「滅びの美学を壮大に描いた黒澤監督の映画美術」影武者 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
滅びの美学を壮大に描いた黒澤監督の映画美術
国内での評価は色々と論争が繰り広げられているが、個人的には面白く鑑賞出来て大変満足した。特に黒澤時代劇の色彩の映像美のみを論じるならば、これほどまでの創造性豊かな古典的造形美は、今の日本映画では他に求められないと感銘を受ける。黒澤監督ならではの美意識と表現力に圧倒されてしまった。それでも早い時期に撮影監督宮川一夫氏が途中降板したことを、とても残念に思い危惧していた。それが杞憂に終わり、先ずは一安心と言える。
確かに、この黒澤作品を期待外れの失敗作と評する文化人や一般観客の反応は、解らないでもない。と言うのも、これまでの黒澤時代劇の最大の美点であるストーリーテリングの面白さやアクションシーンのダイナミズムが、全盛期と比較して弱い。ここには、すでに齢70歳を迎えた巨匠黒澤監督の武田軍に寄せる人生観が反映されている。もはや勝敗の先延ばしに過ぎない影武者の使命感と悲壮感の入り混じった敗北者の虚しさが描かれていた。負けを認めず最後まで戦い抜く者の滅びの美学が、映画の様式美として表現されていた。その拘りに、完璧主義者黒澤監督の力量が集約されている。
主演を演じるはずであった勝新太郎との軋轢は、関係者の予想するところであったようだ。監督としての威厳と役者としての拘りの対立と齟齬は、両者以外ではどうにもできない。とても恨めしい出来事だった。もしもそのまま勝新太郎が演じていれば、彼の代表作になっていたに違いない。個人的には返す返すも残念でならない。
1980年 6月8日 日比谷映画劇場
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