風立ちぬのレビュー・感想・評価
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セリフで表現されていない部分に感動
飛行機を作ることが夢で、夢に一途、それでいて真面目で優しい少年だった主人公。
しかし、時代は大正から昭和初期。今でいう旅客機ではなく、戦闘機の設計の方に国自体が力を入れていたのだろう。戦争が起きる事は自然の流れであるかのように教育されていた時代だったのだろう。彼は、夢見ていた素敵な飛行機ではなく 戦闘機の設計を悪意なく必死で続ける。
所々で、裕福ではない人々が多いにもかかわらず莫大な費用が 戦闘機に投入されていること、そのせいで食べたいものも食べられず 我慢を強いられている子供たちの存在も知るが、それでも 彼は戦闘機の設計(もっと言うと、彼にとって戦闘機も旅客機も”夢の飛行機”でしかなかったのだと理解した)をやめようとはしなかった。
人殺しのために研究を重ねて作られた戦闘機であったかも知れないが そのおかげで現代のような安全な旅客機を作り上げる事が出来たのかもしれない。皮肉なものではあるが。
隔離されるほどの病気である結核の婚約者に対しても 感染を恐れることなく まっすぐに愛を捧げている姿にも心を動かされた。
戦後生まれの戦後育ちである私にとって、理解しがたい時代背景ではあるが、祖母や祖父、父や母に聞いた話等と照らして考えると セリフで表現しきれない部分で 主人公や登場人物の膨大な苦悩があったのだろうと、推測は膨らむばかりである。
宮崎さんの作品にある”隠されたメッセージ”は 一度観賞しただけではわかりづらいため また観たい、とそう思わされてしまう作品の一つとなった。
夢を見る事を忘れ、深く考えることを忘れてしまった私たちにもっと想像を膨らませ、そして考えろ と言いたかったのかもしれない。
素晴らしい!作品
トトロや千尋などのような作品を期待していた人にはガッカリでしょう。今回は、宮崎監督がこれまで子供向けのイメ一ジを払拭して、大人の世界に思い切って踏み込んだドラマ仕立だと思います。アニメの動画としても、人や物の日常生活の何気ない動作のディテールが凄いし、なにより演出と脚本全体の構成が素晴らしい。ラストシーンは、下手に説明も入れず想像のなかで、戦争の悲惨やイノベーショシとの矛盾を皮肉り、希望をもたせてくれる演出には、感動しました。ラストシーンが一番好きです。宮崎監督にありがとうと言いたい。
現代に必要な映画
「つまらない」という人はこの作品に刺激を求めていたのでしょうか?
この作品はけしてつまらなくはないと思います。
色々考えることのできた作品でした。
知らない時代の天災や経済、国交事情など、歴史が好きな私にとっては
面白かったですよ?
いわゆる言葉だけ放ち省略された部分は自分なりに色々想像したり、
久々に「妄想」できた気がします。
脳が活性化できた作品でした。
何でこんなにつまらないんだろう?
どうしてこんなにつまらないんだろう?が率直な感想だ。もっと主人公の飛行機に対する思いを掘り下げてほしかった。悪いけれども恋愛部分や震災部分はカットしてほしかった。初めて実際に生きた方をアニメで描くのならもっともっと掘り下げるべきだし、そうでないなら恋愛部分をもっと大幅に増やしてそれなりの恋愛アニメにするべき。全部中途半端。全く泣けないし感動しない。よっぽど「ちびまるこちゃん」の方が回によっては友情や家族愛で泣ける。宮崎監督の自己満足映画。いい年してこんな感動できない映画しかつくれないのかねえ??
心ふるえる作品でした
涙が流れました。
いろんな思いが、込み上げ
心を震わせ、ラストまで主人公と共に
歩みました。
ラストのセリフに、これからも、
頑張ろうと勇気をもらえる作品でした。
ただ、お子さん、映画に娯楽性を
求める方には、理解が難しい作品に
なるかと思います。
終盤急ぎすぎ
いつもの通り映像は美しかったです
ただ、監督はこの主人公をどのように描きたかったのか、最後まで掴めませんでした
話し方は、昭和初期の日本映画の俳優さんはこんな話し方だったなあとは思います
でも、描かれているのは、現代なのか昔なのか中途半端な人で
留学するような人はこんな現代風のフェミニストなのかなあと思いましたが
なんだかしっくり来ません
だから、声や話し方に違和感があるんだと思いました
内容は、ラストの部分が急ぎすぎてて
一番言いたいことが全部ぼやけてしまった感じがしました
1機も帰ってこなかったことや、菜穂子さんが亡くなった時の
その時の様子が回想だけで終わってしまっているのが残念です
主人公がその時どうだったのか
どんな風に感じて、どんな風に乗り越えたのか
少なくとも、それが丁寧に彫り下げてあれば、
もっと説得力があったのになあと残念に思います
酷いレビューですみません
本当につまらないな映画でした
今迄、宮崎駿監督の映画は殆ど見てきましたが、一番つまらない映画でした。宮崎監督の作品は、見ている人々に 夢、希望、感動 等等 を様々なものをプレゼントしてきてくれましたが、今回の作品は 宮崎監督が自分自信にプレゼントした作品では無いでしょうか?声優のクオリティー等お構いなしで、好きな人間を配役したりやりたい放題ですね 凄く期待して上映初日の初回を見ましたが、終わった後に「えっ!これで終わり?」と思ってしまったのは僕だけでは無かったです。周りの人の声も同等の反応を多く聞きました。「友達に何と感想送ろー?」 「とりあえず面白かったんちゃう? って言っとけば察しはつくんちゃう?」 と話してる人もいました。本当に残念で仕方ありませんが、酷いコメントを書いて申し訳ありませんでした。
ロマンを感じる
男として、エンジニアとしては心揺さぶられる作品でした。
作画が本当にすごい。スタッフの努力とドヤ顔がスクリーンに現れるほどのすごさ。演出や表現がなんだかありそうで無い、でもなぜかゾクゾクしました。とにかく自分は大好きです。ジブリ最高傑作だと感じました。
また、映画が終わった後に拍手が起こりました。少なくとも子供はあんまり面白くないかもですが、大人は楽しめたようです。
と、鑑賞後すぐは手放しに良かったと思ってましたが、今思うとストーリーはやはり微妙だったかも。
声優は相変わらずなので慣れてれば問題なし。主題がなんなのかとか前情報が無いほうが話には入り込めると思う。
年令問わずに楽しめる作品ではないのでそこは注意。伴って宮さんの趣味を理解できない人は退屈かも。
ただ私には結構滾るものがあり、ロマンを大いに感じ取れたので楽しめました。
はっきり言ってラブロマンス的要素は要らなかったです。主人公の淡々とした性格故に起伏のある作品ではないですが、作品全体の雰囲気としては清々しく、まさに”風立ちぬ”ような空気感があります。
宮さんの趣味道楽がすぎるという意見もあるかもですが、私はこの人の好き勝手やった作品が好きです。
好みによると言ってしまうと元も子もないですが、ジブリの中でも毛色が少し違う作品と思われますので、そこは寛容に受け取ってみる事で楽しみやすくなると思います。
考える事を放棄した人には無理
まず第一に
「娯楽映画ではない」
見たもの、聞いたものをそのまま受け止めても何も何も残らないでしょう。
恐らく、勝手に生きて勝手に挫折して~視聴者置いてけぼりの作品、みたいな共感も何も無い作品と思われるでしょう。
考える事を放棄した人間には何も得られない映画
だと思います。
観る側がいかに思考し、洞察し、読み解くか
その先に大きな大きな「セリフにはないメッセージ」がある。
早い話が昔の日本人はみんなこうだった。
言葉の裏側で会話をしていた。
「すいません」の裏側に「ありがとう」があるように
日本人独特の心理表現が随所にみられる
全編を通してこうした理解があれば大いに感動し、
表題の本当の意味も理解出来ると思います。
かなり観る側にスキルを要求する映画だと感じました。
私のような古い人間にはとても理解しやすく「古き良き日本人」を久々に感じることが出来た、と思えたけれど・・・
現代の日本人にどれだけ訴えられるのか
現代の日本人は以前の日本人がもっていた感受性をどれだけ残しているのか
携帯電話が無かった時代に青春を過ごした日本人には衝撃があると思います
今後の評価がとても気になる作品でした
良い映画をありがとう!
‘生きねば’ピッタリな一言でした。
どれだけ予告編を見せられたことか…どこの映画館でもどの作品でもひたすら4分間の予告編見せられていいかげんにしろ!っと思っていましたが…
この作品、いい作品でした。感動しました。泣けました。しばらく涙が止まりませんでした。
絵面は誰もがご存知のようにどれをとっても素晴らしい。
久石譲さんの音楽がこれまたいい。
エンディングの荒井由実の主題歌もマッチングしていました。
フィクションではあるけれど、生きるのに辛い時も、時代が大変なときも、夢を追いつ続ける人がいるから時代はきちんと進んでいくんだな、ってことを痛感。主人公二人が再開してから結ばれるまでがやや唐突な気もしますが、この二人のお互いを思いやる気持ちも、また快く響くのでした…。
夢と現実が交差するお話展開も宮崎アニメにはピッタリですね。
とにかく、いいです、この作品。よかった。
誰もが羨む存在の挫折
誰もが羨む存在の挫折が心に刺さる映画。
文学小説にも似た、「誰が何を描いているのか」を踏まえて観る映画。
宮崎駿監督は、日本人なら誰もが知る、国民的アニメ映画監督。
飛行シーンにこだわり続けた監督が、飛行機設計士の物語を描く。
しかもただの設計技師ではない。日本を代表する設計技師だ。
これを宮崎駿監督に重ねずに見ることはできないし
なにより、誰からも羨まれる才能と地位にいる人物として共通する。
そんな「憧れの人」の「人生を賭した先にある挫折」が描かれる。
以下、ネタばれを含む。
作中主人公は、「ただ美しい飛行機を作りたかった」と繰り返し発言する青年。それが彼の唯一単純な夢。
しかし、戦時下にある日本で「飛行機」は
「戦闘機」としてしか存在を許されない。
現実と折り合いをつけながら「美しい戦闘機」を作る主人公。
早い段階から頭角を現し、才能を認められ、プロジェクトを任され、失敗し、そして傑作と呼べる作品を残す。しかし、その作品によって、「国が滅びる」。
私は、今年30歳。
小学校時代、教育の中にジブリがあった。
ジブリの歌を合唱で歌い、吹奏楽ではラピュタやトトロを何度も聴いた。
当時、公害問題から社会現象となっていた自然環境保護の精神を
ジブリの『ナウシカ』『となりのトトロ』や『もののけ姫』から学んだし
言ってしまえば「水の旅人」なんて最たるものだった。
つまり、積極的に教育現場に浸透していったことからもわかるように
ジブリは国民的映画になる過程で
日本国民がとるべき行動や感受性の指針を背負っていた。
毎年8月に『火垂るの墓』がテレビで放送されることも象徴的だ。
ジブリは日本の国民性を作るミッションを結果的に担っていた。
これは、ただ「美しいモノを作りたい」という青年の葛藤に重なる。
つまり、宮崎駿監督はただ「美しいアニメを作りたい」と考えてきた。
しかし、ただ美しいロマンを突き詰めるだけでは、映画は存在できない。
商売であるし、お金が絡むし、国民的映画監督となれば、社会的責任も背負う。
そのロマンティシズムを監督自身が否定していたわけではない。
「美しい戦闘機」は傑作で、監督の夢が形になったものでは確かにあった。
ジブリの送り出した価値観は、監督の信じるロマンであったことは確かだろう。
ただし、結果として「国を滅ぼした」。
「だれも帰ってこなかった」。「悪夢かと思ったよ」。
監督は、現実を魅力的に描くことができなかった。
言いかえると、
平均的に働き、子を育み、死んでいくという
現実的な人の営みを魅力的に描くことができなかった。
監督の作品は、冒険や不思議な存在、魔法の力など
現実には存在しない、ロマンティックな力や心の優しさを
物語のクライマックスシーンでの、「解決策」に描き続けた。
『魔女の宅急便』が象徴的だ。
魔女の少女が、街に出て特技を生かして働く物語だが
最終的には、働くこととは関係のない、飛行船に友人が吊下げられるという大事件を、魔法の力で解決し、彼女は街のヒロインになる。
魔女の宅急便として頑張った先ではなく、本人がもともと持っていた彼女にしかない資質で、誰にも出来ないことをやって、ヒロインになる。
監督の「美しいと思うモノ」はそのロマンの中にあった。
その生き方は、多くの人には真似の出来ないものだ。
しかし、子どもたちは「その自己実現」を衝撃的に受け取った。
自分の才能を信じて街に出て、例え一時は認められずスランプに陥っても
信じて続けることでいつか大きな花を咲かせる。この生き方だ。
結果として、
働くことを描いたアニメで、才能による一発逆転を賛美してしまった。
エンターテイメントとしては最高の映画だし
細部まで拘りきった映像伏線が張られていて何度見ても感動する。
ただ、働くことそのものを、魅力的に描くこと
物語のクライマックスに持っていくことに失敗したのだ。
宮崎監督はロマンの人だったために
普通に働いて生き、そして死ぬことを、魅力的に描けなかった。
結果、日本の子供達が
「普通に生きること」に魅力を感じない一因となった。
仕事をして生活することに魅力を感じない若者が多数生まれた。
夢を追うことに人生を賭すフリーターや
生きることに魅力を感じないニートを多数生み出した。
自殺者年間三万人も無関係ではない、
監督はそう感じているのではないか。
その反省が『千と千尋の神隠し』で見てとれる。
真正面から、「働くこと」を描いた。
子供たちに、働くことの素晴らしさを伝えようとしたのだ。
しかし、この千尋を魅力的に見せることに、監督は失敗している。
作中、働くことで親を取り戻した千尋はトンネルをくぐり現実に戻る。
トンネルをくぐり、異世界へ来た時と同じように、親の腕にしがみついて。
魔女の宅急便のキキのその後と違いすぎて、悲しかったのを覚えている。
監督は信じていない美しさを描けなった。
普通に働いて死ぬことに、ロマンを描けなかったのだ。
思うに、この挫折は相当だったろうと思う。
自分の作る作品が、弱い若者、現実で生きることが出来ない若者を生むとして
自分は映画を作っていいのか。
そこで『ハウルの動く城』では
動く城という表現の面白さをつきつめて取り組んだ。
また、老いて生きること、人の美しさの本質を描こうとした。
物語の整合性はかなぐり捨てた。
あるいは、あえて捨てたのかもしれない。恐ろしくて。
そしてこれもやはり、挫折だったろうと思う。
普通に老いた女性ではなかったし。
もう、何を作っていいのか、わからない。
そこまで来ていたのではないか。
その監督が『風立ちぬ』を描いた。
もはや普通の人の普通の生活を魅力的に描くことは自分にはできない。
どうすれば、「生きる」ことを肯定的に描けるだろうか。
答えは出なかった。
そこで、自分を題材に取ることにした。
特殊な仕事とはいえ、宮崎監督自身も精一杯働いてきた。
そして、人から羨まれる立場にあり、成功を収めたと言っていい。
「男は仕事をしてこそだ」というセリフが作中にあったと思う。
これは、真実、監督がそう感じていると思う。
だから、仕事をしながら輝かなければだめだと
その思いに嘘はないから、表現は踊り始めた。
そして、嘘をつかなかった。
仕事に打ち込んで、それだけの結果を残しながら
監督自身は今、言い知れない上記のような挫折を感じている。
それを最後に描いた。
「ただ美しい表現がしたかった」という本音と
時代の流れの中でやむなくやった部分もあるという懺悔
そして、たしかに「美しいモノ」を生み出したけれど
それが招いた結果に実は愕然としている。
夢をかなえた先に、待っていた挫折。
この先、どこに向かっていいのか、途方に暮れる感じが滲み出ている。
また、創作者としてのピークは「10年」だと
何十年も作ってきた監督が描いている。
自分はもう、純粋な気持ちで映画を作れない
もう長い間作れていない、本当は作っていていい人間ではない、
監督のロマンチシズムがそう言っているのではないか。
その監督が、そんな自身のロマンチシズムに否定され続けながら
苦心して描いた「風立ちぬ」。
夢を叶えた先の挫折を描くことで、
ジブリを見て育った若者に、生きることを問う。
働きながら輝くことの尊さと限界を描き
そこから何を感じるか、どう生きるかは、もう君たちに任せる、と。
敢えて、主人公、ヒロインを強く美しく描き
自分と切り離す理想を描いたように見せてロマンチシズムを鼓舞し
素直な心根を描ききった。
「風が吹く限りは、生きねばならぬ」
宮崎監督にしか作れない、傑作だと思う。
二郎の生き様に、『風』を感じました。人の出会いはまるで風のごとく吹き抜けて、立ち止まることはないのですね。
これまでのジブリ作品や多くのアニメ作品が子供を対象としてきたなかで、初めて大人の鑑賞のための純愛作品となったのが本作。主人公の二郎と菜穂子が織りなす純愛は、キラリと小玉の輝き放ち、観客を魅了し、試写会終了時には大きな拍手に包まれました。
本作の魅力は、関東大震災から、戦争が始まる昭和初期という暗い時代が背景なのに、そのことを糾弾せず、自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物の純情と純愛を描いていることです。暗さや悲惨さにあまり触れていないことと、宮崎監督作品にしては、珍しく文明批判とか持論の反戦平和を露骨に語ることもない、毒気のない仕上がりがとてもいいと思えました。それについては公開後に、あの時代を美化しすぎているという物議を醸し出しそうです。でも、たとえどんな時代であるとも、まっすぐに人を愛することの美しさは変わらないことを見事に切りとって見せていると思います。特に、菜穂子が花嫁として登場するシーンは本当に美しく、素直に感動してしまいました。
そんなピュアな心情の描写に磨きをかけるのは、これまた美しい映像美と音楽です。特筆すべき点は、背景の遠景に至るまで、非常に緻密に描写されていることです。水や森、雲のリアルな質感。そして何よりももう一つの主役である「風」の吹き抜ける描写が、自然で素晴らしいのです。
これは憶測ですが、年齢からいって宮崎監督の最後の一作となるかもしれない本作のために、スタジオシブリが総力を挙げて描いたという意気込みが、ヒシヒシ伝わってくる緻密さでした。おそらく日本のアニメ技術の最高峰といっていい出来上がりではないかと思えます。そして、色調も彩度が高めでメリハリがあるのにとてもカラフルで、ファンステックなんですね。
それに合わせる 久石譲の音楽もとてもステキで、ギターの独奏とストリングスが情感をたっぷりに歌い上げてくるのです。主題歌の「ひこうき雲」もまるでこの映画のために作られたかのような填りよう。この歌は、 当時16歳だった荒井由実が死んでしまった友人を弔うために捧げた楽曲だったとか。そんなエピソードが込められているからこそ、しっくりくるのですね。
ただ結末は、尻切れトンボになってしまったのが残念。時間の関係なのでしょうか、それともシャイな宮崎監督はふたりの結末まであからさまに描くことをためらったのでしょうか。ラストシーンを迎えた試写会場でも、観客の“ああ~”という大きなため息に包まれました。心情としては、最後まで描いて欲しかったです。
ひょっとして、堀辰雄の原作と堀越二郎を合体させたストーリーの矛楯から、ふたりの最後の心情を描き切れなかったのかもしれません。その矛楯とは宮崎監督自身の心の中にある、「兵器である戦闘機などが好きな自分」と「戦争反対を訴える自分」という矛楯を抱えた自らの姿が、投影されていることからきています。戦闘機の開発にのめり込むことが、平和の象徴たる菜穂子を結核の末期なのに放置して、そのいのちを蝕む現実から逃避してしまう矛楯。まして、飛行機への夢の追求が、武器となって多くのいのちを奪う事態を招く矛楯について二郎はどう思っていたのか、結局その矛楯には触れられずに終わりました。でも純愛作品としては、逆にそういう結末のほうが良かったのかもしれません。
二つの話の合体だけに、ふたりが再会してラブストーリーが展開するのは、後半になってから。かなりじらされます。前半は、二郎が飛行機設計に関わるエピソードが語られます。この部分が長くなるのは、宮崎監督自身に格別の思いがあるから。実は、監督の父親も飛行機設計技師で、主人公の二郎と重なるところが多々あったからのです。
でも後半からの菜穂子の登場方が待っているから、この部分も駆け足にならざるを得ません。加えて二郎がなぜ飛行機設計にのめり込んだかという過程があまり詳しく触れられないのは、夢のシーンのため。重要な転機となるエピソードは、全て夢の中で語られるという展開も、分かりづらいところでした。夢のシーンは、航空機産業黎明期の功労者であるカプローニ伯爵との同じ志を持つ者同志の時空をこえた友情を描くために、考えられた展開だろうと思います。でも、まるでウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』のように突然夢の世界にワープする展開をとるよりも、もっと現実世界での二郎が飛行機設計による夢の実現に時間を割いて欲しかったです。
さて、本作では、『生きねば』というテーマが、全編を貫いて描かれていました。
作中に登場する「風立ちぬ、いざ生きめやも」という有名な詩句は、ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節“Le vent se leve, il faut tenter de vivre”を、原作者である堀辰雄が訳したものです。「生きようか、いやそんなことはない」の意ですが、「いざ」は、「さあ」という意の強い語感で「め」に係り、「生きようじゃないか」という意が同時に含まれています。
ヴァレリーの詩の直訳である「生きることを試みなければならない」という意志的なものと、その後に襲ってくる不安な状況を予覚したものが一体となっています。
また、過去から吹いてきた風が今ここに到達し起きたという時間的・空間的広がりを表し、生きようとする覚悟と不安がうまれた瞬間をとらえているのです。
宮崎監督と鈴木プロデューサーは、「いざ生きめやも」という言葉をもっと分かりやすく言い換える言葉を探して、キャッチフレーズの『生きねば』という言葉に行き着きいたそうです。その思いが劇中の二郎と菜穂子に投影されて、命を縮めてでも療養生活を放棄して結婚を強行。たとえ短くともふたりで幸せに過ごせる時間を共にする選択に向かわせたのだと思います。
菜穂子のモデルは、原作の作中の「私」の婚約者・節子であり、さらにそのモデルは、堀辰雄と1934年に婚約。翌年に12月に死去した矢野綾子という現実に存在した女性でした。本作の純愛に胸打たれるのは、宮崎監督の頭で考えたフィクションでなく、実際に堀辰雄が抱いた愛する伴侶への愛と悲しみが色濃く織り込まれているからです。本作からも、僅か1年余の結婚生活で堀辰雄が抱いた『生きねば』という切ない思いがよく伝わってきました。
愛する人ととの死別が近いことが分かっていても、決して怯むことなく飛行機設計に立ち向かっていった二郎の生き様に、『風』を感じました。人の出会いはまるで風のごとく吹き抜けて、立ち止まることはないのですね。
宮崎駿監督の弟子筋に当たる庵野監督の吹替え初挑戦は、朴訥な人柄がそのまま二郎にマッチしていて、素人とは思えない填りようでした。この仕返しは、今度庵野監督作品に師匠の宮崎監督を強制的に出演させることですね(^^ゞ
愛、夢、飛行機、生きる意味…宮崎駿の心を感じた
宮崎駿。
新作を作れば100億を超えるメガヒット。作品も支持され、まさに国民的映画監督。
しかしその分、観客の期待は厳しいほど高い。毎回毎回過去作品と比べられ、気の毒でもある。映画監督にとって、過去作品と比べられるほど嫌なものはない。
前作「崖の上のポニョ」は、歌もキャラデザインも観客に媚びている気がしてあまり好きになれなかった。(つまらなくはないが)
宮崎もそろそろ…と最近よく聞くが、それでもやはり新作は期待してしまう。
そして5年振りとなるその最新作は…
同時代を生きた零戦設計者・堀越二郎と文学者・堀辰雄。二人の実在の人物をモデルにした主人公の物語。
まず、ファンタジーではない所に興味惹かれた。
得意分野を離れ、実在の人物を主人公とし、現実をどう描くのか。
宮崎作品としては異色ながら、宮崎作品の精神は息づいていた。空、飛行機、夢、ロマンス、生きる意味…。
ヒューマンドラマでありながら何処となくファンタジックな味わいも感じさせ、夢の中でカプローニと会うシーンなどは巧い。
また、観客に考えを委ねる演出も印象的だった。
自分の作った夢が戦争の兵器として使われる。その苦悩は当然あったハズだが、抑えて描いて観客に感じさせる。
菜穂子との死別も直接的に描いた訳ではないが、ラストシーンでそれと感じさせる。
説明過多より“見る”醍醐味がある。
主人公、二郎の人物像がイイ。
勤勉で実直。菜穂子への愛の伝え方やプロポーズもストレート。
自分の夢が戦争の兵器として使われると分かっていても、“美しい飛行機”を作りたいとただひたすら夢を追いかける。
真面目でロマンチストな好青年。
庵野サンの声は上手いか下手かは別として、徐々に馴染んできた。
いつもの宮崎の作品を期待すると肩透かしは食らうだろう。
ファンタジーでもないし、冒険も無いし、ユニークなキャラクターも出てこない。
飛行機作りの専門的な話や異例の複数回のキスシーンなど、大人向けの作品であって、子供には退屈に感じるかもしれない。
でも、アニメ=子供が見るもの、という考え方自体、嫌いだ。大人が見るアニメがあったってイイ。
躍動感には欠けるが、主人公の愛と夢をじっくり堪能。
大傑作!…とまでは言わないが、上質な佳作。
宮崎駿の心を感じられた。
曖昧な挫折
カントクは最初に言ったはずですね。
「この映画は挫折を描く」んだと。
主人公は祝福された才能のある男じゃない。
恋人を亡くし、仕事で失敗し、全てを失う男の話をつくるんだと。
そこで震災後を生きる我々に響く話ができるんだと。
冗談じゃありませんよ、なんですかこの映画は。
祝福された才能のある主人公が、好き勝手に生きただけの話じゃないですか。
挫折なんて最後の数分でチラと出るくらい。
ほぼ全編が夢とも現実ともつかない描写のなかで
身勝手で中身が子供のままの男が周囲に甘やかされながら自分の好きなことをやる話です。
誰が共感します?
それでも彼の挫折がキチンと描けていれば見方も変わったでしょう、でも肝心なそれがない。
宮崎駿もさすがに耄碌したなという感じがします。
職人を標榜しながら後継者の育成に失敗してきたツケが今頃回ってきたんでしょうかね。
あ、それでも作画の細部の動きは面白かったです。そこはさすがジブリ、ていうかそれくらいしかこの作品は見どころがない。
あとアンノ監督の声は最初から最後まで違和感しかありませんでした。
忍耐力が必要
今日試写会でした。1時間見ましたが意味不明。その先を見る気になれず途中で帰りました。大人の私でも内容が理解できないんだから子供は絶対無理でしょう。子連れの親子も子供が愚図りだし途中で抜け出し休憩したり帰る人も居ました。宮崎駿監督といえば子供から大人まで楽しめる夢や希望にあふれた作品で有名、今までもたくさんの作品があり私も大好きで今日の試写会も楽しみでしたが本当に残念。とても身銭切っては見たく有りません。試写会で救われました。もうナウシカやラピュタ、もののけや千と千尋の神隠しのような作品は出てこないんでしょうか?ジブリもついにネタ切れなんでしょうか?5年ぶりの作品がこれとは本当に残念でした。金曜ロードショーで十分な作品でした。
「生きろ」がテーマ
最初この映画を見ていて、ストーリーの展開は遅いし、退屈だなぁ・・と感じてました。確かに今までの宮崎作品とは違うと、そんな思いでしたが、試写会の後にしばらく考えてみて、最後のユーミンの「ひこうき雲」の歌とコラボレーションして「生きる」事への強烈なメッセージが込められた映画だという事が鮮明な印象として残りました。日本の航空技術に大きな夢を持った堀越二郎、零戦を設計をした人、そして戦争では人が死ぬ。戦闘機を作らなければいけないという矛盾を抱えながらも生きなければならない。それと、恋人の奈緒子、結核で先に絶ってしまう。ラブストーリーが長かった為に少し掴みにくかったのですが、この二つの死を並べて、「生きねば」と、強烈なメッセージを伝えたかったのではなかったのでしょうか?堀辰夫の「風立ちぬ」がぴったりその物な映画でした。「風立ちぬ、いざ生きめやも」
古き時代を生きた人のロマン
とにかく、映像が綺麗で夢がある。ゼロ戦を作った堀越二郎の飛行機にかける夢。戦争を経験した監督が堀辰夫の風立ちぬと結び付けて作品を作った。結ばれることの無いなおことの恋のエピソード、とてもゆるやかな時間が流れていく。もしかしたらある時代の人間にしか受けいられないかもしれないがとても良い作品だと思う。ユーミンを初めて聞いた(紙ヒコーキ)もともと大好きな歌でしたが、この主題歌にぴったりで涙が出そうになりました・
ユーミンの歌に救われた
試写会で観てきましたが、退屈でした。
一つ一つが絵になる画面は素敵でしたが、内容と声優が単調すぎて集中できませんでした。
最後のユーミンの「ひこうき雲」が流れたときだけ、うるっときましたが、この主題歌がなければ本当に駄作だと思います。
お子さんと見る映画でないことは確かです。
絵だけを楽しむ方にはオススメします。
宮崎駿にメリケンサックで頭どつかれた。
年齢30歳の男です。
すべてのジブリ作品を観ているのですが、私の好きなジブリ作品は1番は紅の豚、2番はラピュタ、次がもののけ姫、火垂るの墓、ナウシカ・・・この風立ちぬはラピュタと同率2位です。人によっては1番好きなジブリ作品と言う人もいると思います。
上映中は笑い声は一切なくボケた?所は寒い感じになっていました。しかし映画後半になると館内から鼻汁をすする音がたくさん聞こえてきました。映画上映後は泣き崩れて立てなくなっている人もいたし、あれっ?これで終わり?と言う感じの人もいました。
大衆受けせず好き嫌いが分かれると思います。支持する層はコアな男性受け、評論家受けすると思います。決して大傑作ではなく、かと言って秀作止まりでもなく怪作と言う言葉がふさわしいと思います。
メッセージ性が非常に濃い映画なので、観後感は宮崎駿にメリケンサックで、頭どつかれた気分でした。
ユーミンの主題歌のみが際立って良いが、肝心な映画は退屈した
こんな事を書くと年齢が、バレルが、「アルプスの少女ハイジ」をリアルタイムで観て育った私にとっては、ついつい宮崎作品なら絶対に観客の期待を裏切らないと言う思い込みを持って、映画に臨んでしまうもの
それが、自分勝手な一方的な過度な期待に因るもので有り、作品の評価を冷静な目で観る事を鈍らせてしまうものであると知っていても、中々冷静に観られないのが、宮崎監督作品に対する私の気持ちである。
そして、今作品は宮崎作品としては珍しく、初の実在した人物の半生を描いた作品である。自己の作品に対して、常に新たなチャレンジを高齢の監督がされていた事は大いに評価したいが、とは言え、今回は明らかに、失敗作ではないだろうか?
監督の敬愛する、ゼロ戦設計者の堀越二郎と文学者の堀辰雄2人の人生を一人の人物として描いているのだから、この2人がモデルと言っても、全くのフィクションで有り、実在した現実の人物とは別者と考えるべきだろう。
本作は、架空の夢物語でも、アニメ作品なのだし全く問題は無い。しかも、彼がどんな作品を制作しようが、監督の自由なのだが、もしも今後もこう言う中途半端な作品を監督が制作するのなら、私はもう宮崎作品をこれから先は観ないだろう。
宮崎監督は「紅の豚」などでも解るように、彼はかなりの飛行機オタクらしい。ならば、ゼロ戦設計者である二郎の仕事に生きる青春ドラマでまとめれば、もっと面白く素晴らしい作品になった筈である。しかし、本作品は、後半から急に二郎の恋愛映画に切り替わってしまうのが,どっち付かずで、作品として不自然で、消化出来ていないと思う。
しかも更に、本作では、キスシーンが多過ぎだ。これでは、子供は観られない。本作は、大人のファンタジー作品として描いている作品なら、もっと菜穂子も、二郎も、そして登場人物の総ての人間を、大人のヒューマンドラマとして、描いてみせるべきだ。
留めの驚嘆したシーンは、結婚初夜のシーンだ。あれは濡れ場の寸止めで、そこだけ妙に目立て、不自然なのだ。
「こっちへ来て」のセリフで一機に興ざめした。
それでいて、その前の、数年振りに高原のホテルでの再会のシーンでは、菜穂子が幼稚なのだ。病気療養しながら、紙飛行機で戯れるシーンは、幼稚で開いた口が塞がらない。これでは一体、どの世代の観客をターゲットにして制作された作品なのか、皆目見当が付かない。
しかも、シーン替わりでは、混乱を招く様な描き方で、高原のホテルも、所在が不明だ。私は、日本国内のホテルのように思っていたが、しかし、観る人に因っては、日本ではない、ドイツかイタリアのホテルと思うかも知れない。全く観客に親切では無い作品だ。それに、カタカナ発音の・イタリア語とドイツ語は字幕も出ないし、何を言っているのかさっぱり不明だ。夢では外国語で無くても意志の疎通が出来ても不自然ではないが、ドイツへの視察の出張では、日本語と言うのも可笑しい。それなら日本語か、外国語に統一して欲しいものだ。このような、観客に配慮の無い作品を作るようでは、そろそろ引退時なのではあるまいか?
宮崎ファンには申し訳ないが、これでは、人に薦める事は出来ない。
彼の今までの、仕事の功績は素晴らしいが、それと本作の出来とは別物である。
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