風立ちぬのレビュー・感想・評価
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菜穂子(苦難の時代)は風。二郎(日本)は飛行機。この作品は風が吹いた(苦難が時代が来た)から飛ぼう(生きよう)とする主人公(日本)の話である。
物語の要約:
飛行機が大好きな少年が大きくなり戦闘機の開発者になる話。話の途中で妻となる女性と運命的な再会を果たし結婚するが妻は病気で亡くなる。
点数:2.0
難しいのでお勧めしません。飛行機と妻と昭和初期の時代などテーマを詰め込みすぎている。難しすぎて退屈で面白くない。
ヒロインは主人公の妄想:
本作の病弱なヒロインはナウシカやもののけ姫とは違うヒロイン像を提供するが病弱だけではない隠し要素がこのヒロインにはあると思う。汽車の中で主人公とヒロインが初めて出会うシーンで風に飛ばされた主人公の帽子をヒロインがキャッチするが、その時初対面なのに二人がわざとらしく息の合ったセリフを言う。このわざとらしさからおそらくヒロインの菜穂子は主人公の二郎の妄想上の人物だと思った。妄想なので二郎はすぐに詩の後半が言えたのだ。リアルだったら汽車の音がうるさくて1回ではよく聞き取れないはずだ。さらに劇中では二郎は妄想が好きな人物として描かれている。飛行機に乗る夢を見たり、会ったこともないイタリア人の飛行機開発者と会う妄想もしている。だから菜穂子という人物も妄想だと思う。別荘でのプロポーズのシーンで二郎は紙飛行機を2階にいる菜穂子に投げるのだが紙飛行機の飛び方が飛びすぎて不自然なのは菜穂子が映画の世界に実在していない証拠である。菜穂子という人物は最初からいなかったと私は思う。実際では二郎は軽井沢の別荘に保養でいったのではなく妄想症の治療に行ったのだと私は推測する。
ヒロインの正体:
ヒロインの正体は風だと思う。風は目に見えないが飛行機を飛ばすためには絶対必要である。飛行機が飛ぶためには翼に揚力という力がかかっていないといけない。揚力を発生させるのは翼の形態と風である。風は目に見えないのでヒロインは妄想の人物である。だが主人公の二郎という飛行機を飛ばすためにはヒロインの菜穂子という風は絶対に必要な存在であった。
視聴:地上波テレビ 初視聴日:数年前 視聴回数:数回
追記:
この作品は日本の物語でもある。この物語は戦前の日本が置かれた状況(不況、災害、厳しい国内外の情勢など)を風に例え、戦前の日本を飛行機に例えていると思う。戦前の日本という飛行機は時代の苦難の風を受けて大空を高く飛ぼう(生きよう)としたがうまく飛べなかった(戦争に負けた)。しかし、物語の最後で菜穂子(風)は「生きて。」と言う。何度も逆境の風を受けようとも日本は飛んで(生きて)くださいということが作品のメッセージだと私は思う。
追記2:
逆境の時代はどこの国にもあるので他の国でもこの物語は通用すると思うがこの物語で国内外の太平洋戦争の日本の悪印象を払しょくすることはなかなかに困難であろうと思う。それはこの作品のもつ物語の美しさゆえである。この作品が太平洋戦争を美化しているという他国の批判は避けられないであろうと思う。戦争の時代、生きようとしたのはどこの国もみな同じであるのでたとえば外国人のカップルも登場させて菜穂子と二郎のカップルと対比させるとこの物語の重厚さが増したと思う。
追記3:
この物語が言っていることは戦争の時代はどこの国も生きようして戦争するのであって決して死のうと戦争するわけではないと言っていることだと思う。戦時中の日本は国のためなら死ぬべきという思想があったと思うがこの死の思想とは真逆の生の思想によって日本は生きようとしたが結果悲惨な戦争が生まれたとこの作品は言っていると思う。日本は逆境を受け生きようとして戦争して負けたが負けても生きようとしていることはまったく変わっていない。いつどの時代の戦争にも死ぬ思想はある。例えば宗教のため、あるいはイデオロギーのため、あるいは国家のためなら死ぬべきという過激な思想。この作品はそれとは真逆のこと言っている。私は戦争を肯定したくはないが、戦争は「生きる」ための手段でしかありえないので戦争のために死ぬのは間違っている、それを忘れないで戦争というものを知ってほしい、とこの作品の作者からメッセージを私は受け取りました。
追記4:
菜穂子は結核の治療のため大好きな二郎のもとを離れますがこの時の菜穂子の気持ちは愛する人のため最後まで生ききる決意に満ちていたと思う。二郎という愛する人のために「生きる」選択をした菜穂子の姿が戦時中、そして今の日本の本当の姿だと作者は言いたかったと思う。作者の日本への愛は菜穂子の行動のように「生きる」ということに集約されていると感じる。日本は戦争に負けようが時代が令和に変わろうがまったく変わりなく風の中をずっと飛んできた(生きてきた)といえる。風が吹くから飛べるようになる。つまり、逆境があるからこそ生きる力が生まれてくるということである。ピンチは飛ぶためのチャンスということである。
追記5:
この作品ではヒロインの菜穂子は昭和という時代そのものの比喩であり主人公の二郎は日本の比喩である。とすればカプローニは日本が追いかけていた理想の欧米文明の比喩であろう。ただしカプローニは現実の欧米文明ではなくあくまで理想化された欧米文明であると思う。現実の欧米文明の発展は植民地主義や奴隷貿易やアヘンや武器商人の暗躍などの暗い部分に支えられていたのだがカプローニは欧米文明の最新の農業や科学技術や政治経済のシステムなどの明るい部分だけをクローズアップし理想化された欧米文明の比喩である。しかし日本は欧米文明の明るい部分だけを真似したのではなく暗い部分もゆがんだ形で真似してしまった結果が現在の日本を形成している。と私は思うのである。
追記6:
人類は時代という風がないと飛べない飛行機であるが2度の世界大戦の時期はつらい風であったと思う。戦争が人類に必要なのではなくて時代が人類には絶対に必要である。人類は時代がないと前進できないからだ。確実にいえることは人類は飛行機のように前に進んでいるということである。
追記7:
実在の堀越 二郎は昭和初期に日本の零式艦上戦闘機を設計した有名な技術者である。当時の世界は科学技術が目覚ましく進歩して様々な兵器が登場した時代であった。潜水艦、航空機、戦車、レーダー、ロケット、毒ガス、など枚挙にいとまがない。産業革命により工業製品の大量生産・大量消費しなければ死ぬ呪いにかかった列強は生きるために戦争を起こさざるを得なくなった。それは作らないと死ぬ呪いである。兵器が高価で複雑になればなるほど兵器を大量消費する戦争は国家にとって重要となった。作らないと死ぬ呪いにかかった国家は何かを作り続けないといけなくなった。戦後の日本は生きるために自動車や機械を大量に作った。
追記8:
堀越二郎にとって菜穂子という時代の風はおもに戦争であった。堀越二郎という飛行機は戦時中の兵器開発競争の時代の風を利用して飛ぶこと(生きること)を試みた。宮崎監督にとって菜穂子という時代の風は戦後のアニメや漫画の流行であったのかもしれない。戦後のアニメや漫画の流行という風は宮崎監督という飛行機に飛ぶこと(生きること)を試みさせた。宮崎監督にとって菜穂子はアニメや漫画そのものかもしれないと思う。とすると菜穂子が結核に倒れる本作品を作った宮崎監督は現在の漫画やアニメ業界に危機感を持っているのかもしれない。
追記9:
現在の漫画やアニメ産業は世界的に成長産業である。スマホやテレビは世界中で一人一台があたりまえになりつつあるので日本の漫画やアニメはすぐさま翻訳され世界中の人々に提供されている。宮崎監督が現在の漫画やアニメ産業に危機感をもつと思われるのはどの部分であろうか。風立ちぬでは(あくまで架空の本作の設定で実際の本人は飛行機を名誉やお金や会社のために作ったりしたのかもしれないが)平和に飛行機を作りたかった主人公が利用され作った飛行機を戦争に利用させられたが宮崎監督は純粋に人々を楽しませる質の高いアニメ作品を作りたいがそれを広告産業のお金儲けに利用されられる漫画やアニメ産業に危機感をもっているのかもしれないと私は思う。不本意な目的で戦闘機を作らせられている映画の堀越二郎を不本意な目的でアニメを作らせられている宮崎監督自身に重ねているのかもしれない。
追記10:
広告産業がアニメや漫画を利用するのは多くの人が長時間注目して見るからである。多くの人の注目を集めることがどれほど価値があるのかは広告産業で動く金額の規模を見ればわかるであろう。現代ではコマーシャルが世界を支配しているといっても過言ではない。コマーシャルはいろいろな効果を持つ。商品を買わせたり流行を操作して作らせたりできる。偏見や差別や憎悪を世界に広めたりその逆もできる。ばれないように政治に利用することも不可能ではないと思う。広告業界がアニメや漫画に目をつけ利用するのはいいことばかりではないと宮崎監督は知っているのであろう。
追記11:
アニメや漫画はかつて戦争に利用された経験がある。戦争ではなくお金儲けのなどの手段に利用される現代のアニメや漫画は青少年の成長や国民全体や国家の未来にも影響をおよぼしていると思う。1980年代のアニメや漫画は最初の全盛期であったがそれに影響された当時十台の若者は現在働き盛り年代であるが現在の日本における様々な問題の解決には当時のアニメや漫画は無力であったと思わざるをえない。当時叫ばれた環境問題は世界で悪化する一方であるし盛んに恋愛漫画が作られたが仕事がなく収入がなくては恋愛どころではない。広告産業に利用されるだけのアニメや漫画は日本や世界の問題解決には無力であった。現在のアニメや漫画は人類への貢献が低いという危機感を全人類がもたねばいけないような気が私はするのである。
追記12:
広告産業に利用されたアニメや漫画は国民を愚民化し、考える力を失わせ、偏見を植え付け互いに仲たがいさせるよう仕向け、アニメや漫画を見る国民を資本主義社会の底辺の従順な宗教の信者に仕立て上げ人類を苦しめている。これは飛行機が戦争に利用され人類を苦しめたのと同じ構図である。本作品の堀越二郎は作ったアニメが不本意な目的に利用される宮崎監督や庵野監督のことを指していると思われる。
追記13:
世界中の多くの人々がアニメや漫画を見れば見るほど世界は良い方向に向かなくてはいけないと危機感をもっている宮崎監督の渾身の作品が本作品であると思う。かつてキリスト教の聖書や仏教の経典は人類の創作物でありながら多くの人の人生を助けたがそのような役割がアニメや漫画本来のものであると宮崎監督は信じていると思う。しかし宗教の創作物も不本意な目的に利用されてきた歴史がある。植民地支配にキリスト教はかかせなかったし、民衆の不満を解消することなく宗教で煙に巻き権力者が安定して民衆を支配する手段としても機能した。と思う。
追記14:
本作品は主人公の堀越二郎が才能を戦争に利用され妻も結核で失うバッドエンドであり読後感が良くない。バッドエンドは珍しい。
宮崎 駿監督作品一覧
カリオストロの城(1979年)
風の谷のナウシカ(1984年)
天空の城ラピュタ(1986年)
となりのトトロ(1988年)
魔女の宅急便(1989年)
紅の豚(1992年)
もののけ姫(1997年)
千と千尋の神隠し(2001年)
ハウルの動く城(2004年)
崖の上のポニョ(2008年)
風立ちぬ(2013年)
君たちはどう生きるか(2023年)
本作品は宮崎監督の11番目の作品であるが2013年は東日本大震災などの災害やイラク戦争が長く続き、北朝鮮のニュースが盛んに放送され日本でも戦争の軍靴の足音が遠くから聞こえてくるような時代であった。先行きの不安な時代をこの作品のバッドエンドに込めたのかもしれないと思う。
追記15:
私が宮崎監督の作品を映画館で観たのは魔女の宅急便が初めてであった。私は大画面のスクリーンで空を飛ぶキキの姿を見て本当に空を飛んでいる気分になったが同時に年頃の少年だった私はキキが衣服の遠慮なく飛ぶ姿を見て気恥ずかしかった。しかし年をとってアニメを見るのは気恥ずかしくなくなった。
『魔の山』とモネの『日傘の女』をリスペクト。
震災で始まり、空襲で終わる。
それがなければ、この映画はベタなメロドラマに過ぎない。
彼らは天才的な技術者であっても、中国人にとっては、ある意味『オッペンハイマー博士』のような方。
空襲の戦火や黒雲のあとに彼らの作った飛行機の残骸が現れる。つまり、下に住む人たちは日本の本土とは限らない。戦闘機や爆撃機は敵を攻めるものなのだから、国土で落ちて残骸にならないのだから。
DISNE◯映画故にの美国のやった愚行等の微塵も出てこないが、それ以上の事を近代国家以前の大日本帝国は海外へもそして自国民に対しても行っている。
それが最後に分かり、共感とする。
追記
これから、僕は近代国家になったかもしれないドイツへ向かう。
追追記
彼の最初に作った爆撃機はユンカース急降下爆撃機にそっくりだが、実用されたのだろうか?
大人になったから理解できた
ジブリの中でも宮崎駿作品が大好きで、今まで駿作品を何度も繰り返し見てきましたが、風立ちぬだけは、レビューや、色々な考察を見て、どこか忌避しているところがあり、今日初めて最初から最後まで見通しました。
「堀越二郎が仕事に没頭して病気に侵された妻を放ったらかしにしている」、「カプロー二は『ファウスト』のメフィストで、望みを叶える代わりに菜穂子を連れて行った」などの感想や考察がありますが、私は純粋に、この映画を見て、ただただ感動しました。
まず、堀越二郎さんは、困った人や助けを求める人に分け隔てなく手を差し伸べるような優しさや、困難が立ちはだかっても諦めずに立ち向かう勇敢さを持ち、嘘や偽り、羞恥に誤魔化されない清廉な心を持つ、格好いい男です。駿作品のどの主人公にも劣らない、素晴らしい人物です。
この物語は、菜穂子さんとのラブストーリーのように評価をされる方が多いですが、私は、そこに重きが置かれているわけではないと思いました。
日本が、貧乏で武力的にも弱い時代。堀越さんは、最初は美しい飛行機を作りたいだけだったかもしれませんが、そのためには、お金を工面するため軍が要望してくるような戦闘機を作らなければなりません。また、仕事を進めていく中で、日本と世界との飛行機製造技術の乖離を突きつけられ、いつしか日本の先頭で、飛行機製造を担っていくことになります。堀越さんは、決して聖人ではないと思います。自分の夢を叶えるために、戦闘機を作る覚悟もしていた。誰しもが経験したことのある、夢と現実との葛藤です。そして、多大な融資を受けた仕事を遂行する重責を感じる日々。その堀越さんのロマンに加えて、計算や、理論では推し量れない、菜穂子さんとの「愛」がある。この、温かく我儘な二人の愛は、言葉で片付けられません。
菜穂子さんが結核に侵されている時、堀越さんが煙草を吸うシーンがありますが、レビューでは、「堀越さんが冷たい」と書かれてあるものがありました。でも、物事の分別よりも今の二人の時間を優先してしまうことってあると思うんです。二人は、一日一日を大切に、人間的に生きていくことを望みました。堀越さんが冷たいのではなく、お互いを想う気持ちが止められなかった、ただそれだけだと思うのです。「美しいところだけ…」というセリフで、もちろんそれもあると思いますが、菜穂子さんは、堀越さんが飛行機を完成させるまで、一緒にいてあげたかったのかなとも思います。
最初は、なぜ今まで見ていなかったのか、とも思いましたが、社会を知り、愛を知り、今だから感動できた、という気持ちの方が大きいです。日本人、全成人に見てほしい素晴らしい映画です。
日本を背負って発展させた先人達に感謝を持ちつつ、私たちの使命を痛感しながら、堀越さんのように世界を先駆け、日本を支えられるよう、明日からまた精進していきたいと思います。
何を伝えたい作品なのか分からなかった
ジブリの中では長い(120分超)のに薄く、正直退屈してしまった。
実在の人物を忠実に描くためには仕方ないのかと思ったけど、「堀越二郎」は名前と職業のみ借りていて、彼の中身は風立ちぬの作者とのこと。創作であればやっぱり微妙と思った。
「生きねば」というほど主人公が生きるために苦労しているように見えない。
この国はどうして貧乏なのかと言いつつどこか他人事のように見える。
美しい飛行機を作りたいという純粋な夢が殺戮に繋がることを、葛藤している描写が特にない。
ぼんやりしてて変わり者で優しいのは魅力的だけど、ただそれだけなので物語も平坦に進む。
他の人も話している声問題もやっぱり気になった。
耳をすませばの雫父もなかなかの棒読みでびっくりしたけど、あれはどこにでもいる普通のお父さん感があって逆にいいんだろうなと思えた。でも堀越二郎はこの作品の主人公でずっと中心にいるので、更に物語を平坦に感じさせる一因になっている気がした。そもそも青年役にしては声が重たいような、、
また、ヒロインは二郎に恩があり少ない交流の中で好きになる理由が分かるけど、二郎はなぜヒロインを愛しているとまで言えるのか最後まで分からなかった。
再会してからは紙ひこうきで遊んだくらいでは?
唯一、
周りの人が「健気だ」と当たり前に助けてくれるのは都合がいいなと思いつつ、
菜穂子が(おそらく)自分の限界を悟り束の間の夫婦生活を強行したところ、「美しいところだけ好きな人に見てもらったのね」という上司の妻の言葉には感動した。
少年の夢
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少年時代から航空機の設計技師になりたかった主人公が、
見事にその世界のエリートとして日本初の飛行機を開発する。
でもその技術は零戦に使われる悲しき運命。
あと嫁も結核で早くなくしてしまう。
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少年時代の純真な主人公が夢をかなえる物語。
でももうちょい嫁のことを大事にして上げなさいよ。
と言っても今と時代背景が違うから、行動に違和感を感じるだけで、
彼は彼なりに妻を愛しているというのは伝わったからいいか。
宮崎駿監督からの激励
結論として、面白かったし、テーマ性も良かった。テーマ性というが宮崎駿の言いたい事は、作品を見る『日本の少年』達に対して二郎のようにいろんな障害に揉まれながらも藻掻いて自分の目的に向かって邁進していけという激励かと思う。
夢という象徴を多様した作品なので、物語は実際の日本の出来事ではあるが夢の描写が視覚的なファンタジー要素となっており、子供でも楽しめる内容だと思う。全体的に宮崎駿の趣味が全開となっている感じがしたし、堀越二郎 = 宮崎駿のようにも感じた。
戦争の泥臭さとは隔絶された場所での彼の格闘は、勝ちにつながらなかったが二郎を中心に『ゼロ』の結実に向けて前進し目的を達成したという意味で価値があると思う。また、里見菜穂子のポジションは堀越二郎の頑張りになくてはならなかったものだと思う。個人的には、最後の描写も含めてグレンラガンというアニメ作品における登場人物でヒロインであるニアが思い浮かんだ。
今作を見てあらためて主人公に目的意識があり、その障害と格闘してあがいていく作品は面白いと学んだ。
タイトルなし(ネタバレ)
最近ジブリ映画は観なくなっていたのだが、庵野秀明が声優をやっているというのを今更ながらに知り、金曜ロードショーで視聴。前知識はその程度しかなく、視聴が終わった後に調べて零戦を設計した堀越二郎をモチーフにした作品であると知りました。個人的に時代がどんどん流れて行くのが非常に良かったです。一つの場面の長さが少なく、飽きが来る前に次のシーンへと移り変わります。
二郎は菜穂子に出会うまで仕事一直線という感じであり、出会ってからも仕事がメインという感じでまさに仕事人間という感じです。菜穂子が療養所に行ってしまっても追い掛ける様子もないため、結婚するために家まで行ってたのに理解出来ないと思った人も多いのではないでしょうか。しかし二郎は菜穂子の意図を汲み取り、仕事を続けることを選びます。
仕事をしたことが無い子供はもちろん、おそらくものづくりの仕事に一切携わったことがない人は面白くないと思うのでは?と偏見ながら思ってしまいます。私自身は文系ですが、二郎が飛行にのめり込むことが非常に納得出来ます。それほど二郎の環境は恵まれており、理解のある上司、ライバルというよりも共に高め合う同僚、応援してくれる菜穂子。仕事に邁進し、夢を追い、技術を高める環境が整っています。
近代化して行く日本が太平洋戦争を経て焼け野原になる。その一端を担った二郎は自責の念に囚われるということがありません。薄情だとか罪悪感が無いのかと怒る人もいるかも知れませんが、零戦が出来ようが出来なかろうが戦争は起こったでしょうし、そこにいちいち罪悪感を持つなんてのもおかしな話です。
人を選びますが先述した通り、ものづくりの経験がある人には非常に楽しめる作品だと思います。最初は酷い棒読みだと思った庵野秀明の声優も段々癖になって来ます。感情移入させない為に庵野を起用したそうですが、後半ちょっと上手くなってるのもいい塩梅です。恋愛映画だと思って観るとなんじゃこりゃ?と思うことは間違いないです。
「日傘の女」をコードに風立ちぬを読む
菜穂子が、丘の上にパラソルを立てて、スカートを揺らめかせて、絵を描いている場面をみて、モネの「日傘の女たち」を思い起こした。モネの妻のカミーユが若くして病気で死んだように、菜穂子も死んでしまうということが暗示されているように思う。
二郎は美しいものが好きで、その最たるものが飛行機である。きっと二郎は飛行機の次に菜穂子が、美しいから、好き。二郎は美しいものにしか興味がない。たとえば、美しくない妹との約束はいつも忘れる(美しくないから興味がない)だからこそ、妹にも「にいにいは薄情者です」と言われてしまう。
モネも妻のカミーユが死んだ時、「深く愛した彼女を記憶しようとする前に、彼女の変化する顔の色彩に強く反応していたのだ」という言葉を遺し、彼女の死顔を「死の床のカミーユ・モネ」という絵に残した。妻への愛情より、色彩のうつろいゆく変化の方に惹かれてしまうのである。
二郎とモネという天才に共通する、薄情さ、というか、天才すぎるゆえに人間らしさが抜け落ちてしまっている部分が伺えるように思う。
二郎が美しいものにしか興味がないことは、菜穂子はわかっている。だからこそ、菜穂子は一人で山に帰って、一人で死ぬ。そうすることで、二郎の記憶には美しいままの菜穂子の姿だけが残る。菜穂子は、黒川の奥さんが「きれいなところだけを好きな人に見てもらったのね」と言うように、美しい部分だけを見せる。
二郎も菜穂子も、互いに歪んだ愛情を持っているように思う。
菜穂子は絵を描く画家であり、カミーユは、画家に描かれるモデルである。描く/描かれるという差異は、死顔を見せず美しいまま死ぬ菜穂子と、美しいとは言えない青ざめていく死顔すら描かれてしまうカミーユ、という対照的な死に方にも表れる。
菜穂子は美しいまま死ぬことによって、「永遠の女」になる。菜穂子が闘病でぼろぼろな姿になったり、病気なく老いていったとすれば、きっと、美しいものにしか興味を持たない二郎は菜穂子を愛せなくなるだろう。
最後の場面でカプローニが菜穂子を「美しい風のような人だ」と言う。モネはかつて「人物を風景のように描きたい」と言い、「日傘の女」の姿を風と同化させて描いている。
つまり、この物語においては、結局、菜穂子は風景にしかすぎず、二郎が前景化されていく「二郎と零戦の物語」だ、と解釈することができるだろう。
この物語は、非常に美しく見えるが、読み解いていくと、その美しさと同じくらい残酷な物語であるといえるのである。
メモ
・永遠の女にはダンテ「神曲」のベアトリーチェも重ねられている。
飛行機・歴史好きの方にお勧めの作品
効果音は人の声、美しい絵などの素晴らしい点もあったけれど見ていて感じたのが宮崎駿が自分の好きなもの飛行機(とりわけイタリア機、ジブリも元々はイタリアの飛行機の名前)そして太平洋戦争に対する非難(勝手に満州事変をはじめ、飛行機も燃えやすく防弾性能が酷かった、輸送能力も御粗末だった)を詰め込んで作った作品だなと思った。
戦争、実らぬ恋、飛行機はジブリが推していたチェコスロバキアの戦争映画「ダークブルー」にも似た構図
当時の時代背景にそれ絡みの人物もうまく描写で来ているなと思った
宮崎駿監督の憧れ
ちょっと前に映画館でジブリを観まくったので、その勢いで連休中に観ていなかったジブリ作品を観てみよう個人的キャンペーン。というわけで「風立ちぬ」を観ました。
エンターテイメント?散々やったからもういいでしょ。それよりも自分が昔から好きだった飛行機のエンジニアの話や憧れの大正から昭和初期の話やるべ!っていう感じの作品でした。エンジニアやってる人にはビンビン来るのかもしれませんが、私はエンジニアではないので「ふーん」でした。特に苦労している雰囲気もないしなぁ。あまり主人公に感情移入できません。
それより菜穂子とのシーンの方が好きでしたね。あの時代の恋愛の意識というか、震災で出会い避暑地での再会、山の病院を抜け出して名古屋まで来て、結婚してしばらく一緒にいて、最後はちゃんと部屋を片付けて去っていく。切ないですがカッコいいと思える生きざまです。この映画を昭和にやってたら大反響だったのではないでしょうか?
でも、なんかもう庵野秀明が棒演技過ぎて。これがわからないって元々のセンスから怪しいにしろ、もう宮崎駿監督も年寄り過ぎて耳が遠くなってたのかなっと思えてちょっと悲しくなります。色々監督は考える所があったにせよ、観てるこっちは変なものは変としか感じないです。ジブリって声優で作品自体損してる気がします。勿体ないよなぁ。
ちょっと追記
レビュー書いた後に皆様のレビュー観てるとホント賛否両論で面白いです。レビュー数もメッチャ多いですし、これだけ色んな人の意見を引き出せるって単純にスゴいと思います。改めて宮崎駿監督は日本を代表する監督だと思いました。
ひたすらに「美しさ」を追求した、巨匠渾身の一作。 宮崎駿に敬意を込めて、生きねば。
零戦の設計者・堀越二郎の狂気にも似た情熱と、妻・菜穂子との恋愛を描いた歴史劇アニメーション。
監督/脚本/原作は『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』の、巨匠・宮崎駿。
主人公、堀越二郎の声を演じるのは、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ(監督/脚本/原作)や『さくらん』(出演)の、映画監督・庵野秀明。
二郎の友人である航空技術者、本庄の声を演じるのは『メゾン・ド・ヒミコ』『ストロベリーナイト』シリーズの西島秀俊。
二郎が所属する三菱重工業設計課の課長、服部の声を演じるのは『海猿』シリーズや『パコと魔法の絵本』の國村隼。
二郎の夢の中に現れるイタリアの航空技術者、カプローニの声を演じるのは『陰陽師』シリーズや『のぼうの城』の、狂言師・野村萬斎。
第41回 アニー賞において、脚本賞を受賞!
第85回 ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞において、アニメ映画賞を受賞!
第37回 日本アカデミー賞において、最優秀アニメーション作品賞を受賞!
原作は2009年〜2010年にかけて「月刊モデルグラフィックス」に連載していた漫画「妄想カムバック 風立ちぬ」。これは映画鑑賞後に読了。
まず注意したいのは、本作は実在の航空技術者・堀越二郎(1903〜1982)の自伝映画ではないという事。堀越二郎の人生をベースにしながら、そこに作家・堀辰雄(1904〜1953)の自伝的小説「風立ちぬ」(1937)をミックスして作り上げた、完全なるフィクションである。ヒロインの名前は堀の長編小説「菜穂子」(1941)から取られているなど、飛行機マニアと文学オタク両方の資質を持つ宮崎駿の”妄想”の結露とでも言うべき作品なのだ。
宮崎駿がアニメ制作に携わるようになって50年目という節目の年に発表された本作。公開後、宮崎駿は長編アニメ監督からの引退を発表。この映画が彼の引退作品となった(はずだったのだが…)。
本作最大の特徴、それは説明を徹頭徹尾排除しているという点であると思う。
作中、いくつも印象的な場面が描かれるのだが、それが一体なんだったのか教えてはくれない。ドイツ留学中の出来事とか、クレソン食いまくるカストルプさんの正体とか、何か意味があるようなのだがその答えは描かれない。観客が考えることで答えを導くしかないのだ。
また、二郎という男の心理についても分かりやすい形では描かれない。喜怒哀楽の薄いこの男の感情を読み解くためには、多少の読解能力が必要となることだろう。
観客をふるいにかけ、ついてこられないものは容赦なく置いていくという非常に不親切な映画であることは間違いない。ジブリなんだからどうせ子供向けでしょ、なんて思っていると痛い目を見ることになるだろう。
確かに分かりやすい映画ではない。時間経過や場面展開が唐突で、形が歪なところも少々気になる。菜穂子との恋愛描写もちょっと湿っぽすぎるんじゃないの?なんて思ってしまう。
でもこの映画、めちゃくちゃ感動するんです。初鑑賞時なんて劇場でボロ泣き…😅
その理由はやっぱり、宮崎駿が真剣に「美しいアニメ」を作ろうとしているからだと思う。整合性やストーリー性、分かりやすさを排除してでも、どうしても描きたかったものがある。そういった想いがスクリーン越しにビシバシ伝わってきて、その創作意欲と制作姿勢に胸が揺り動かされてしまった。
本作の主人公の堀越二郎は目が悪いことに対するコンプレックスを持っている。朴念仁の様でありながら女の子にはすごく興味がある。
そして、飛行機が大好きで大好きで堪らない。それが戦争の道具であることはわかっていながら、開発を止めようなどとは露程も思わない。
…いや、こんなもん完全に宮崎駿自身の投影じゃないですか!
アニメがただ消費されるためだけのコンテンツである事を理解していながら、どうしてもそれを作ることをやめられない。周囲にどれだけ敵をつくっても、同じ道を歩む息子との間に大きな壁を作ってでも、ただ自らの理想である「美しいアニメ」を作ることに執着し続ける。
純粋な熱意に突き動かされる自分自身と堀越二郎を重ね合わせ、それを凄まじい妄想力で一つの作品として成立させてしまう。宮崎駿の正直さと、純粋ゆえの狂気はやはり凄まじい。
ちなみに、「タインマスへの旅」(2006)という宮崎駿のエッセイ漫画があるのだが、この作品では宮崎駿自身が作家ロバート・ウェストール(1929〜1993)と夢とも現ともつかぬところで出逢う。この関係性は本作における二郎とカプローニのそれと酷似している。この点からいっても、二郎が宮崎駿の投影である事は間違いないだろう。
二郎は大きな挫折と絶望を経験するが、最終的にはありのままを受け入れ、自己を肯定するに至るというエンディングを迎える。
ここに、宮崎駿の50年間にわたる葛藤と闘いの日々が込められているような気がする。自分が歩んできたアニメーション制作という道は果たして正しかったのか、苦悶の末に導き出した答えを作品の中で明示してみせた。その姿勢と覚悟にもう大感動ですよ!あのエンディングを鑑賞した時、心底宮崎駿作品を見続けてきて良かったと思った。
庵野秀明の声優起用は色々と物議が醸したが、個人的には全然アリ。はじめこそ違和感があったけど、後半になればキャラクターとピッタリ一致してきて普通に泣かされます。
そもそも、自分のアバター的なキャラクターを普通の役者にやらせたくなかったのでしょう。愛弟子のような存在である庵野秀明にこそ、宮崎駿はこのキャラクターを演じて欲しかったのではないでしょうか。その師弟愛に、また胸がジーンとしてしまうのです…。
宮崎駿が引退を覚悟して作った作品。その凄みは確かに伝わりました。
やれタバコ吸いすぎだの左翼的だの、歴史認識が甘いだのとなんか公開当時は色々とケチをつけられていたような気もするが、そんなことはどうでも良い。「美しいアニメ」だった。ただそれだけです。
当代最高のクリエイターとしてその生き様を我々に示し続けてくれる宮崎駿に敬意を込めて、生きねば。
風立ちぬ
途中から涙腺ゆるみっぱなしだったので、「やばい、歳のせいか…?」と思ってましたが、皆さんのレビューでも結構、泣いておられる方がいて安心しました。
一緒にいられた僅かな時間を、本当に大切に愛おしみながら過ごす二人。
やべ、、、シーン思い出したら、また泣けてきた…。
庵野氏の棒読みをもってしても、わたしの涙を止めることは出来ませんでした。
ユーミンの「ひこうき雲」に救われた気がする
見終わってすぐにこの映画を面白いと感じられず、無の状態でエンディングの「ひこうき雲」聴いていた。歴史を全く知らない&興味がない自分はこの映画をみる資格がなかったのかもしれない。内容に関しては偉そうなことを言うつもりはないが、ヒロインと再会するのがあまりに遅すぎなのではないかと。酷評の目立つ庵野監督の声はトトロでの糸井重里ととても似た感覚で嫌いではない。宮崎駿監督が描く大人の愛をほんの少し見ることができたのが良かった。
メッセージ性
二郎の夢「ただ美しい飛行機を作りたい」は叶いはしたが戦争に使われ一機も戻らなかった。菜穂子は弱る前の美しい姿で二郎と結婚をしてその姿を愛する二郎に捧げることで寿命を減らし短命な人生を送る。この映画では「美しさを求めることは残酷である」ということがテーマになっていると思った。
また最後に菜穂子が二郎に「あなた生きて」と言う。これは妻に先立たれ、傑作の飛行機は戻って来ず、戦争も負けてしまい打ちひしがれている二郎に対して、「美しいだけじゃない人生を泥臭く生きろ。」というメッセージが込まれているのかな。監督はこれを見ている人に伝えたかったのかなと思うし、改めて宮崎駿の伝え方の上手さに感銘しました。
何かに魅せられた者の光と影。
私の身の回りでも賛否分かれる作品なんだけど、何かに心底魅せられた人間の光(エネルギー)、そしてそれ故に傍らに落ちる影を描く作品として観るなら私は素晴らしい作品だと思う。
夫婦愛の素晴らしさとか求めちゃいけない。
飛行機の美しさに魅せられ、美しい夢の世界でいきいきと敬愛するカプローニ博士と語らう堀越二郎。
彼の夢の世界のイメージ、光に溢れたカプローニ博士との飛行シーンなどは本当に素敵で、好きなものに対する喜びや理想に溢れていて、観ていてわくわくする。
(これらは監督・宮崎駿さん自身の空想でもあるんだろうね。)
あと菜穂子さんとの結婚式のシーンは本当にぞっとするほど美しい。
でも自分の理想の美しさを追い求める二郎は、結果的に第二次世界対戦の日本軍の特攻作戦に加担することとなり、愛する妻・菜穂子さんの最期にも会えないのだ。
自分の夢や理想を追い求めることは美しい。
でもそれは時に誰かを不幸にもし、また自分の他の大切なものは二の次にせざるをえないという、夢追う者の背負う業は確実にある。
何回か観てるとラストの菜穂子さんの言葉は違和感を感じてしまうな(あれは二郎の夢の世界の菜穂子さんなのだから、あれでは二郎があまりに自分勝手といえなくもない)。
様々な想いを胸に、今を生き抜く
通常スクリーンで鑑賞。
原作マンガは未読、原案(風立ちぬ)は既読。
じわぁっと胸に染みて来る作品でした。多くを語らず、多くを見せず、行間が豊かで、想像力を刺激して来る描写に徹しており、心を揺さぶられました。時空を越え空間を越えて、豊かなイマジネーションに彩られた物語が、史実と小説と空想が巧みに入り乱れながら、まるで詩のように編まれていました。
堀越次郎が飛行機に捧げる情熱。彼と奈穂子が織り成す美しい生の賛歌。どれもが胸を打たれるものでした。夢、現実、苦難、愛、幸福、覚悟、後悔。およそ人生で経験するであろうことがぎっしりと詰まっているように思いました。
決して平坦では無い道のりでも、そこで出会う様々な事柄に影響を受け、時には挫折を味わうかもしれませんが、それでも進んで行かなくてはならない。想いの赴くままに。
混迷している時代だからこそ、己を見失わずに生きていくことが大切ではないかと訴えているように思いました。懸命に生き抜くこと以外に、大切なことがあろうか!?
[余談1]
主題歌「ひこうき雲」が見事なマッチング。本作と出会ったのは運命の仕業だと思いました。見事な余韻に痺れました。
[余談2]
宮崎駿監督の引退作として公開されましたが、その後宣言は撤回され、真の引退作となる「君たちはどう生きるか」の公開が待ち切れない今日この頃であります!
[以降の鑑賞記録]
2014/? ?/? ?:DVD
2015/02/20:金曜ロードSHOW!
2019/04/12:金曜ロードSHOW!
2021/08/27:金曜ロードショー
※修正(2024/05/21)
ある意味1番好きかもしれない
賛否両論あるようですが美しいけれど美しいだけじゃないとても素晴らしい映画だと思いました。二郎の菜穂子と仕事のどちらか選べないところは残酷ですがそれがリアルだと思いました。菜穂子が死ぬことをわかって見るとさらに切なく「1日1日を大切に生きたい」というセリフが胸にしみました。見返すたびに感想が変わる映画だと思います。本当に泣ける映画です。音楽もジブリのなかで1、2番目くらいに好きな美しい音楽です。少し残念なのはやはり主役の声でしょうか、、、さすがにちょっと、と思ってしまいます。宮崎駿の考えることはよくわからないと改めて思いました。
美しい表現とさりげなさ
歴史番組で紹介されるような、偉人の一生をジブリテイストに落としこんだような作品。
宮崎駿らしい遊び心や間の置き方が詰まっていて引き込まれた。
登場人物の会話や心の動きの描写にわざとらしさが無くさりげない。いい意味であっさりしている。
当時の日本の様子を文学的な雰囲気の中で生かしながらまとめるのは流石。
音に注目
劇場で見るまでにメイキング番組を見まくっていたせいで
最初はすべて口で出しているという音が気になって
そのあと色が気になって
そのあとの地震のシーンで小さい人の動きが気になって
気になっていたんだけどいつまで気にしていたかは不明です。
気が付けばどっぷり世界へワープしていました。
切なくて美しい映画でした。
ハッピーエンドが大好きな私が好きだと思える映画でした。
もう一度早く見たい。
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