「影響を受けた作品に先を越された印象」マッドマックス 怒りのデス・ロード kobayandayoさんの映画レビュー(感想・評価)
影響を受けた作品に先を越された印象
2015年7月上旬に“TOHOシネマズ 渋谷”のスクリーン2にて3D版で鑑賞。
1979年に後に『ベイブ』や『ハッピー・フィート』等を手掛ける事になるジョージ・ミラー監督が当時、無名だったメル・ギブソンを主演に迎えて製作した近未来ヴァイオレンス映画の金字塔『マッドマックス』が1983年のシリーズ第3弾『サンダー・ドーム』以来、32年の沈黙を破って、復活したのが『怒りのデス・ロード』であり、予告編をキッカケに興味を持ち、劇場へ足を運びました。
戦争で荒廃した未来の地球において、巨大な砦を支配しているイモーダン・ジョー(ヒュー・キース・バーン)に囚われていた5人の女性(ロージー・ハンティントン=ホワイトリー、アビー・リー・カーショウ、ゾーイ・クラヴィッツ、ライリー・キーオ、コートニー・イートン)を連れ出し、そこから脱出した女性戦士のフュリオーサ(シャーリーズ・セロン)を追跡するために、イモーダンの部下たちが動き出すが、そこに囚われていた元警官のマックス(トム・ハーディ)は機転を利かせて、それから逃れ、フュリオーサたちに力を貸す(粗筋、ここまで)。
オリジナルの三部作はVHSや地上波放映で観ていて、そこまで好きなシリーズでは無いのですが、印象に残ったシーンは多く、痛快なヴァイオレンス描写の数々が脳裏に焼き付き、それを観てから、『北斗の拳』を読んだこともあり、荒廃した未来の暴徒というと、本シリーズのキャラクターたちを想像するほど、強烈なイメージを開拓したシリーズなんだと思い、本作も観ている間は、それを再認識しました。暴徒のイメージは前三部作を引き継ぎながら、新たなヴィジュアルを構築し、21世紀に甦った『マッドマックス』だけに、より“狂気”さが滲み出た造形に、ワクワクし、そこに色鮮やかな砂漠の風景がイカれた世界を拡張している印象を持ち、それに圧倒されました。しかし、そこ以外に楽しめた部分は無く、題材は面白い筈なのに、全てが空回りしていて、非常に中途半端で、退屈しました。
出演者は良かったです。前三部作の主役がメル・ギブソンだっただけに後任となったトム・ハーディには「マックス役が務まるのだろうか?」と観る前は疑問を持ったのですが、ギブソンのイメージを引き継ぎながらも、独自の形を出して熱演していて、少し地味ですが、新たなマックス像を築いていました。頭を丸刈りにして挑み、女優魂を見せつけたシャーリーズ・セロンは勿論ですが、『トランスフォーマー ダーク・オブ・ザ・ムーン』の時は、「ここまで演技が酷いのは久しぶりかもしれない」と思わせたロージー・ハンティントン=ホワイトリーが、あの時が嘘のように演技が上手くなっていて、そこに非常に驚き、役柄に説得力を持たせていたので、この点は納得できます。
本作が中途半端に見える点は痛快なヴァイオレンスが伴って成立している『マッドマックス』シリーズの最新作の筈なのに、ヴァイオレンス要素が薄いところで、これは製作費が1億5千万ドル以上も掛かっている関係か、そこまで血みどろな描写を入れられなかったのかもしれませんが、R-15指定で公開されたわりに、全体的に生温く、2014年に公開された『スリー・ハンドレッド-帝国の進撃-』並みのヴァイオレンスを期待していたので、これは期待はずれで、イモーダン・ジョーの配下のウォー・ボーイズが皆、「極悪非道な事をやりまくりそう」と思える風貌だったので、見た目がそのようになってるだけな点にガッカリしました。
ジョージ・ミラー監督は2000年頃から、本作の製作に着手し、色々な問題で流れ続け、やっと完成させた事で、テリー・ギリアム監督が『ドン・キホーテ』を作るのと同じように念願の企画だったのは間違いなく、それが反映された力作に仕上がっているのは分かります。しかし、ミラー監督の産み出した『マッドマックス』シリーズは色々な作品に影響を与え、劇場公開作でも、未公開作でも、規模は問わずにオマージュしている作品が山ほどあり、人気の無い道路で暴走族に一般人が追いかけられたり、砂漠の真ん中で生存者がチェイスを繰り広げるだけで、そのオマージュが成立し、追ってくるのが暴徒じゃなくても、出来てしまい(『バイオハザード3』もその一つ)、本作公開までの15年間で更にその手の作品が増え、オリジナルよりも大胆でイカれたキャラを多数登場させて、豪快に話を描いたモノもあった(『ドゥームズ・デイ』など)だけに、本家の最新作である本作が、それらに先を越されていて、予算が多いので、カメラの早回しやカットを割って、ハイスピードな映像で見せたり、衣装やメイクなどの派手さや迫力などでは、当然、本作が上回っていますが、話に真新しさは無く、ミラー監督がこれまでに培ってきた演出と話の構成力が無駄に発揮され過ぎて、本作のような作品には不要な洗練さが際立ち、それで、真新しさの無い話をごまかしているようにしか見えませんでした。ただ、この洗練さが本作の成功を裏付けているのではないかと思うので、それが無かったら、ただの凡作で終わっていたかもしれず、これは効果的だったのではないでしょうか(ただ、自分に合わなかっただけです)。
今をときめくジャンキー・XLによる音楽にも期待していました。彼が手掛けた『パワー・ゲーム』、『スリー・ハンドレッド』のスコアはお気に入りなので、本作を手掛けているのを知った時から、「今度は、どんな音楽を聴けるんだろ」という感じで、期待は膨れ上がっていました。しかし、そんなに印象には残らず、全体的に効果音の迫力が大きい作品なので、それらに曲の印象をかき消されたように感じました。それもマイナスな点ですが、更にマイナスだったのはエンドロールで流れる日本版テーマソングであり、作品に全く合っておらず、その流れ方も不自然だったので、全く不要な一曲でした。予め流れることは分かっていても、流れている間は不愉快(私が観たのは字幕版だったので、吹替のみなら、まだ納得できますが、これは納得できません)な思いに包まれていました。本作が自分にとって、面白いと思えたとしても、この曲で気分を害していたのは間違いなく、本当に、こういう余計な事はやめてほしいと強く思います。
個人的には退屈した一作ですが、観て後悔するような作品ではなかったのが良かったと思っています。製作が決まっている次回作が楽しめる作品になることを願っている次第です。