劇場公開日 2013年11月23日

「まとまっている=面白いではない」かぐや姫の物語 moviebuffさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5まとまっている=面白いではない

2013年11月24日
PCから投稿

楽しい

「かぐや姫の物語」はほとんど監督の最初意図したとおりの完成作品なのではないだろうか。絵がみごとなのはもちろん、物語の運びも無駄がないし、主人公のかぐや姫の感情や動機もはっきりと伝わってくる。いつもの彼の作品同様に、現代人への批判(本当の意味で生きているとは何かや、親の愛情と欲望の勘違い等)と自然賛歌のメッセージもしっかりと織り込まれている。

高畑監督の作品はどれも、「アニメーションとは何か」という批評性がある。宮崎監督の作品が今のジャパニメーション的なもの、「アニメ」の原点だとしたら、そういう所とあまり関係のないところで、「アニメーション」というジャンルの可能性について考えている映画監督。それが高畑監督のような気がする。

例えば「おもひでぽろぽろ」や「火垂の墓」を見ていると、アニメーションでこそ現実の風習を事細かに描くと、抽象化されて、いつまでも古くならないのだという事に気づかされる。(実写だと1945年を舞台とした戦争映画を撮ろうとしても、役者の顔やその時代の映像技術だとか、映画が撮られた時代がどうしても映りこんでしまう。)

そんなアニメーションの本質という事を常に考えている高畑監督だからこそ、漫画やアニメーションの原点にあたる日本人古来の絵巻物への興味があるのだろう。そしてその関心の延長線上に今回のかぐや姫の絵柄も存在する。

本作は彼の好きな作家、フレデリック・バックやノルシュテインらのように「絵が動く」事の面白みそのもの、つまりアニメーションの快楽の原点に挑戦している作品だとも言えるだろう。その試みも見事に成功している。

ただ、同時になんというか、そのどこをとってもな「まとまりのよさ」が「優等生」的に感じるのは私だけだろうか?

宮崎監督の作品は、特に後期の作品はかなりいびつと言ってもいい。物語の運びもキャラクター造詣も破綻がある。試行錯誤の後がそのまま残っているような作品ばかりである。でも、その中にアニメーションとしての圧倒的な魅力に溢れた「動き」や「イメージ」があり、その濃縮された「やりこみ」に狂気さえ感じてしまう。そこが誰にもまねできない。宮崎監督の映画でないと味わえないものになっている。

もっとシンプルに言えば、宮崎監督は全身全霊で命を削って作品を作っているが、高畑監督は作品に対してもっと客観的だという気がする。知性的ではあるが、それゆえ作品に「熱」を感じないのだ。

映画とは本当に「整合性」だけが大切な要素なのだろうか?そういう事を二人のジブリの監督の作風の違いから考えさせられる。

moviebuff
moviebuffさんのコメント
2013年12月3日

コメントありがとうございます!そうですね、僕も高畑監督は理論の人だと思います。「映像作家」といより、「演出家」という感じですね。

少し話がずれますが、自分の映画経験から言って、もちろん「面白い脚本」とか「話が上手くできている」ってすごく大切なんですけど、映画ってそれだけじゃなくて、あるシーンが忘れられないとか、あのムードが味わいたくてもう一度あの映画を見るとか、そういう事ってたくさんありますよね?それはつまり「物語」じゃない「イメージ」の力だと思うんです。そこも含めての映画でないと、話がただ単によく出来ているだけでは、「じゃあ、文章で読めばいいんじゃないの?」となりかねない。そこが映画というメディアの面白さだと思うんです。

で、その力があるのはやっぱり宮崎監督だという気がします。皮肉なのは映画という事をもっと勉強されているのは恐らく高畑監督の方にも関わらずです。やっぱりジブリはこの二人の関係性が非常に興味深いですね。

moviebuff
okinu-chanさんのコメント
2013年12月1日

本作についても、宮崎駿作品観についても、お書きになられたことにほぼ同感です。
「熱」を感じない理由として、高畑監督が理論の人であることを考えています。
言葉でがんじがらめになっている人の「不自由さ」を、この作品の奥に感じてしまいます。その意味で、狂気を解放できる宮崎作品とは本質が違うのではないかと。

okinu-chan