劇場公開日 2013年11月23日

「“食わず嫌い”が多い映画」かぐや姫の物語 チンプソンさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5“食わず嫌い”が多い映画

2013年12月5日
フィーチャーフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

難しい

『竹取物語』と聞いて誰もが「知ってるよ」と答える。それぐらい浸透している最古の物語を題材にした作品だが、
大多数の人は本来の竹取物語を知らず、児童文学止まりな人もたくさんおり、人によって知っている『竹取物語』が違ったりする。
更に原文が存在していない『竹取物語』は、今日までに様々な人間によって改変されており、
誰もが知ってる『竹取物語』は本来の『竹取物語』ではない可能性もあるうえ、様々な描写不足、矛盾点、謎が未解決のまま。
それに1つの決着をつけようとしたのが、この『かぐや姫の物語』だ。

子供に読み聞かせていた物語として馴染み深く、絵本などでは物語として成立しているが、
『竹取物語』はその時代の風刺も加えられた、大人な作品でもある。
故に、私達の目に触れる媒体になった時には子供向けとして設定の一部が省かれたり、心理描写を付け足したりして、世の中に浸透した。
だから、この映画に対して「竹取物語そのまんま」という評価は相応しくない。そもそもの竹取物語に物語としての欠落部分が多過ぎるからだ。
なぜ姫は地球に来たのか、姫が犯した罪とは何か、地球に来て姫は何を思っていたのかなど、それらの疑問点を真っ正面から受け止めた映画であり、1つの解釈を作り上げた傑作と言ってもいい。

全体的に“悪”の描写が漂っており、むしろやり過ぎなくらいのものを演出している。
それは逆に言えば姫だけが“正”であるように見えるが、どちらも断言出来ない物語が繰り広げられており、人に寄っては“正”が“悪”に見えたりする。
この曖昧な状況に陥った人間は悩み、苦しむものだ。この映画のテーマはそこにある。
乱暴な言い方をすると、この映画の中では、まともな人間はほとんど存在しない。皆何かしら観ている人に不快感を与える人間ばかりだ。
その構成に疑問を抱く人がいないはずがない。けれども登場人物は皆、あの時代に沿って生きているだけだ。
1000年も前の人間に現代の価値観など通用しないと考える人もいれば、道徳論から否定する人もいるだろう。
2つの時代で抱える価値観の違いは、心の違いであり、この映画はその心の違いが大きな意味を含む。

度重なる姫の苦悩を、あなたはどう見たか。
「かわいそう」と感じる人もいれば「わがまま」と感じる人もいる。人は自分の心を抱いて生きている。
もし、その心が無い存在がいたとして、あなたはそれらを「生きている」と見るか「死んでいる」と見るか。
その不完全であるからこそ“生”を実感できることを伝えるに足る存在は、物語のあの月にいた「かぐや姫」しかいない。
そしてそこに、誰もが知ってるあの結末が加わった時、あなたはこの「かぐや姫の物語」の「かぐや姫」に何を思ったか。
避けられない結末の中で、姫は本当に地球に来て幸せだったのか。不幸だったのか。
ラストの姫がそれを教えてくれた。

「風立ちぬ」と同様のテーマを醸し出し、そしてどちらの主人公も、この世のありとあらゆる矛盾を抱き、理解した上で生きようとする。
どちらも伝わりづらい側面を持っているため理解されないのは仕方ないことなのかもしれないが、既知の物語だからとこの映画は観る気がないと思っているならば、むしろそれはチャンスと捉えるべき。
あなたが抱いていた「かぐや姫」とこの映画の「かぐや姫」。
見比べ、考えることで、より一層この映画の登場人物に共感又は反感を抱き、そしてラストであなたの答えが出るはずだ。

チンプソン