風立ちぬのレビュー・感想・評価
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実在の人物が登場してるファンタジー映画
実在の人物とは関係がないファンタジー映画
前半は堀越二郎の半生らしきものを追っていき
後半は史実ではない女性との恋愛のストーリーで眠くなった
戦中の陰鬱な雰囲気は兄弟の話のみで
堀越の代名詞と言える零戦での戦闘シーンは一切なし
実在の人物である堀越二郎の半生と全く関係ない小説
ゴチャまぜにしてどちらも中途半端でダメにしてしまった作品
風立ちぬは素晴らしい小説なのにどうしてこうなってしまったのか
零戦燃ゆをアニメにした方がまだ良かった
あの夢ラストを見て
風立ちぬ、いざ生きめやも
生きようじゃないかとは思えません。
美しい夢の先を、生きねば。
この作品は、あのころと今を比べさせて説教臭く語るものではない。題材にされた人物を褒め称えるためのものでもない。夢を追い求めることの素晴らしさを描いたものでもない。この映画が描いているのは、美しい夢に憧れ、最大限の努力と才能を振り絞って美しい夢に生き、その美しい夢のある到達点を迎える人間の物語だ。つまり、夢に生きた一人の人間の人生。ただそれだけなのである。
しかし、それだけではあまりに悲しい。美しい夢に生きた人間にとって、その夢を描ききったその先に待ち受けているのはあまりにも残酷な生だ。とりわけ、クリエイタ―と呼ばれるような夢を形にする仕事の人間にとって、その想いが純粋であればあるほど、夢の到達点の先というのは、身体とインスピレーションの老いで思い描く美しいものを創れないことに絶望しながら生きていくしかないことは想像に難くない。劇中、夢の中でカプローニが若き堀越二郎に対してしきりに話していた「10年で何ができるかだ」という言葉は、正にそのことを指しているように思う。
そこで現れるのがヒロイン里見菜穂子という存在だ。彼女は、出会うまで美しい夢に関すること以外にまったくの無頓着であった堀越二郎が惹かれていく存在として描かれている。つまり、彼女の存在は美しい夢と同じほどに彼を夢中にさせる存在であったのだ。そして彼女はそれを理解していたことが、彼女が黒川邸を去るシーンで明らかにされる。決定的なのは黒川夫人の「彼女は美しいところだけを見せていたのよ」という言葉だ。そのシーンに合わせるように現れる、冒頭の夢と同じ飛び方をするゼロ戦試作機のテスト飛行の美しい映像もすべてを物語る。
そして、ラストシーン、おそらく最後になるであろう夢の中で彼と再会した彼女はこう告げて、風になる。「生きて」と。
美しい夢に生きた主人公が、他の誰でもない、夢のように美しい彼女に告げられるこの言葉こそ、堀越二郎、そして監督宮崎駿含めすべてのクリエイタ―への救いの言葉なのだ。
Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
「風立ちぬ、生きなければならない」
この言葉は堀越二郎と里見菜穂子が劇中はじめて交わした言葉であり、そしてこの言葉は、すべてを表わしているのではないだろうか。
長文、駄文失礼いたしました。
・・・
ほとんど宮崎駿の趣味のような映画?
戦闘機設計技師の半生というところに期待して観に行ったが、拍子抜け。
これなら各種ドキュメントでも読んだほうが良い。
後半の展開から見るにR12指定程度にしたほうがいいかも。
主役の声はなんだか取って付けたようでなじめなかったなぁ・・・
ベテランの俳優、声優陣の声の当て方が嫌いと言っていたようだが、ジブリアニメの表現も、それなりにうざいと思うが。
元ネタの劇画等は好きで読んでいたが、この映像作品に関する限り、あんまり同調する気にはなれない。
どうせ、マニアなオヤジを相手にしている作品でもないのだろうが。
欲張りすぎた作品
映画を見て共感できなかった者です。ジブリをもう見たくなくなるくらい
怒りを感じました。
・大人な映画 ・文学的 ・傑作
どうしてこうなるのか理解できません。
古典小説・映画を通過してきた人ならば、ストーリーの薄さや
恋愛描写の陳腐さ、主人公のロボット化したような感情表現・・・。
ハーレクイーンのようにある筋書きにそってアルバイトが書いたような
小説や、好きなものだけとにかく詰め込みましたという同人誌を
見たような後味でした。
堀辰雄か、堀越二郎のどちらかに集中したストーリならまだしも
堀辰雄の世界をベースに、堀越二郎を無理やりくっつけたような
話にいささか怒りを覚えました。
菜穂子の描写も「男性の理想像の塊」としか思えない。
若い、きれい、従順、守ってあげたくなるような病気もち。
とくに病気で居候の身なのに、のんびりお散歩ときたところに
「???」でした。いくらお嬢様育ちでも、嫁に行った女性なら、
同じ母屋で働いている女性に気を遣いませんか?
結末も「まさかこのまま適当におわらせるんじゃ」と思ったそのとおりに
終わりました・・・
総じて「美しい」作品でしたが、美しいだけで
汗のにおいも、埃っぽさも、オイルのねばっこさも、血のにおいも感じられない。
自分は絶対にこの作品が文学的とは認めたくないです。
「必死になって生きて」
がメッセージなら、他の文学作品・映画作品にいいものが
たくさんあります。
高校の文学史掲載作品を読むだけでもこの映画より
はるかに「人が生きること」へのメッセージを受けとることが
できます。
☆2つにしたのは、風景の描写と、音楽が良かったこと。
その点はさすがだなあと思いました。
<追記>
公開から1週間経ち、いろいろ考えたことを少し追記します。
・大人不在の映画?
みんな味方、叱る人いない。唯一反抗したのは大人ではなく「少女」。
・最初から最後まで「Look at me」を主張する菜穂子
※これはあくまで一女性の感想としてみてください。作品中で少し不自然に思った点をいくつかピックアップ(ひねくれた考えかもしれませんが(^^;))
・女中にこともができたことをわざわざ二郎に告げる(二郎は興味のない話をわざわざしている?)→女中は恋愛対象外と言いたい?
・二郎と菜穂子の父が婚約について話をしてるときに割ってはいる →結核を理由に二郎との縁談を絶対に壊したくないエゴの現われ?
・結核なのに二郎と床を一緒にしたがる →仕事よりも自分だけをみてほしい
・黒川邸から突然いなくなる →結局仕事の方を優先した二郎への反抗。黒川婦人の「美しいところをだけみてほしかった」は外見のみならず、女のエゴの部分が出る前に去ったことを含めている?
・エンディングでの再登場 →飛行機が飛んだのは私が風をおこしたのよ、といいたい?
・・・総じてやっぱりここ、あそこを無理やりくっつけて解釈しようとしても
材料がいまいち手がかりがもやっとしててつかめないですね・・・
この作品の主人公を実在したのと違う名前にしたらよかったのかもしれない。実在する人物名だから現実の史実に囚われる。それでいてこれはファンタジー作品と言われると、夢オチの肩透かしをくらう。堀越二郎を見たかった人でがっかりした要因のひとつではないか。
(30代女性、既婚、会社員(ものづくりエンジニア経験あり)の感想です)
風たちぬと中国、韓国そして日本
昨日の読売新聞に日本が太平洋戦争に向かっていく状況がリットン調査団の行動とともに記事になっていました。今この記事を振り返ってみると、あの時日本が満州国を放棄していれば、あの時国連を脱退していなければ、などと若輩者の自分は思うのですが、今、宮崎監督のこの提言(慰安婦問題等々)はどういうことだろうかと思案してみた。なぜか宮崎監督の提言を聞くと安堵する思いもある。このまま維持の張り合いをしていればいずれ太平洋戦争前の日本とかぶりはしないだろうか?あの時の日本人もなぜ自分たちが悪いのかと思っていたのだろうと。そしてどんどんナショナリズムを強くして日本は太平洋戦争に向かっていくのであった、、、 子供たちに希望のある未来を大人は残さなければならない。決して同じ轍を踏んではいけない。先人が残してくれた歴史を、現代を生きる私たちは知っているのだから。
生きるって切ない。
庵野秀明の声が意外に良かった。
無邪気と実直を纏った素朴な男の魅力があった。
瀧本美織の美しい儚さを響かせる声も良い。
激動の時代を生き抜いた男の物語を空想(ファンタジー)の必要性を添えて活写。
『耳をすませば』の成長後といった感じの世界感。
生と死、飛ぶ・落ちるを代表に、
矛盾の数々を抱えなければならない人間の宿命、悲哀を見つめながら、
切ない人生でも美しさは絶えず近くに存在していると伝え、
歩いているシーンの多用と、
"好奇心"であり"命"でもある"風"の表現が清々しくて好印象。
なんだかなぁ・・
観客に何を見せたかったのだろうか?
戦闘機の設計に献身する男のドキュメンタリーとしても中途半端。
巷によくある余命設定の感動話としても中途半端。
映像の迫力は到底CGに及ばない。
こうした数々の中途半端に加え、つっこみを禁じえないような演出が多数・・・。
たとえば、二郎がプロポーズした瞬間、映画館全体を包んだ「何でやねん!」という空気がその一例だろう。
とにかく、観終わった後これほど脱力する映画も珍しい。
映画にお金を出す人の多くは、メッセージではなくエンターテインメントを求めていると思う。
ラーメンを頼んだ人にチャーハンを出して、お金を取る商売はやめてほしい。
大人の宮崎映画
零戦技師の成長と挫折、その一方ではかない純愛が描かれている。キスシーンが多いことに象徴されるように、これは大人の映画だ。勿論、子供が理解できないというわけではない。宮崎駿が子供を意識せずに製作したはじめての映画なのではないか。いつになくリアリズムに徹している点と高原のサナトリウムつながりで、春樹のノルウェイの森を思い出してしまった。庵野監督の声も次第にはまってくる。
堀越二郎物語
あー感想は一言で言えば宮崎監督らしい映画かなと
やっと大人の映画作ってくれたんだなと思いました。
まぁ題するなら「堀越二郎物語」ってのほうがコテコテの邦画らしい題名で
ある程度理解して みなさん観れたかもしれませんね。
水の流れ、機関車風景の陽炎など 日本のアニメは世界一ィィィィって
細かい箇所もみてあげてくださいwやっぱ技術は凄いね。
突然ですけど!
私の子供は高校生なんですけれど、私より早く「風立ちぬ」を観賞して
面白かったよ!
って評価でした 評判悪いって聞いてたので、
私としては あれ? そうなの?ってw
っで どこよかったんだよ?って聞くと 「最後は感動するよぉ」って。
そして、本日 鑑賞した私の感想はと言うと ラストはたしかに
泣けました 感動ってか 複雑な思いの感動でした。
子供が高校入学したての時、2人だけで知覧に旅行したことがありました
(知覧という所は戦時中に日本各所で訓練された青年パイロットが((国を背負い家族や愛する人を一番に想う、そしてとても優秀な青年達だったと思います)) 最初で最後に特攻の為に飛び立つ地です、ここから飛び立っていく飛行機は故障などの特別な理由以外では二度と戻ることができません)
映画 風立ちぬの話しが進むにつれて
そうか この堀越二郎って(映画を見るまでまったく無知識)多分あれだな
あの飛行機を設計した人かなと なんとなくよぎり
映画のラストでは息子と行った知覧で見たことや散っていった青年達の思いがフッと湧きだし 映画のストーリーと重なり
普段からあまり泣いたことがない私の眼から涙がw
そうか子供も知覧でのバックボーンが映画と重なったな と
宮崎駿のおっさん やってくれたわぁ。
私の高校生の子供にも夢があって いま一生懸命 夢を叶えるべく
必死で毎日勉強をやってます 我が子ながら誠実なところがまた堀越二郎と
ダブって 余計に泣けたわw
最後に、困難な夢を、かなえるってのは大変ですね 辛く、厳しく、そして人を傷つけることになるかもしれない
夢というものは目標だけで本当は叶えるものではないかもしれない
そんな思いもした映画でした。 もう一度観たいと思いました
お子さんいる方は、一度一緒に知覧に連れて行ってあげてほしいなぁ
そこで子供は成長します、 自分自身も。
知覧の広告になってしもうたがなw
二郎はスーパーマン
観終わったあとに妻が「二郎はジブリ作品のなかで一番かっこいい」と言ってました。
そりゃそうです、あんな完璧な人間がいたら男でも憧れてしまいますよ。
二郎のスーパーマンっぷり
<幼少期>
・いじめっ子を一本背負いで投げ飛ばす
・小学校中学年(?)のときにイタリア語の本を読む
<青年期>
・足をけがした女性を背負って震災直後の混乱した街を歩く
・有名企業に期待の秀才として入社
・屈強なドイツ人に臆することなく意見を述べる
・入社5年後、戦闘機の設計をまかされる
・上司、同僚、部下から慕われている
やさしくて、行動力があり、秀才、エンジニアとしての才能も十分、家柄は裕福、おまけに顔も並以上です。
そりゃ惚れないワケがありません。劇中でも菜穂子と女中さんが「白馬の王子さま」と言っていますが、その通りです。
挫折といえば、幼少期に視力が悪いことでパイロットになることを諦めたことと、初めて設計した戦闘機の失敗です。
戦闘機の失敗は大きな挫折だったでしょうが、避暑地で数日たてば見事に復活!成功のためのヒントまでひらめいて、会社にもどってきます。
映画を観終わって「すごく良い映画だった」「今までのジブリで1番だった」とは口が裂けても言えませんでした。
この数日どこかモヤモヤが残っていたのですが、ようやく考えがまとまりました。
二郎がスーパーマンすぎて共感できないんです。まったく“生き抜くこと”に苦労していない。
「生きねば」がこの映画のメインテーマ(メッセージ)なのかもしれませんが、とてもこの作品でそれを感じることができません。震災や戦争も二郎にとっては、別の国で起こっているできごとであり(そう僕には見えました)、本当に精一杯生きているのは、菜穂子であり、二郎がシベリアをあげようとした子たちであり、出稼ぎのために線路沿いを歩いていた人達ではないでしょうか。スーパーマンで今後も普通以上の生活をおくるであろう“生き抜くこと”の苦しさが感じられない二郎にはとても「生きねば」と言ってほしくありません。
それと映画の宣伝について。ジブリ映画って「笑ってこらえて」などバラエティで特集を組み、制作風景や作者の考えをあらかじめ伝えないと何も伝わらない作品だったでしょうか?
恐怖すら感じた関東大震災の描写や、空や雲、昔の日本の風景など映像はとてもきれいだと感じました。
声優キャストも、瀧本さんと國村さんらとてもすばらしい演技でした。
映画の感想は人それぞれで当然です。僕はこう思いました。
まっすぐな純情にグッときます
純粋で悲しい愛の物語を下敷きに、幼い頃からの夢を追い続けた男の半生としても、しっかり見応えがあって良かったです。
堀辰雄の原作は、映画「風立ちぬ(1976)」に感化されて読みました。原作は、そこが持ち味ですが、主人公の文学青年のブルジョア臭がちょっとね、と当時の生意気な女子中学生は思ったものです。
この度の主人公は、当代屈指の天才・エリート、背筋の伸びた工学系日本男子。まっすぐな純情に、覚悟のある一言にグッときます、いいじゃないですか。
菜穂子さんも、たおやかに見えて凛として爽やか、魅力的でした。瀧本美織の声は気持ちよくハマってました。
美しい飛行シーンを堪能でした。夢の中のような大っきな入道雲に、道端のオオバコの、泣きたくなるような可愛らしさに見入りました。
残念なのは、他の映画を鑑賞する度、長い予告編を繰り返し、繰り返し、繰り返し見せられたため、肝心のそのシーンで「ああ、あれね」としか思えなかったこと。オカシイと思います、動画サイト等で見たい人だけ見られるようにすればいいのではないでしょうか。
観る者の知識が問われる
公開初日に観て来ました。
タイトルの通り、観る者の知識が評価に直接繋がりますね。
堀越二郎や堀辰雄、歴史や航空機に対してある程度知識がある人なら物語の辻褄が合い、理解でき、高評価を与えます。それがない人には全くと言っていいほどわからない。イコールつまらないとか理解できないということになる。子供には到底理解できない。そもそも子供向けでないのだからしょうがない。
ひとつ助言をするならば、せめてパンフレットでも読んでから観に生きましょう。
一度観た方ももう一度、ぜひ少しでも知識をつけてから観てみてください。また見方が変わると思います。
私はこの映画に最高の評価を与えます。今の大人が観るべき映画です。理解するには少し勉強が必要なことを含めて。この映画の伝えたいことが理解できた時、その意味がわかるでしょう。
実写で見たい
西島秀俊主演で滝本美織ヒロインで
実写で撮った方がずっと面白いだろうと思った。
なぜ二人は魅かれあったのか?ほとんど描かれることなく中途半端。
主人公の挫折はどこにあったのか?
ゼロ戦の前に開発した飛行機が墜落したこと?
何もかも中途半端でどうせなら5時間ぐらいかけていいから
もっと細かな心理描写をして欲しかった。
スタジオジブリ宮崎さんと鈴木さんに物申す人はもういないのか!
いろんな登場人物が点であり線でつながっていません。脚本に矛盾が多過ぎる。1)夢の中に出てくるイタリア人不自然。2)会社の同僚の設計技士の存在意義が不明。3)零戦の作る前にの試作機と零戦の形が全然違う。4)なおこの結核の治療プロセスがよくわからない。
だだ漏れのナルシシズムが逆に清々しい
いやー宮崎駿の「紅の豚」が苦手でねえ。
主人公=宮崎駿として観ると、強烈なナルシシズム、ヒロイズムに胸焼けして。
主人公が豚っていうオブラートに包んであるから何とか耐えられるわけだが…。
他の作品も宮崎駿(おっさん)の妄想(きれいな言葉で言うなら夢とか希望とか)を、主人公の「少女」というオブラートに包んで供されてるわけで…。
エンターテインメントとしては面白いけど、若干気持ち悪いと思っていた。
で、今回は動物とか少女とかそういうオブラートもなく、素の青年が主人公なわけで。
堀越二郎(青年)=宮崎駿って、ちょっと生々し過ぎるだろう。
素の宮崎駿を受け止められるのか?
怖いもの観たさで劇場へ。
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観たらやっぱりナルシシズムは全開で。
正義感があって才能があってフランス語の詩まで理解しちゃう優しいボク。
日本は貧乏と言いながら、優雅な軽井沢のホテルにも逃避できちゃうスノッブなボク。
それでいて性格はとっても素直で朴訥なボク。
そして何より美しいものが好きなボク。
なんつうか、どこから突っ込めば良いのか?思った以上にフルスロットルなハヤオ節。
今までの作品だったらもう少し計算してスノッブ臭を消すとかしてた訳だが、そんな小手先のごまかしもなく。
ナルシシズムのだだ漏れもここまでくれば立派なのかも。
逃げも隠れもせんと仁王立ちした宮崎駿が見えてくるようで。
なんの臆面もなくさらけ出すその様は、逆に清々しい。
そう、清々しいんですよ、この映画。脳内妄想だだ漏れ過ぎて。
そして賛否両論ある庵野氏の声。
観る前までは、庵野氏以外のキャスティングが巧い俳優ばかりで、何この罰ケーム?と思っていたわけだが。
ある意味、庵野氏の棒読み感がとても良かった。
巧い声優さんが堀越役だったら、生々しすぎて、もっと鼻持ちならない感じになっていたかも。
庵野氏の稚拙さが一種のオブラートになっていたような。
理系男子萌え的な仕上がりになったのも、庵野氏の功績といったら褒め過ぎか…。
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各パートごとにタッチの違う映像は、やはりさすがとしか言いようがない。
特にドイツパートの硬く精巧な感じが素晴らしい。オイルヒーターまで美しく描かれて個人的にはツボだった。
対照的な夢パートは昔のアニメ風で牧歌的、これも良かった。
そして菜穂子パート。
今時、結核堀辰雄なんていうベタなテーマを取り上げて許されるのも宮崎駿くらいなもんだろうと思うんだが。
それでもベタな展開、ベタな風の表現に思わずグっときてしまう。宮崎駿の強引な力技、見せてもらったような気がする。
個人的には、宮崎駿の世界観・思想は好きではないし相容れない。
嫌いなものでも、ここまで全力直球勝負で来られると、逆に好感、清々しい。
宮崎の遺言について
夢を追う事、人を好きになる事、力を尽くして生きる事が『生きねば』というシンプルなテーマに集約されていました。
併せて、駿監督の人生がなぞられている気がしました、堀越のわがままも含めて。
鈴木プロデューサーの宮崎の遺言発言と庵野監督の起用、昔の映像での宮崎監督が庵野監督を可愛がっている姿を併せて
同じ監督業として、宮崎駿を一番理解している庵野監督に演じさせる事で
更に自分への理解を深めさせる意図を感じ、後継者として指名しているんじゃないかと勘ぐってしまいました、ワリと本気で。
※ジブリの後継ではなく精神的な後継として
堀越二郎と菜穂子には、幸せになって欲しくて鑑賞が終わったら思わず畜生と声が漏れました、それだけ感情移入してました。
主役の堀越二郎が庵野秀明でなければならなかった理由
この映画を観た人の90%以上が、主人公の声に違和感を覚えながらご覧になったことと思う。無理からぬことだ。庵野英明は声優ではない。また「役作りはしていない」と自身でも言っている。しかしながら、この違和感のマイナス効果を考慮してもなお、この役が庵野でなければならなかった理由がある。そして、その理由は、この映画が持つ正体不明の重たいメッセージを解く鍵にもなっていると思う。
庵野秀明はアニメ監督である。
最も知られている作品は、新世紀エヴァンゲリオン。
宮崎作品との関わりとしては『風の谷のナウシカ』で巨神兵シーンの原画を担当したことが有名で、その後も宮崎を師と仰ぎ、監督としての仕事の進め方等を学んだと言われている。宮崎は、庵野英明を堀越二郎役として採用した理由を、こう語っている。
「庵野が現代で一番傷つきながら生きてる感じを持っていて、それが声に出ていると思ったから」
芸達者な声優・俳優が演技で作り上げる二郎ではなく、素の庵野の声がほしかったということだろう。
庵野自身、アニメ製作のプロであり、自作における声優への要求は異様に厳しい。監督としての目で自分の声を評価できる人間だからこそだろう、鈴木敏夫から電話でオファーを受けた時も「"まぁ無理だろう”と思いましたが、無理とはいえ宮さんから是非にということでしたし」と語っている。実際にやって見せたら諦めるだろうと思って参加したオーディションの後、満面の笑みの宮崎駿の要求を断れずに「できるかどうかは別にして、やれることはやりますけれど、そこまでです、ということで引き受け」たのだという。
庵野の「現代で一番傷つきながら生きてる」面とは、やはりエヴァのことだろうと思う。
(アニメファンが知りえる以外の部分で、何があるかはわからないけれど。)
『新世紀エヴァンゲリオン』は、TVシリーズが1995年に放映された後、劇場版で2度リメイクされている。旧劇場版(1997年)、新劇場版(2007年~)、共に後日談や外伝ではなく、TVシリーズと同じ話を作り直しているのだ。新劇場版は4部作で2013年現在3作目までが公開されており、完結編の公開時期は未だ明らかになっていない。
庵野英明とこの作品をめぐる世間の動きは、確かに宮崎が「現代で一番傷つきながら生きている」と言うに足るものだ。
TVシリーズの爆発的人気と終盤のストーリー劣化への批判、同じ話をリメイクし続けることへの批判、膨大な費用と時間をかけながら難解なストーリーで観客を翻弄することへの批判、製作者の意図とは無関係に煽られる人気と話題性、派生するパロディや関連図書の経済効果、それに絡む各社の思惑等々。
しかも、この動きは現在も進行中で、庵野はまさに完結編に向けて闘っている最中だ。『風立ちぬ』の劇中で例えるならば、零戦を形作る一歩手前、軍関係者をうまくあしらいながら、技術者たちと自主勉強会をしているあたりだろうか。エヴァは、世間的には失敗や挫折だとされている過程を経て、おそらくあと数年かけて、庵野の頭の中から現実へと引っ張りだされようとしている。
宮崎駿が堀越二郎役に欲したのは、この経験の痛みを持つ声だった。
そして、その痛みを前面に出すのではなく、技術者らしい淡々とした口調の中で、それでも何かを思わせる声。そんな声を出せる表現者が見当たらなかったので、実際にそういう経験をしてきた人間の素の声を使ってみようと思った。これが、今回の経緯なのではないかなと思う。
結果的に、それが宮崎の愛弟子、つまりアニメ製作者であった点は面白い。鈴木敏夫の思いつきだと言うが、案外、良作の宿命とはこういうものなのかもしれない。
宮崎自身が意図したことかどうかはわからない。
だが、主役の声を庵野英明があてたことで、この作品は宮崎駿のセルフポートレートとなったのではないだろうか。
ただ、純粋に美しいラブストーリー
まず最初にハッキリ言っちゃいます。飛行機の描写と蘊蓄が沢山出てきますが、あそこら辺は俺的には本当どうでもよいです。
そこじゃなくて、兎も角人間ドラマとしての側面でね、もうそこがめちゃめちゃ良くってね。なんでしょ、この映画どういうカテゴリーに入るんだろ。
やっぱヒューマンドラマ?ファンタジーも入ってるし、う~ん…ラブストーリー?どれだろ。
いや、うん。この映画の素敵なとこは後半のラブストーリー展開に集約されてると思う訳ですよ。じゃあ、やっぱラブストーリーになるのかな?
でも言い切ってしまうのもどうなんだ?って感じで。
人に寄って感じ入るところって違うと思うんですけどもね。俺は、もう断然ラブストーリーの方面で鑑賞させていただきました。
つかね、もうね、このラブストーリーが素晴らしくて純粋で涙が止まらなかったんですよ、俺。
宮崎アニメでこんな泣かされると思わなかったもので。
後半の展開なんか健気で美しすぎてずっと泣いてました。
恥も外聞もなくボロボロと。
宮崎駿の最高傑作じゃないですかね。
迷うことなく観に行って欲しいです。
今も思い出して嗚咽が込み上げて来そうですし。
そういう映画でした。
興奮さめやらず
相手の事がお互いよく分からないまま、家の存続のための見合い結婚が当たり前な時代(健康な伴侶が期待された)、菜穂子は吐血後にたどり行く自らの運命を見極めながら、結核で病身の我が身を迎え入れてくれた、尊敬し慕う二郎に寄り添う。
終盤、二郎が悪い風の予感に注意がそがれ、試験機の着陸を見逃してしまう瞬間に、妻・菜穂子の絶命が示唆される。
尊敬するイタリア人・カプローニと続けられる夢と妄想の入り混じった邂逅の中で、零戦のパイロットは戻らなかった。国を滅ぼした。などといった言葉が、あっさり淡々と述べられる。
時代に能力を求められて躊躇う理由はない。それは今日の航空・宇宙、原子力に携わる技術者も同じで、二郎と同じく美しささえ見出すだろう。
二郎の最後の夢に現れる菜穂子の姿に、胸が苦しくなる。亡くした肉親と夢の中でしか再会を果たせない沈痛の日々を思い起こす。 夢から覚めた二郎の寂しさは いかばかりか。
牛が引く舗装されていない道、広がる緑と木造の家屋。劇中で語られる‘貧乏’だった日本の景色に終始見入った。
人の声を効果音にしてしまう、ジブリ美術館の短編に続く試みは、航空機に機械音ではない生の声で生命を吹き込む面白い仕上がりになっていた。
「トトロ」の糸井重里と同様、庵野秀明に期待されたアプローチや、瀧本美織を始め出演する俳優陣も良かった。
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