「プロフェッショナリズムで「背が低くて、アジア人で、ハンサムでなく.....」を超越」ジャーニー ドント・ストップ・ビリーヴィン Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
プロフェッショナリズムで「背が低くて、アジア人で、ハンサムでなく.....」を超越
どちらかというとアーネル・ピネダのライフ・考え方が中心に描かれてる。彼はすでに60歳近いが、2024年のジャーニーで公演で歌っている。音域が狭くなってきているようで、アーネル・ピネダのイメージが変わって忍びない気がした。それより、このビデオでの彼の考え方は年を加えることにより成長したのだろうかが気になった。子供の時からホームレスになったり、母親の死後家族を支えていった10代の子供が学んだものは『家族共助』。名声を得てからの彼には物欲が見られる。当然であるが、彼の心の成長を助けたのだろうか。アーネル・ピネダが60歳近くになって思うことはなんだろう。彼のドキュメンタリーがあれば、彼の年配の歩みがわかる。彼はジャーニーで動いてない時は個人のバンドを持ってフィリピンで活動してると聞いたことがある。
このビデオでアーネル・ピネダの自分が選ばれたことが信じられないという様子がよく出ていた。「ええ、、自分が?本当に?」
また、最初のコンサートの前には「肉体的に準備はできてる、精神的にも...うちに帰って、家族にハグをしたい....」彼の感情表現がシンプルな英語を使ってよくでているね。
ファンもアーネル・ピネダに期待感を寄せてるいるし、白人はなくて、アジア人でよかった。もっとバラエティがあるからとか肯定的な意見が多く、私も嬉しくなった。でも、中には否定的で、彼が失敗することを喜んでいたり、モンキーと呼んだりするものもいて、これを語ってる時はアーネル・ピネダの顔が険しくなった。
最初のコンサートではジョナサン・ケインがアーネル・ピネダを
「.....a boy.....」と言ってるのにはおどろいた。差別的な扱いはいけないがジョナサンは気にしてるように思えなかった。直接そうは呼んでないが......
しかし、ジョナサンはボイス・コーチをアーネル・ピネダにしたあと、コメントを述べてるシーンではもうボーイを使わず、アーネルと呼んでいる。
チリで18万人の前で歌うとき、彼の18万という巨大な観衆の前で歌う喜びやら驚きやら緊張感がよく出ていた。自分がジャーニーと一緒に歌っていることにも信じられないという喜びが。
ドラマーのディーン・カストロノヴォがアメリカンバンドより、世界的なバンドになったと。アーネル・ピネダの加入で方向性が変わったようだ。
ショーラインは若きジャーニーのコンサートの場であったらしいね。年配の彼らが、ここでもう一度演奏するかは知らない。野外コンサート場の公演の前だが、ジョナサン・ケインのアメリカ的、プロフェッショナリズムの言動は一押して、アーネル・ピネダの心にも入ってくメソッドなので私にとってもちょっと疲れる。うまくいえないが、manipulateという言葉があるが、日本語で「巧みに操作する」。ちょっと言い過ぎのように思えるが、ジョナサン・ケインにはこのスキルがあるように思える。アーネル・ピネダ自身も風邪をひいたとはいえ、コンサートでのパーフォーマンスは健康の時と変わらないように聞こえる。これが、ジョナサンのいうように『フィリピンでも風邪でも歌ってたろう』の答えで、プロなのである。プロの道は栄光以上に厳しさがある。コンサートをすることがもっとも金を稼げる方法だから、次から次へとコンサートを。「ジャーニーにいる、ジャーニーでうたってる、それより素晴らしいことがあるだろうか」とアーネル・ピネダが自問自答するが、その言葉に悲しさを感じた。
最後の、フィリピンでのコンサート。
家族の見守る中で歌う。アーネル・ピネダの言葉で、「背が低くて、アジア人で、ハンサムでなく.....」という言葉が私の心に残っていながらフィリピン公演をみた。プロ!プロフェショナリズムに尽きる。「背が低くて、アジア人で、ハンサムでなく.....」の全てを乗り越えられる。
フィリピンでアーネル・ピネダはストリートの子供たちのために、
教育、福祉の協会を立ち上げたと。Don't Stop Believin'