ビフォア・ミッドナイトのレビュー・感想・評価
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真夜中‼️
18年前ウィーンで出会い、9年前パリで再会したジェシーとセリーヌ‼️今作で二人は結婚、双子の娘までいる設定‼️ジェシーの前妻と息子ハンクを加えた5人でギリシャに旅行、ハンクは一足先にアメリカへ帰るが、なかなかハンクと一緒にいてやれないジェシーは、セリーヌにアメリカ移住を相談。ギリシャの友人が用意してくれた高級ホテルで二人だけの甘い夜を過ごすはずが、言い争いになってしまう・・・‼️今作では結婚し、子供もできたジェシーとセリーヌ‼️ 二人の関係がどうなっているのか楽しみだったのですが、前作の後、朝まで愛し合っていたらしい(笑)‼️仕事と子育て、ハンクとの関係に悩むジェシー、そして夫婦として倦怠期にも入ったように思える二人の会話が、シビアにリアルに響いてくる‼️でも相変わらず呼吸バッチリ、良くも悪くも噛み合いまくっている二人の会話‼️ホントにテンポ良く、リズミカル‼️全体は大きく5つのパートに分けられてます‼️ハンクを送った空港からの帰り道の車中、友人6人を加えた8人でのテーブルトーク、ホテルへの歩きながらの道中、ホテルの部屋、そしてホテル外のレストラン‼️車中における会話シーンは空港から売店に着くまでを実際にイーサン・ホークが運転しながらの撮影で、何気に緻密に計算されたシーンだと思います‼️そして他のパートでも、ホントに美しいギリシャの風景を舞台に繰り広げられる二人の会話は、微笑ましく、切実で、リアルに観る者に響いてくる‼️前作の「ビフォア・サンライズ」、「ビフォア・サンセット」での二人の姿がフラッシュバックして、ホント胸に迫るリアルな夫婦関係、いや恋人関係、男女関係を示してくれています‼️そして心に残るのはラストのレストランのシーン‼️怒って一人で椅子に座っているセリーヌの前に他人を装ったジェシーが出現‼️そしてセリーヌに語りかける‼️「私は未来のあなたから遣わされてタイムスリップして来た。あなたへ警告。このままだとあなたは人生最高のギリシャの夜を台無しにしてしまう!!」‼️最初は相手にしなかったセリーヌの顔に徐々に戻る笑顔‼️相手の良いところ、ダメなところも全て受け入れて愛し合える‼️やはりジェシーとセリーヌは最高の夫婦、いや恋人同士ですね‼️今作初見から11年あまり、公開されるのであれば2022年に4作目があるはずだった‼️でも多分4作目は無いでしょう‼️1作目から3作目にかけて出会い、別れ、再会、結婚して家庭を持ち、危機を乗り越えて、より強固な絆を育む‼️完璧な三部作なんですから‼️
喧嘩しながらずっと一緒
子持ち中年のバカンスでギリシャに。
もう口喧嘩ばっかりで最初の方で見るのやめようかと思いました。
子供を面倒見てもらって夫婦水入らずのホテル。
セックルが始まるかというときに電話。
そのままの乳丸出しで電話に出たり喧嘩始めても乳出したままが笑えた。
喧嘩ばっかりでも結局離婚はしないんだよね。
全く新鮮味がないって思ってしまう原因は、なんか自分とこ夫婦のようで、そだね〜、そだね〜と、共感するバッっかりだったから(笑。
全部観ました!
いやー全部一気に観れたので面白かったのか?勢いで見なければ続かないと思ったのか??一番退屈で中断しながら観たのはサンライズ、第一話目。徐々に下品になってきます。みんなで食事している時の会話にも付いて行けず。すごいIQの高い人達の会話なのかなぁ。聖堂?古い教会での2人の行動も信じられません。全部通してみて、無駄な時間を過ごさせてもらった気分。若者にもおススメしない。若者にはもっと綺麗で切なく素敵な恋をして欲しい。
時間
時間は残酷です。肉体的に衰え死に近づくだけではなく、若い時に感じた精神的なワクワクドキドキを感じる事が少なくなってきます。そのワクワクドキドキは生活全般だけではなく長年一緒にいるパートナーに対しても同じ。そんな年齢を重ねると当たり前に感じることが包み隠さずストレートに描かれている作品なので、中年にはややビターに感じるかもしれません。
ジェシーとセリーヌが出会った時は、愛や夢、人生、芸術について夜通し語りあっていたのに、ふたりの今の会話は子供の事や家族の事など、現実的な話ばかり。そもそもふたりはロマンチックな出会いと再会を経て結ばれいます。それに過去のふたりを見ているとジェシーもセリーヌもベースは超ロマンチストなはず。セリーヌなんてロマンチックな告白を2回もしてましたし。
面白かったのは、セリーヌが超現実的になっていたのに対して、ジェシーは相変わらずお調子者のままであまり変わっていなかったところです。これは女性と男性の違いなのでしょうか?
作中ずっとセリーヌを呆れさせているジェシーですが、ラストで作家のプライドを見せます。ロマンチストのセリーヌを落とすには、やっぱりこの戦法?これさ、今のところジェシーの勝ちなんじゃないかな?セリーヌはやっぱり子供の様ないたずらっ子のジェシーに惚れているのです。
中年の危機
何となく切ないし胸が痛い。よくある中年夫婦の言い争い。なんとか嫌な空気を変えようと寒い冗談で必死になる男と解決はしてないけどとりあえず仕方なくその冗談にのってやる女のやりとりとか。男の方が愛してるんだろうなとか。イライラする女がきっとしている自己嫌悪とか。その2人が1作目と2作目で昔はロマンチックな恋をしていたこととか。昔とは変わってしまったけどまだ一緒にいることとか。3部作のフィナーレ。
男女の関係
イーサン・ホークが
2部より歳を重ねて哀愁漂うイケメンになってた。
2人の会話は
日々の生活の話だったり
なんのきない夫婦の会話という感じ。
だんだんと喧嘩を交えて
生き方、考え方の話をしていく。
それにしてもよく喋る夫婦。
こんなに妻の話をちゃんと聞いてくれる夫は
現実にいるのかな?
妻が詰め寄っても、ちゃんと話を聞いて、なだめて、笑い話につなげたり、雰囲気を修復したり、すぐにいい返さず気持ちを我慢してる。
世の男性はみんなそうなのか?
結婚はしたことないから分かんないけど
私の知ってる男性像って
自分の考えが否定されると
怒鳴ったり無視したり話を最後まで聞かなかったり
キレてたけど。
劇中では、女性のほうがワーワー言ってて
感情的になってキレてるように見えた。
私は男性の方もしつこかったり女々しかったりする
部分があると思うので、そういうところも描いて欲しかった。
夫よ、浮気したこと、本当のこと言うなよ。
それを言ったら終わりなんだよー。
私は嫉妬なんかしてないって言ってるけど
マジ嫉妬は、するから!
最後、もう愛してない。と言って
出て行った後も
また迎えにいく夫。
こんな優しいひと、いる?
愛されていることを忘れてしまう妻。
でも、日々我慢しているのが爆発してしまう女性の気持ちも分かる。
きつかった
ひたすら喋って喋って喋り倒しており、しかも内容が雰囲気悪い。あんなに罵倒しあってよく関係が続くものだ。とてもじゃないけど真似できない。
ただあんな状態になってまで彼女を抱こうとする旦那さんはとても優しい。すごいことである。
あんなに仲が悪くても関係を壊さないところが素晴らしいことであるが、それこそが本当の愛なのかもしれないが、見ていてつらいばかりだった。最後ちょっと雪解けムードで安心した。
勘弁してくれー
だーもう!
すげーなこのシリーズは!
まったくもって参りました。
夫婦とはこういうものなのか。
あんなに運命めいた出会いをしてもこういうことになってしまうのか。
ブルーバレンタインも夫婦ものの傑作だと思いますが、これはそれとは違う結末があり、また次回もぜひ観たいと思いました。
ラストのジェシーの説得シーンには心が震えました。ロードオブザリングとタメはる三部作ではないでしょうか。
9年後またやってくんないかなー
胸に目がいく
2人がまた歳をとっているあたり、本当に18年の時を使って三部作を完成させていることを感じて、監督と共にその情熱に感服する。
また今作も、前作のラストのその後を明らかにしてくれる。
特にリチャード•リンクレイターは、6才のボクが大人になるまで。でも12年の時間を使って1つの作品を作り上げていて、尊敬せずにはいられない。
今作は今までより登場人物が増えているが、やはり2人の会話が中心。
その楽しさも相変わらず。
ホテルでの幸せな雰囲気から一瞬で別れ話にまでなり、場所を外に移してまた元に戻るというのを見ていると、男女の関係の儚さを思ってしまう。
垂れても剥げても二人は一緒。
ビフォア・サンライズ、~サンセット、に続き今回はミッドナイト。
驚いたことに二人は結婚し、双子の女の子を儲けていた。
ときめく出逢いも夢のような再会も今回はまったく描かれない^^;
冒頭で前妻との息子を空港まで見送り、彼らはギリシャへと向かう。
せっかく友人の招きでバカンスを楽しみにきたというのに、二人は
車中にいる時から口喧嘩ばかり。しかし、これが夫婦の現実!だと
認識できる年代には大ウケの作品である。全くもって見事な演出。
40代の中年夫婦ともなれば、やれ恋愛にときめいている暇などない。
気がかりは前述の息子のこと、仕事のこと、娘たちのこと、引っ越し、
次から次へと問題は変わるが、二人のテンポはまったく変わらない。
とにかく監督と主演二人の息がピッタリなことが分かる。
長台詞がアドリブとも思えない、ひょっとして本当の夫婦か?と思う
ほどのリアリティが、二人の容姿、振舞い、態度、台詞から湧き出る。
特に頷けたのがホテルまでの道のり、やや柔和な顔になった二人が
手を繋ぎ「アラ?私たち、仕事と子供以外の会話をしているのね!」
と驚くシーン。ホテルに到着し愛し合うつもりが、また口喧嘩になる。
そこでケータイが鳴ってしばらく場面が続くのだが、その間セリーヌは
上半身だけ丸出し!(爆)J・デルピーの垂れた40代の身体が超リアル。
確かに夫婦で同室にいれば裸になって歩き回ることなど何てことない。
もうそんな恥じらいもクソもないんだぞ。がこの一場面で愉快に表現。
ジェシーもどうなの、そのだらしないシャツの入れ方は!狙っている
のだろうが、そんな細かい表現が巧すぎて苦笑いと同時に愛着が湧く。
こんなくたびれた二人など見たくない。と思った人も多いだろうが、
十中八九誰もがこうなる。惚れた腫れたの時期を過ぎ、互いの欠点を
否応なく見せつけられる生活が続き、妻は過去の話を持ち出して夫を
責めまくる…このリアルに対する夫の最終手段が小粋でまた憎めない。
何があっても、一緒に生きていく意志は変わらない。
だからこそ、大好きな人と結婚すべきなのだ。覚悟はそこで決まる。
今でも私を誘う?の愚問には大笑い。でも聞いちゃうんだよね、絶対。
時間が経っても唯一に新しいもの
いい話し相手とは何かについて考えてみた。私が考える良い話し相手は、決して個人的な経験と日常を話さなくても何時間も話が続く人である。人と対話をしていると、ある時点で話の種がなくなり気まずい瞬間が来る。そういう気まずい時間が苦手な私は、仕方なく私の最近の日常や経験を言うようになる。例えば、実験ペアが最近優しくしてくれてうれしいとか、昨日はこういう夢を見たけど面白かったとかの、どうでもいい話を続けていく。そういうふうに対話をしてから家に帰ると、「この人と対話をしたのではなく、一人で日常を纏めただけだったなー」という考えをする。(だといってそういう対話が嫌いとは思わない。ただし、面白くないだけだ。)
昔、ある先輩と二人で居酒屋に行ったことがある。仲のいい先輩であり、学業的な面でとても尊敬している先輩だった。二人で飲みに行ったのは久しぶりだったが、その日、居酒屋で7時間程度対話をした。その7時間の間に交わした対話を忘れられない。7時間の間に日常や個人的な経験に関する話は全然しなかった。つまり、話の種がなくなって、気まずい時間から逃げるための会話は一瞬もなかったのである。頭の中では話したいことが絶え間なく浮かび、口ではそれぞれの自分たちの考えが行き来、7時間はまるで30分のように短かったのである。そのときに初めて会話の楽しさを分かった。私がある主題に関して言い出すと、その先輩は心置きなく自分の考えを話した。私はまたそれを聞きき、気になる疑問について質問し、こういうパターンの繰り返しで対話が成立していた。(会話の主題は哲学的な疑問や宗教的な問題など、ごく普遍的で広域的なテーマであった。)
その先輩が本当にいい対話の相手だなーと思ったのは、あの長かった会話の中で「恋愛」という単語が出てきたときである。「恋愛」は非常に個人的な経験についての話であり、なので私は恋愛話をするのが好きではない。それで「恋愛」という単語が出てきたときには、どうしたらそれについて話さないことができるのだろうかと、一瞬悩んだのである。しかし、その先輩は「恋愛」については一切言及しなかった。その代りに、「愛」について話をした。
素敵な人だな-と思ったのは、その時である。その先輩は自分がしてきた「恋愛」に関しては一切話さないで、変わりに自分が考える「愛」について話した。同じく私もその先輩に私の恋愛については話さないで、私が考える「愛」について話した。ピリッとした経験だった。普通、愛について話をしていると、結局は経験からくる恋愛話にそれてしまったが、その先輩とはただ愛そのものについて話したのである。つまりその先輩は、「恋愛」という極めて個人的なことから、「愛」という全ての人の共通的で普遍的なものに会話を成立させることができる人であるのだ。大人しくて配慮深い、素敵な人であった。(その配慮は、個人的でかつ大事なことを話さないようにする、私に対する配慮と、その先輩が経てきた恋愛の相手に対する配慮であろう。)
私の考えをそこまで他人に言ったのは初めてだった。私は自分の考えの底を見せるときの他人の反応を見るのが好きでないため、通常の私の考えを口で表現してこなかったが、その先輩の前だけでは違った。私の考えのすべてを聞かせてあげたかった。7時間も足りなかった。夜を明かして対話をしたかった。こういう人ならずっとそばにいたいと思った。
ジェシーとセリンは映画で絶え間なく対話をする。この映画での対話は、ビフォー・サンセットとビフォー・サンライズでの浪漫と熱情に満ちた対話とその様子が違う。ジェシーの息子に関する心配をはじめ、アメリカのシカゴへの引っ越しの問題まで、非常に現実的で不可避な対話が続く。言い争いが伴い、自分の言うことが正解だと叫んで相手を非難するような、とげ立った対話が表れる。(そのせいで浪漫の場であったホテルルームは、けんかの場である激闘場に変わったのである。)
しかし、時間というものの前で愛を常に新しくさせるために、楽しい対話は強力な力を持っていることを分かるようになる。石垣の道を散策しながら交わした対話や、エンディングでのタイムマシンの作動法についての対話は非常に愉快で愛らしい。時間の厚さに従う愛と才知が対話に現れる。楽しい対話をすることで、この人と一緒に過ごす時間がどれだけ楽しいのか、この人をどれだけ愛しているのかを分かることができる。
結局、厚い時間に垢が表れた二人にとって重要なのは、どれだけ楽しい対話が可能なのかである。時間が経つと人はお互いに慣れる。相手の習慣、顔、身振りについて慣れてしまい、まもなく飽きるようになることで、時間の厚さを無惨に覆ってしまう。しかし、時間が経っても唯一に新しいものがあるとしたら、それは「対話」である。世の中のどこにも同じ対話はなく、対話のように人の可変的でかつ広義的な姿を現しているものはない。そのため、私は楽しい対話を愛するのである。
久しぶりにその先輩に会いたいと思った。また、居酒屋とかに行って、何時間でも対話をしたい。私の考えを聞かせてあげたい。
あ、いい対話の相手があるというのは幸せなことだ。
こんな魅力的なコミニケーションを私は体験したことがない。
長いタイトルですが、下記の内容と繋がりはありません。すごく個人的な願望ですので、流してください(。-_-。)
この映画は1995年の「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離」から2004年の「ビフォア・サンセット」、そして今回の「ビフォア・ミッドナイト」という9年ごとに製作されてきた恋物語である。
このタイトルの日本語訳が、『ビフォア』というのは『前』、『サンライズ』が『日の出』、『サンセット』は『日没』、そして『ミッドナイト』が『午前0時の真夜中』という意味だと思われる。
今回鑑賞した「ビフォア・ミッドナイト」を簡単に説明すると、1995年の「恋人までの距離」で出会った20代のアメリカ人男性ジェシーとフランス人女性セリーヌの二人はウィーンの町で一日過ごすことになる。そして2004年「ビフォア・サンライズ」で9年後に再会を果たすが、セリーヌは彼氏を、ジェシーは妻と4歳の子供がいるのだ。あの時のウィーンの一日の恋は夢に消えていくのか。そして今作、2013年の「ビフォア・ミッドナイト」ではジェシーとセリーヌの間に生まれた双子の娘を持ち、結婚していたジェシーの妻とは離婚していたのだ。
物語はジェシーとセリーヌと双子の娘が、ギリシャにある作家の友人の家に招かれて休暇の間そこでバカンスを楽しんでいる所から始まる。
という感じで、やっぱり前回と同じく今作もこのジェシーとセリーヌのコンビが本当の会話のようによく喋るよく喋る、その会話が都合よく進むわけでもなく、キャラクターの互いの心境を計算しつつ微妙にズレている。理解があるように見えるけど、ジェシーは本音の部分である亀裂をえぐらない。セリーヌは本音を聞きだそうとするが、ジェシーはこれを言ってしまうと相手を怒らせてしまう、と何とか本題から避けていく。この長年連れ添った夫婦の会話のリアリティーがこの映画の核になっている。
例えば2人がホテルに向かう途中でセリーヌが「この先56年も一緒なら、私の何を変えたい?」と聞く場面でジェシーは「俺の性格を変えようとするところ」と言う。ユーモアがあり、かつ本音を語っているのだ。
他にも、会話の中でジェシーは娘のりんごを食べて、「これは家族の助け合いを教えているのだ」と屁理屈を言ったり、ヘリウムガスを吸ったものまねをしてセリーヌを茶化したりと、41歳になってもどこか子供っぽさがぬけていないところがある。そしてセリーヌは馬鹿なシモネタを言ったり、馬鹿なフリをしてみんなを笑わせたりする。心の奥底に自分の賢い部分を隠してしまっているように見えるのだ。
しかしこれは互いが真面目な話し合いをすると、どうしても険悪な空気になってしまうからだと、長年の互いの経験で知ったからではないか。ジェシーは元妻との息子が14歳という複雑な年齢だからそばについててあげたいと思っている。しかし元妻とは裁判で戦っている途中のために、セリーヌと住んでいるパリに連れて行くことはできない。どうすればいいのかセリーヌに聞いてみると、「私はアメリカにはいかないわ」とセリーヌがパリから出ることを大反対する。それに対してジェシーは「アメリカに来てくれとは言っていない」と言う。その口論が始まると互いは本音で語り合い、自分の望みを打ち明けあい、その先には破局のにおいが漂っている。
ここで他の映画の話をして申し訳ないが、キューブリックの映画に「アイズ ワイド シャット」というタイトルの恋愛映画がある。このタイトルは「Keep your eyes wide open before marriage, half shut afterwards.」というアメリカの格言のもじりで、意味は「 結婚する前は目を大きく開けて彼(彼女)を見なさい、だけど結婚した後ならば目を半分閉じて彼(彼女)をみるのよ 」という。
私の解釈になりますが、この「ビフォア・ミッドナイト」の二人が愛を継続させるためには相手を変えようとするのではなく、時には間違っていても自分がどうあるべきかということだと思いました。
しかし、疑問に思うのが二人があまり双子の娘を愛していないように見える点ですかね、セリーヌは子供が生まれたとき「唖然としてしまったの」って言うし、ジェシーはベットシーンで「娘のことなんて心配じゃないよ」って言う。子供の存在ってこんなにも夫婦を苦しめるのかと思うと複雑。だけど夫婦の仲がよいことは子供たちが何より望むことだと考えると、親が子供を愛する場面よりジェシーとセリーヌが真実の愛を模索する場面のほうが重要なのかもしれない。
他にもみんなで食事をしながらの魅力的な会話についても書きたいですが長くなるので最後に、前作ではノミネートだったけど、今作のアカデミー脚本賞では受賞して欲しいと思います。
今回、一度見て書いた感想のため、登場人物のセリフが間違っていたり、変な解釈をしている事があります。その点についてはご了承くださいませ。
理想と現実、どちらも大切かな
少し頭痛をガマンしての鑑賞だから、普段より厳しい感想になるかもしれません。
最初から最後までずーっと喧嘩している二人。笑いながら、時には涙しながら、観ていました。どこの夫婦にもありがちな、喧嘩。
それだけなら、たぶん、うるさくて耳を塞ぎたくなると思います。
そうならないのは、ところどころちりばめられたハッとする言葉や、デルピーの演技力のおかげかも知れません。
作家達と会食中、未亡人が語る場面は、とてもきれいな言い回しで心に残りました。
第1作の一番最初のシーン
二人が口論する場面で感じたことは、映画の前半で出てきたジェシーの台詞、「既視感」。
このシリーズの本当に最初の、二人が最初に交わした会話のきっかけ、中年夫婦の列車車内での口論。
口論のテーマは違えど中身は同じようで、二人がその夫婦について交わした会話を思い出し、「お互いの言葉が聞こえなくなる」という台詞(だったかな)の深みが増した。
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