「中途半端という味わい」くじけないで cmaさんの映画レビュー(感想・評価)
中途半端という味わい
「狼少女」に出会って以来、深川栄洋監督の作品は観続ける、と決めている。
本作には、トヨさんと彼女をめぐる様々な人が登場する。彼らは、トヨさんの言葉に出会うことで激変もしないし、繋がりもしない。それぞれに、ばらばら、よろよろと思い悩みながら前へ進んでいく。そこがいい、と思った。
老いた母親と息子という設定から、「ペコロスの母に会いに行く」を連想する。けれども、(当然ながら)両者は大きく異なる。何と言っても、本作は八千草薫さんの魅力が大きい。ふわふわと柔らかく、繊細で、優しい。コスモスの花畑に埋もれても、何ら違和感ない少女のおもかげ。八千草さんの場合、老女という形容さえ似合わない。どこから見ても少女、なのだ。
一方、八千草さん演じるトヨさんの分まで人間臭をにじませるのは、ダメ息子•武田鉄矢。母の老いや仕事から逃げまわってギャンブルがやめられず、小学生にからかわれると同レベルでケンカをする。そんな彼が、ふさぎがちな母の気持ちを紛らわせようと、詩の手ほどきをしたのが全てのはじまり…なのだが。金八先生ばりに、口うるさく指導する姿が何ともおかしい。かつてのヒーローが、世間から完全に取り残されたはみ出し者に映る。ユーモラスながらも、ちょっとほろ苦かった。
息子ほどではないけれど、トヨさんの周りには、様々な問題やしこりを抱えた人々がいる。そんな彼らがトヨさんの言葉に触れる…と。実際、さほど大きな変化は起きない。人間は、そう簡単には変わらないのだ。はっとする体験、心にしみる経験に時々出会いながらも、代わり映えしない日常に立ち戻り、日々の生活を積み重ねていく。けれどもそれは、まったくの繰り返しではない。どんなにささやかであろうと、今日の自分は昨日の自分と違う。トヨさんの言葉に出会う前と後とでは、確実に。そう思えることが、大切なのだと思う。だからこそ、診療所の若い医者が、幾度となく気だるそうにタバコを吹かす姿に、思わず顔がほころんだ。
また、本作には、ギャンブル仲間、郵便配達、ハローワーク職員…と、脇で実力ある俳優さんが次々に登場する。が、脇はあくまで脇。それきりだったり、相も変わらずだったり。彼らがトヨさんの言葉で引き寄せられ、一つにまとまったりはしない。そこがかえって潔い。
トヨさんと彼女をめぐる人々が、なだらかで平凡な日々を繰り返す。トヨさんは、詩作の中で、かつての自分や家族、友人にふと思いを馳せる。物語は、その繰り返し。そんなふわふわとした、わかりやすい感動のツボをはずした「中途半端」なところに、本作の味わいがあると思う。
たとえば、武田鉄矢とピエール瀧演じる妻に逃げられた男が、メンチカツ(コロッケ?)片手に並んで話すシーン。画面いっぱいのカツに、ぽたりぽたりと涙が染み込んでいく。そこから遠景。泣く男と戸惑う男のすぐ横で、肉屋はごく当たり前に商売をし、人々は行きかう。店先で何かただならぬことが起きている、と察知しているのかいないのか。冷ややかでもなく、あからさまな気遣いを見せるでもなく。あえて踏み込まずにほおっておく、そんな絶妙な距離感に、ほのかなあたたかみを感じた。
さらっとしているけれど、日常に戻ったときに、ふとしたきっかけで映画のあれこれを思い出し、反芻できる。そんな作品が好きだ。
…とはいえ、そろそろ深川監督には、いわゆる大作、商業映画ではない作品を存分に撮ってほしい。