、走行シーンは「栄光のルマン」を超えてはいなかった。
とは言うものの、棺桶レースのライバル同士の駆け引きは生死がかかっている割には余りにも傲慢すぎて色付けされ過ぎていてつまらない。しかし、荒雨天レース中止のやり取りに凄さを感じてしまった。なにも勇気ばかりがレースの勝敗を分けるポイントではない。頭脳と行動力の機敏さが必要なのだ。そして、女性の存在感が際立っていた。男の稚拙さを理解し耐え、意見してしまえる女の素晴らしさが見事に表現されていた。
レースに勝つためには「幸せ」は必要ではない。見事に、反論してみせるのは「愛」の為せる技だろう。
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