「シロクマ一匹では救われた気分になり得ませんでした。」スノーピアサー 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
シロクマ一匹では救われた気分になり得ませんでした。
ジュノ監督の『母なる証明』は、世の中と骨太に対峙し、人間の本質を徹底的に掘り下げる傑作だっただけに、本作へも単なるSF作品以上の人間ドラマを期待して劇場へ。
でもねぇ、たとえメタファーとして世界の今の貧富の格差の縮図として描いたものとしても、列車という密室空間のみで世界を描ききることに馴染めませんでした。
作品の舞台は、温暖化対策の失敗で、氷河期になってしまった地球で、唯一生き残った人々が乗車している列車「スノーピアサー」。この列車は、世界の大陸を繋げた全長43万8000キロの線路を1年で一周する、いわば“走る箱舟”のようなもの
。2031年、唯一の生存場所となった列車はウィルフォード産業によって作られたもの。長大な列車の内部は、権力と金、秩序と順位の白人支配型の社会で、そこにはひどい格差がありました。前方車両では富裕層が優雅に暮らし、後方では貧困層が飢えにあえいでいたのです。
ジュノ監督が、本作で描きたいのは、永遠のエンジンを誇る列車のメカニズムではない。狭い空間、極限状況におかれた貧民たちの飢えと怒りの爆発なのだと思います。最後尾の貧民たちはカーティスを中心にエンジンと水源を占拠すべく、最後尾の情報通で精神的リーダーのギリアムを頼って情報を集めながら革命の準備を進めます。生きる道は前進のみ。管理者側の激しい対抗に遭いつつも、カーティスたちはひたすら前の車両目指して戦い続けるのでした。
ここで疑問なのは、貧民たちがエンジンと水源を占拠したところで、「スノーピアサー」を運行し続ける技術を持っていなければ意味がないではないのではないでしょうか。また、列車内の秩序を革命で破ったとしても、何らかの統治機構がなければ中東の春のように混沌としていきます。格差と革命の根本にあるのが、列車内部の経済キャパを上回る大量の貧民を受け入れてしまったことが原因なら、なんでもめるとわかっていて列車運行時に1000人もの貧民を、食糧の見通しもなく乗車させてしまったのかということが気になって仕方ありませんでした。
結局「スノーピアサー」の運営を革命により、共産主義にしたところで、食糧生産の技術やマネジメント能力がリーダーになければ、みんなが飢え死にするだけになってしまうでしょう。
そして、ラストシーンで描かれる気象の異変も、一匹のクロクマくんと遭遇したぐらいでは、カタルシスや希望は見いだせませんでした。
但しそうした突っ込みを「映画」として割りきったら、アクションとしては楽しめた作品です。
カーティスたちは、次の車両の扉を開ければ新たな戦いが始まるという、その繰り返しなんですが、決して単調にはならないのです。車両を移動するごとに、温室やプールやサウナにダンスホールに加えて、鮮魚のいけすに寿司バーまであるなど細分化されていました。カーティスが扉を開けたときに一変する美術には、あっと驚き、画面に引き付けられることでしょう。
なかでも教室では洗脳された良家の子たちが、列車の創造者で独裁者ウィルフォードへの賛歌を謳っているのが印象に残りました。
そして車両を進むごとにどんな世界が待ち受けているのか、列車の疾走も相まってハラハラさせられます。細長くて狭い列車内の空間は、乱闘につぐ乱闘がライブ感たっぷりに撮られていて、極限状態に陥った人々の息苦しさを伝えるのに格好の設定といえるでしょう。それにしても列車内で繰り広げられる悽惨な戦いを描きつつ、そんな列車を包み込むような、怖いほど美しい雪に覆われた沿線風景が映し出されます。その対比が、明日を失って走る乗客たちの刹那を際立たせていたのでした。
主演のカーティスを演じたエヴァンスは、カリスマ性のある主人公をイメージぴったり。に演じている。支配層ナンバー2を怪演するティルダ・スウィントンら欧米の役者たちが、ジュノ監督の世界の中でいきいき動いて、韓国映画というカテゴリーに括られないワールドワイドな作品として成功したといえるでしょう。
そのなかで、ソン・ガンホは韓国を代表するかのように、セキュリティーの鍵を握る男の役で存在感を見せつけました。この男は、前進して列車を支配することよりも横の扉を破壊して、外の世界に活路を見いだそうとします。氷河期となった下界に飛び込むなんて自殺行為だと誰もが考えてしまうなかで、男の発想の転換は、何事にも前進のみの西洋的な縦の思考法に対するジュノ監督の痛烈な批判なのかもしれません。