風立ちぬのレビュー・感想・評価
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あくまで個人的意見ですが…
芸術的センスが高すぎる作品のせいか、個人的には合わなかった。
完璧すぎなせいか、鑑賞者として退屈であった。
表現意図と表現の形のチグハグ
千と千尋の神隠し以降明確なストーリーラインを持たなくなったと思うが、この作品でその表現意図が明確になったと思う。ストーリーではなく宮崎さんの心のうちの心象風景のような詩を表現したいんじゃないか。
ところが表現の形はナウシカ以来の明確な線と色でバッチリ決めている。こういう描き方は明確なストーリーラインがある場合はそれを説明するのに有効な表現で上手ければ上手いほどいいと思う。
だけど表現したいことが物語から詩へ移ったならば表現形式ももっと観客の想像力をかきたてるような余白を持った映像詩に変更があってもいいとおもうのだ。それをびっちりした明確な線と色が出てくると観客はそこで起こる事に注目せざるおえない、だけど何も起こらない。余白が無いから想像力も参加しずらい。想像力で補完出来ないから見終わった後にあれこれ考える事になる。
だけど本来は作品の中で共にお客さんと歩んでいるわけだからエンディングと同時にお客さんの中の作品も同時に完成するのが作品鑑賞ではないだろうか。
このような表現意図と表現形式のチグハグが千と千尋以降の宮崎さんのアニメにはあると思う。
むしろ予告で流れた高畑さんの抑えた色と水墨画のようなワイルドな線のかぐや姫の方に表現の余白と詩情を感じた。
しかし真摯でひたむきな作り手の姿勢には心からの拍手を送りたい。みんな凄い人たちだ。
ドラマっぽい
んードラマっぽいですね。テレビ局の何十周年記念ドラマみたいなw
アニメでやる必要はないというか。
ただ、細かいディテールやちょっとした仕草の動きなどはさすがでした。
荒井由実の曲いいのですが、あの曲自体に存在感がありすぎてどうしても1970年代のイメージの曲なんですよね。
宮崎監督には長年思っていたのですが往年のジブリファンも同じ気持だと思いますが、
鈴木Pなしで、もう一度冒険活劇を作ってください。
子供がわくわくして見れるのがアニメの基本でしょ?
夢のようでした。
二度目の「風立ちぬ」を見てきました。
宮崎駿監督もご存じないかもしれない、最高の環境で、この映画の為に運命的に出来たのではないかという映画館で鑑賞しました。
堀越二郎が勤めた三菱重工、帝国軍あとの自衛隊基地、昔はゼロ戦が飛び立った軍の飛行場が今の空港となり、映画館から飛行機の離発着が見えるだけでなく、駐車場の脇にはセスナ機の待機場、飛行場上空に広がる空、そこはミッドランドシネマ名古屋空港です。前回、予備知識なしで鑑賞した場所が、まさしく風立ちぬの舞台にふさわしい映画館だったので、今度もそこへ。とても贅沢な鑑賞となりました。自分の思考回路をゼロにすることに専念し、感受性だけで鑑賞してみたのです。夢のようでした。
子ども三人を預かって、快く送り出してくれた主人に感謝です。
現在は夜の上映しかないので、もしも、ここでご覧になりたい方は、
上映期間終了になる前にお急ぎ下さい。
近くには小さな航空博物館boomがあります。戦前より航空技術の構築の場だったことが伺えます。アメリカのカルフォルニアに飛べるゼロ戦があると聞きます。ケネディ在日大使さんがゼロを帰還させてここに置いてくださらないかと願っています。
多くの特攻隊の皆様の想いと平和への願いと共に。
政治が清く正しくないと国民の努力も志も無駄になってしまう。
だから、子どもに世の中は素敵で努力が実ると感じてもらえる世界に
なるべく、工業技術と政治が生かされますように。
爽やかの一言
良くも悪くも・・「爽やかな映画」でした。
他のジブリ作品とは実在の人物を描いているという点からいってもちょっと毛色の違う内容になっています。
堀越二郎さんという人物--私は全く知らなかったのですがストイックな技術者だったのであろう部分が良く描かれています。
昔の人ってあんな感じなんだろうなと思ってみれば違和感も感じず。
奈緒子さんを病院に戻させない辺り等。。「死」を諦めているのではなく受け入れている所も現代人の私たちにはありえないあの時代特有の感じ方・・だったのでしょうか。私のイメージにあるゼロ戦は濃いグリーンに日の丸が描かれていて「これで、戦ったのか」と思う程古めかしく小さいものなのに二郎さんが設計していたゼロ戦は真っ白ですごく綺麗で新しく想像とは違うもので・・そう思うと切なくなりました。
1920年代は戦争に突入していく前の束の間の綺麗な時代だったのかなと思わせずにはいられません。奈緒子さんが最後に夢の中で「二郎さん、生きて」と言いすぐ笑顔で「はい」と答える所等、、「えー、そこはちょっと苦悩してから返事してよ」と思ってしまったのですが。。ま、いいか。
いつものジブリ作品を期待される方にはちょっと違うかもしれません。
良い映画ではありましたが、ちょっと退屈な所もあったかも。隣でやってた
「ワイルドスピード??」辺りの映画の「ドーン」ていう音響が聞こえてくる位静かな映画で、次は「ワイルドスピード」観たいなと思っちゃいました(笑
あれが君のゼロか!
『千と千尋の~』の時に宮崎駿監督が「近所の10歳の子供のために作った」的なことを言っていて、観終わって「ははあ、あんまり面白くなかったのはこの映画が俺に向けて作られてないからだな」と思ったのだけど、その後のハウルもポニョもあんまり面白いとは感じられず(すごいとは思ったけど)、それは自分がもう大人になったから波長が合わなくなったのかなーと思っていた。
今回の『風立ちぬ』は矛盾の映画だと思った。美しい飛行機を作るのが夢なのに、それは人殺しの兵器であるという矛盾。仕事に本腰を入れるために結婚するという矛盾。主人公は美しいものが好きで、奥さんに「きれいだ」しか言わない。奥さんもそれを分かっていてきれいじゃいられなくなったら山の療養所に戻っていく。ゼロ戦について「1機も戻ってこなかった」というけれど、ゼロ戦がどれだけの人を殺したかは言わない。結核の奥さんの横で煙草を吸うところをわざわざ入れるところとか、エゴを意識的に描いている感じが抜け目ないと思った。
人物のデッサンが時々すごく下手に見えることがあって、どのキャラクターも不定形な感じがした。
すごいとは思ったけどやっぱり波長は合わなかった。
宮崎氏にしてはおしとやかな女性陣
この人の作品って女性がかなりパワフルで、例えばもののけ姫で言えばサンにしてもモロにしてもエボシにしても(後名前は忘れたけど亭主を罵ってた女も居たよね)絶対男を尻に敷くんでしょうね・・・って女性が多かった。
では風立ちぬにおいてはどうだったか・・・ヒロインの菜穂子は結核に侵され日常生活もままならない。「あの人と生きたい」・・・病床に伏せながらも化粧をして夫の帰りを待ち、美しいところだけを見せて去っていく。
女性の登場人物自体が少ないのでなんとも言えないが少なくとも彼女からは夫の後ろを三歩下がって付いて行く控えめな印象を受けた。
これは宮崎氏の人生観が変わったからではなく、堀越 二郎の人生とあの時代の夫婦関係(標準的な、という意味ではない)を描くと必然的にそうなるのだろう。
ストーリーは纏まっていたと思うが最近の邦画とは違う構成方法だ。音楽で言えば演歌ではなくショパン、モーツァルトといった感じ。(俺に音楽の才能は無いとだけ言っておく)「泣かせる」よりも完璧さ芸術性を追い求めた結果がこういう作品だったのだろう。演歌には歌詞があるがオーケストラには無い。だからより無意識的で言葉で表現するのが難しくもある。レビューが両極端なのは鑑賞者がこの作品をどう評価(意識)するか分からないからだろう。
もしこの作品に欠点があるとするならジブリである事と子供向けではない事。
一期一会
私の父は、元海軍兵で太平洋戦争を経験しており 私が幼いころ、父は、よく飛行機の絵を白い紙に鉛筆で書いて、エンジンや翼の構造を何もわからない私に、教えてくれました。父の仕事は、海軍の飛行機の整備士でした。
零戦の整備も携わった聞いております。当時、零戦を見たときは、俊敏な動きに衝撃を受けたと聞いた記憶があります。ところどころの映画のシーンで鉛筆で書く白い設計図を見たとき、亡くなった父の記憶が蘇りました。
主人公が設計の計算に使っていた計算尺も懐かしいです。今の若い人は、あの道具が何なの知らない方も多いと思います。私の工業高校時代は、計算尺で計算してました。
風立ちぬを見て、その時代に、生を受け 幼いころから 空に 憧れ、その空を飛ぶ夢を いつまでも 持ち続け どうしたら 効率よく 美しく飛べるのかだけを 戦争の武器としてでなく 幼いころの夢をひたむきに 追い求める強い姿に 大変感動しました。 いつの時代も この主人公のように
悲しいことがあってもそれを乗り越え、夢を持ち続けて強く生きていかなければと教えてくれました。
宮崎さん 鈴木さん ジブリの皆さん 良い作品ありがとうございました。
ジブリ謹製で蒙昧に小さな子供は連れて行かないこと
とはいえ、
❐ ジブリクオリティの映像美・作画制作
❐ 久石譲先生の音楽
❐ 肉声をつかった効果音
❐ 庵野監督はじめ本職ではない声優陣
❐ 荒井由実曲にのった歌詞とストーリーのシンクロ
などは、紡ぎだされた至極の作品のピースを織り成していると感じます。
特に印象に残ったシーンは、他のレビューアーの中でふれられてもいますが、”なおこ”がサナトリウムからぬけだし”じろう”と”質素な結婚式”を上司仲人のもとに上げるくだりは素晴らしい。
(そのままモノクロにすれば、昔の名作日本映画と行っても過言ではないくらい遜色ないようにも。)
泣けるところまではいけませんでしたが、その後の二人の妻やかな結婚生活のやり取りをみていると、「自分の妻にも同じように接したいなぁ」と心がホッコリするような余韻をもって見ることが出来ました。
もちろん、じろうの会社の同僚上司たちも魅力的で「自分に技術がればあんな会社ではたらいてみたいなぁ」的
いすれにしても航空機好きだったり、人のつながりってなんだろうな、ということを考える人達にはお勧めです。
(愛煙家の宮崎監督ゆえの最近の禁煙運動に対する風刺なのか、嫌煙家はちょっと苦い顔になっちゃうかもしれないシーンが多いかもませんけども・・・(^_^;))
最後はジブリ的。
子どもが見て楽しむ事ができなさそうな作品でした。
僕は、個人的には、たんたんと展開して行き所々すてきんなシーン、感動出来るシーンが、散りばめられ、最後はジブリ的なとても感動出来るスタジオジブリ作品でした。
静かだけど激しい。
難しいことは言えませんが、素晴らしかったです。泣いてしまいました。
あの不自由な時代の真っ只中で夢を持つということ、仕事をするということ、人を愛するということに意味を持たせる余裕など無かったと思います。ただひたすらに働き、愛し、生きる。今のように自由に選べなかった時代ですから。私の亡くなった父もそうでした。戦争を体験し辛い経験もしたようでしたがそれを語らず黙々と働き妻を養い、子を育てあげ、愚痴もこぼさず静かに生き抜きました。派手な人生ではありませんでしたが立派で熱い生き方だったと思います。真面目にちゃんと生きることを教えてくれました。
この映画も何と言うかそういう意味で無声映画のように静かです。時代の流れの中で正面から生きている人達を描いてゆく。だからこそ夢を追うことが人を殺す兵器なることに通じてしまうことや、命を縮めてしまうことがわかっていながら愛する人のそばにいることを選ぶ、生きることへの情念、人間の業が伝わってきました。静かだけど激しい。与えられた生をひたすら
に生き抜くということ、監督のおもい、「生きねば」、ちゃんと届きました。何度も観たくなる映画だと思います。
零戦のような男の物語
一、 歴史的事実とリアリズム
冒頭の夢想的な飛行シーンと、分厚い瓶底眼鏡が少年期の堀越二郎を象徴的に表現している。彼は田舎の豪邸の蚊帳の中で夢を見ている。外界から何重にも守られた温室の中でまっすぐ育つ、夢見がちな少年として描かれるわけだ。関東大震災は、そんな夢と現が交錯する大正末期の少年と、九十年後の我々とをつなぐ架け橋として機能する。誰もが知っている関東大震災という歴史的事件のディテールを、この映画は詳細に復元していると思われる。道幅が狭すぎて将棋倒しに倒れる民家、火事によって発生した竜巻の遠景、神社で倒れる灯篭、俯瞰視点で描かれる都心部の混乱。堀越青年と菜穂子はその中を駆け巡る。
この映画は基本的に堀越二郎を中心に描いており、映像の中でも最も多いのが堀越二郎の顔だろう。そして、その堀越二郎が惹かれ続けた飛行機もまた、たくさん描かれている。しかし、そのどちらでもないにも関わらず、関東大震災の描写は細かく、細部まで描かれている。また、汽車が爆発すると早合点し逃げる乗客や、避難先の神社で倒れる灯篭に驚く人、荷物を持って都市の中を逃げ惑う人々など、堀越青年と菜穂子を離れてそこに暮らしたその他の人々がクローズアップされている。この映画は観客を作品世界に没入させるための道具立てとして、関東大震災に見舞われた東京のディテールを描いている。そうしたディテールへのこだわりは、その後も飛行機を牛で運ぶといったユーモラスなエピソードや、シベリアパン、二郎と菜穂子の結婚シーンにおける婚礼の儀式など、当時の風俗を描く描写で所々に発揮されている。引き込んだ作品世界を最後まで支えるのもまた、歴史的事実を元にしたディテールの描写なのである。
二、堀越二郎の人物造形
主人公の堀越二郎は、夢を一途に追う男である。それは、魚の骨に飛行機の部品を想起してしまう程に徹底している。周辺にいる家族や友人に優しさは見せるが、あくまで自身の飛行機に乗りたい、目が悪くてそれが不可能だと知ってからは飛行機を設計したい、という夢を優先し、そのためには他のことを犠牲にするところがある。
妹と遊んでやらない少年時代、一度も実家に帰らない学生時代、早く学校に行くために名も明かさず立ち去ってしまう菜穂子との出会い。軽井沢での静養以外では関東大震災後に一度だけ上野を訪ねたのが唯一の例外で、それも実にそっけなく語られる。結核で喀血した菜穂子に会いに行く途中でも、仕事の手を休めることはないし、家で結核の末期患者である妻が待っていると知っていても、誰よりも遅くまで仕事をしている。作中、彼は少年時代に魅せられた夢に向かって進むことを基本的には止めない人間として描かれている。
まるで、冒頭の分厚い瓶底眼鏡ごしに見る歪んだ堀越少年視点が、堀越少年のライフコースだけでなく人生に対する姿勢までも決めてしまったかのように、堀越二郎は歪みを伴いながら夢という焦点に向かって進み続ける。
三、美しい風景
そんな人生の全てを飛行機に捧げる男が、一敗地に塗れて訪れるのが軽井沢である。カストルプが言うように、軽井沢は「全てを忘れさせてくれる」「魔の山」である。ここでも最初堀越は親切さを見せはするものの、簡潔でそっけない。
その後急速に堀越と菜穂子の恋愛は進展するが、それは軽井沢の美しい自然の風景の中で進行する。カプローニの夢の風景は美しさと陽気さ、そして少しの残酷さを伴って描かれるが、恋愛の風景はそうした夢の風景ともまた少し違ったトーンで描かれている。それは堀越二郎の人生でおそらく最も幸福な時間として設定されているからだろう。
他にも後に結婚し、棲むことになる黒川の家の庭、庭先から訪れる菜穂子の実家など、恋愛に関連したものを中心に美しい風景描写は多く見られる。視覚的な美しさだけでなく、仕事場で当時の先進的な技術に目を輝かせる若い技術者達や、夫婦が一晩中手をつなぐシーン、零戦の成功など、理想的な人間関係や仕事の成功も描かれる。逆に、仕事の失敗、スポンサーやクライアントとの打ち合わせ、結核患者の菜穂子の闘病シーン等は描写的には一瞬ほのめかされるだけである。
この映画は基本的に美しいもの、堀越の人生における美しい経験だけを抽出してつなぎ合わせている。
四、ほのめかされる存在
しかし、少年期の夢の中で既にカプローニによって言及されていたように、堀越の夢は戦争に直結している。半分は帰ってこないだろうというカプローニの冷静な判断は、飛行機作りという夢の残酷な一面をほのめかす。また、軽井沢でカストルプが言ったように、降りたらもう戻れない魔の山・人生の絶頂期の軽井沢のあと、菜穂子の雪が降る孤独な結核療養所での治療シーンがわずかに描かれる。このシーンは、美しいところだけ見せたい=美しくないところは見せたくない、と黒川婦人に解説される菜穂子の失踪後の人生を想像させずにはおかない。
飛行機作りの残酷な側面を「呪い」として何度も語るカプローニ、戦争へと突き進む日本やドイツの世相を軽口で語るカストルプ、重度の結核患者でありながらそのことを意識させないように毅然と振舞う菜穂子と、そのことをはっきり二郎に伝える妹。この映画は人生や世界の暗部を決して無視してはいない。むしろ、そうした暗い部分が、堀越二郎の夢に向かって邁進する姿、最後まで青年期の容姿を保ち続ける美しい青年の一途さによって逆照射される。
この映画は存在をほのめかすことによって観客の想像を掻き立て、直接は描かれない暗部を含んだ歴史の世界へと我々を誘おうとしている。
五、極限まで無駄を省いた美しい人生
堀越二郎は夢を追う。そして、その夢の一つの到達点である零戦は、作中ではエンジンが非力なために「極限まで無駄を省いた」機体として説明されている。この説明は、この映画で描かれている堀越二郎の夢に向かって邁進する人生そのものである。最後のカプローニとの夢で、無数の戦闘機の残骸を踏み越えた二郎は「地獄かと思った」と呟く。決して直接焦点は当てないが、ほのめかされる巨大な歴史の暗部もまた彼の人生の一部であったことが、ここで明確に描き出される。だが、それをもってこの作品は、堀越二郎の人生を否定することはない。恋人に美しいところだけ見せようとする菜穂子のように、美しいところばかりを描きつつ、そこにできる影の存在をほのめかすこの映画の構造自体が、美しい青年が描いた美しい夢であり、同時に誰も帰ってこない死地に人々を送り出す兵器でもあった零戦と、それを作った堀越二郎の人生の両義性を浮かび上がらせている。
この映画で描かれる堀越二郎は、極限まで無駄を省いた、美しさと残酷さを同居させた青年なのである。
いい映画です。
美しいものはどんな過酷な時代でもその本質を変えずにあるべきであり、
それを追うものの実直な強さとそれを守るものの必死さと優しさを感じました。
二人の結婚式のシーンは日本映画の名シーンに入るでしょう。とても美しかった。儚いものの美しさ、強さ、悲しさ、様々なものをあのシーンで感じました。
ジブリ映画 いいですね。
凝縮した人生。
キャラクターの全てが、生きている。
自分の意志をもち、魅力をもち、
苦しい時代だからこそ、凝縮した人生を生きようと、描かれている。
主人公の堀越二郎などは、最早、完璧超人の部類なのだが、
内に秘めた想い、悩みや憤り、哀しみや弱さを抱えている。
それを表現しているのが、無言の表情であり、なんと、庵野秀明の声であった。
正直、
どっからどー聞いても庵野さんの声なんだけど、
ヘタだなとか、棒読みだなと感じたときは、一度もなかった。
巧いとゆーわけでもないが、
このヒトの声は、この声なのだと、おもうことができた。
むしろハキハキと発音されるプロの声では、このキャラクターは生まれなかっただろう。
また、
予告で大きく取り上げていたロマンスに関しては、じつは、本編の半分ぐらいだった。
作品の中で、とても大きな意味をもつけど、悲哀がメインとゆーわけではない。
あの予告では勘違いする方もいるんじゃないかな?
戦争を描いていない、現実の悲惨さがない、ともあるが、
これは誤りで、
ちゃんと描いていますよ。
直接的ではなく、この作品に合ったやり方で。
『風立ちぬ』とゆー映画は、
感じることが大切な、そんな作品だと、おもいました。
何をもって生きるか
宮崎駿の作品にしては、えらくストレートな構成となっております。
千と千尋みたいな狂気じみたメタファーをちりばめることなく、もののけ姫みたいに哲学的なテーマを最終的に観客の判断に放り投げるってなこともやりません。深読みする必要はない作品です。
なんか右からも左からも批判されとりますが、宮崎駿ってのはポルコロッソなんですから、政治的なレッテル貼り付けて批判するのはお門違いかと思いますね。
美術設定はさすがのクオリティです。ブルーレイ出たらじっくり静止画で鑑賞したいところですね。
構成がストレートな分、主人公のセリフ回しでの演出が多いです。
朴訥とした声がいい味出してます。
ぼそっと一言「ここは地獄ですか?」とか。
主人公に共感できないってな批判もあるようですが、あの時代のエリートってものすごく優秀で、かつ、国に殉ずる覚悟も持ち合わせてましたから、飽食の時代の凡人が共感できるはずはありません。その眩さに目を細めるだけです。
ヒロインは、完璧に宮崎駿の趣味です。理想形です。理想の恋愛像、結婚観を赤裸々に描写してます。観てるほうが赤面するほどストレートです。
わお、ナウシカがキスしとる。初夜て、お子様も観てるんやで・・・
かくいう私、シニカルに鑑賞していた訳でなく、タイトルバック中に涙と鼻水でどろどろになった顔をなんとかせねばと鞄の中からタオルを引っ張り出してました。
なんで泣いたのか?
それは宮崎駿の演出する美意識。生き方に対する美意識。
古典的で普遍的な美意識。
貧しき時代にあって、飽食の時代に失われようとしている美意識。
あこがれて、あこがれて、死ぬほどあこがれた生き方がそこにあります。
キャッチフレーズの「生きねば。」の前にこの言葉があるはずです。
「美意識を持って」生きねば。
普通に楽しめたけどな
賛否両論あって当然だけど、難しい背景は置いておいて、普通に上映時間中楽しめたけどな。
絵が美しいのは言うまでもないが、地震が起きた際の地響きというか唸り声が本当に恐ろしかった。阪神大震災を経験しているがあの時の記憶が鮮明に蘇るほど怖かった。
あと、私はジブリ映画で低評の棒読み素人声優さんの声が反対に好きです。
実際普通に話す時ってあんなもんでしょ?日本の声優さん、特に上手い人は海外ドラマの声優をものまねする友近っぽい感じがして、リアリティにかけていると思う。ジブリはアレでいいと思う。
結核については何も知識がないが、山奥のサナトリウムみたいな所に若い女の子たちが毛布に包まってベットを並べてる場面を見て胸が痛くなった。あのシーンで私は平和な時代に生きているのだと痛感させられた。
戦争映画としてみる人も多いようだが、私は恋愛ラブストーリーとしてみたので映画の感想としてはとても爽やかで良かったです。
美しいこと
これまでにないくらい、美しいものを詰め込んだ映画。
この映画を見て私(20代です)は、あまり知らない結核の時代の文学や
日本近代史、そう遠い昔のことじゃなく私たちの国で実際にあった出来事、
かつて生きた人たちのことをもっと知りたいなと思いました。
さてこの映画、夢と恋というありふれたテーマを
とても美しく描かれていました。
二郎の夢はただ美しい飛行機をつくること。その夢を見失いかけた時
菜穂子が白い紙飛行機を受け取ってくれて、二人は子供のように
紙飛行機を飛ばして遊んでいます。本物の飛行機じゃないけれど
その紙飛行機こそ、二郎が描いた美しい夢に近かったのではないかと思います。
菜穂子は、結核を発症したあとも二郎がきれいだよ、大好きと
言ってくれたから、病気の辛さも弱音も漏らさず、美しく優しくいられる強さを
持てたんでしょう。高原のサナトリウムで一人涙ぐんでる菜穂子はどこか幼くも見えますが
二郎のそばにいる時の菜穂子ははっとする程大人びていて美しいです。
恥ずかしくなるくらい、シンプルで分かりやすいラブストーリーに見えますが
見る人の人生経験や恋愛経験に応じて、抑制された表情やセリフ、物語の行間に
実はいろいろ感じるものがあると思います。
震災の時、菜穂子が自分たちの荷物を持って行くのをあっさり諦めて
代わりに二郎のトランクを一生懸命運ぶ健気さに驚きましたが
大人になった彼女も、いつも自分の荷物は何も持ってなかったですね。
電報で菜穂子が喀血したことを聞いて、転げながら鞄に仕事の資料を詰め込む二郎の
姿も心に留まりました。他にはあれほど取り乱すこと無かったのに。
ふたりとも、大人だけど、子供のようにまっすぐに、
自分の分身みたいにお互いのことを思いやっていました。
国同士の思惑、前線で死んでゆく人々、罪もなく犠牲になる人々、
日本で戦争のあった時代を描く映画ですが、それらはあまり描かれません。
私はそれもありだと思います。
時代を捉える目線はいろんな角度があり、同時にすべてを知る人はいないから。
国が戦争に向かっている時、いつも通りの日常を過ごし
自分の目の前の仕事に集中し、出会った人と真摯に向き合う。それは愚かなことじゃない。
ひと一人の生きる世界や世の中を見る視野ってそんなに広くはないと思います。
テレビで見るほど、現実は単純ではなく分かりやすいストーリーがあるわけでもない。
一人一人の人生や、生きる意味、夢とかいうものは
世界の大きな動きに比べたら、すごくちっぽけなものかもしれないし
でも自分自身にとっては、何よりかけがえのないものになり得る。
そんなことを思いながら、自分が出来ることを精一杯生きた人たちの物語を見た気がしました。
どんな人も、自分が生きている時代や周りの環境と関係を持たざるを得ないけど
それでも、美しいものを達成することはできるのかな。
不思議な余韻が残る
何回も見たくなる映画ですね.
傑作 - 怪作というべきか.
とにかくディテールが素晴らしい.
ディテールの良さは,あいかわらず他の追随を許さない.
まさしく,神は細部に宿る.
ストーリはかなり単純で,起伏もわざと少なく作られているが
それがこの不思議な余韻を作り出している気がする.
号泣とはならないが,体が熱くなる感じがする.
いろいろと言われている,主役の二郎の声を出している庵野秀明
は,意外というべきか,当然というべきなのかピッタリであった.
作中,当時そうであったのであろうが,家族,兄弟の間でも,お辞儀を
し合うなど礼儀正しく描かれていて,家族や恋人に対しても
敬語を使って話をするなど,ある意味で,よそよそしいやりとりが行われるが,それがこの声に非常にマッチしていた.
もはや,あの役は,庵野以外考えられない.
たぶん,この映画は,一回見て,ストーリーがわかったあとで
もう一度見たときの方が,面白いと感じるのではないかと思う.
(まだ一回しか見てないので想像です)
どなたかがスルメ系の映画と表現していましたが,私もそう思います.
スティーブジョブズが,どこかの大学の卒業式の講演で
明日死ぬとわかったとしても,今自分がやっていることと同じことを
続けてするだろうか.
つまりは,何事も死ぬ気でやれという主旨のことを話していたが,
この映画にも通ずる.
いざいきめやも と言うことか.
ヒットするといいですね.
単なる感動だけではない、不思議な余韻が残る仕掛け
単なる感動だけではない、不思議な余韻が残る仕掛け
予備知識は必要ありませんでした。理解できる仕掛けがあります。
冒頭少ししてから菜穂子と接点ができるきっかけとなる震災のシーンがあります。
ここで自分は違和感が少し残りました。
まず短い、あっさりしている、何よりもまったく悲惨さがない。
モブのシーンで逃げ惑う人を追ってみました、
すると血を流している人がいないんです(たぶん)。
これは明らかになんらかの意図があることが分かる。
そこからしばらくして、カプローニとの会話
「君はピラミッドのある世界と無い世界、どちらを選ぶかね?」といわれ
しばらく思案して「うつくしいものがみたい」と返答する主人公。ここでハッキリわかります
つまり宮崎は美しいものしか描かないつもりなんだなと。
これは二郎の飛行機にたいする思いともリンクする訳です。
人が生きると言うことは綺麗なことではありません、
これは経験則からよくわかることでしょう。
その中で綺麗などといえるものは精々上澄みの数パーセント程度のものです、
その数パーセントしかこの映画では描かないと宣言しているわけですね。
がその中に狂気を潜ませる訳です宮崎という人は。
これは二郎や宮崎だけに当てはまることではないのです。
前半までは二郎のみの話しです、ここまでは二郎に共感する人は少ないでしょう。
というよりもこの美に呪われた会話すらできない人間に共感してはいけないという、
心理まで働くような仕掛けが見え隠れします。
それはシベリアを子供に与えようとするシーンでも分かる。
9.11の時ビルが炎上する姿をTVでみて、「美しい」といった音楽家がニュースになりました。
それ聞いたとき自分は非難することができなかったわけです。
自分もあのとき一瞬「何かに使えないか?」と思ったのが正直な所です。もちろん不謹慎の極みです。
職業人とはそういうものです、とくに芸術家なんてのは美しかない、
科学者にとっての人間倫理とは真理の次にある物なんです、
芸術家にとっては倫理は美の次にあるもの、それが正直な告白です。
宮崎はその告白をしている、戦争の道具である零戦を美術工芸品として上書きを試み、
関東大震災まで美しく上書きするのです。
同様に菜穂子の喀血までも美しく描くのです。
普通あのシーンでは横顔が写るはずです、が表情は見えない、
悲惨さなどの要素を排除しきって、花が散るような描写で描いてる訳です。
それをみて自分は「美しいな」と思う。
再開するシーンもすばらしいです。
今の時代とは違い女性から誘うことはできません、なので作戦が必要なんですね。
そのための間があの声を掛けないで見つめている部分です。
毎日通るであろう道の前に絵の道具をおき、
涙を流しながら「命の恩人に会うために、泉に毎日願掛けをしていた」とウソをつきます。
本当なら初めの段階で声を掛けるはずだからね。
で駄目押しで「彼女は結婚してもう子供は二人いるのよ」と聞いてもいないことをいう、
今風でいうなら「私に乗り換えて」ですが、そうはいわない訳です。
前半は共感できない心理が働く二郎のキャラクターなので、もんもんとしてしまいます。
がそのあとに菜穂子が出てきて飛びつく仕掛けになっているわけです。
彼女は狂気がない人間ですからね。
彼女は二郎の一切を肯定します、終始笑顔なんですね。唯一拒む場面がある、
それが手を離すか離さないかという所、要求はそこだけなんですよ。そこがまたいじらしい。
婚約が性急すぎるという意見もありますが、自分は十分です。
その前の戯れがあるのでそれで十分説明が付いている
二郎は「貴方のもとに届きますように」と紙飛行機を飛ばす、
菜穂子は懸命に受け取ろうとする、このシーンは重要です。
菜穂子には重要な意味があり、彼の飛行機は美の結晶な訳です、
それを受け取ることができるならば私はそこに並べるかもという淡い希望の心理が見て取れます。
普通あのように落ちそうになりながらとろうとしますか?しない。
彼女は病人だしね。受け取ると言う意味は菜穂子にとって非常な価値があるということです。
でキャッチすることができ、その後に期待の予感が残ります、
と同時に不安が残される訳です。紙飛行機はいったっきりで戻ってはこないですからね。
二郎にとって菜穂子は零戦と並ぶことができるのかというとそれは成就します。
ここにカタルシスがある。
二郎は結婚をあげるときにみたこともないような表情をする。そこは菜穂子の勝ちです。
最後に両方とも文字通り紙飛行機のように風にのって、いったっきりとなります、
そこで二郎は感謝の言葉を初めていう。
これは宮崎の言葉でもあるわけですね。それは観客に対するものではないと自分は思います。
そこもまたすばらしかった。傑作です。
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