風立ちぬのレビュー・感想・評価
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期待が高かっただけに…
「泣ける映画」と見る前からかなり評判が高かったため、期待値が上がりすぎていたのか、一度も泣くことなく終わってしまった。
ただ、さすが宮崎駿監督の作品で、「大人向けのジブリ映画」というだけあって、奥が深く、1度見ただけではすべてが理解できないような気がした。二度三度と見るうちにわかってくるものなのだろうと思う。
菜穂子のキャラクターがとてもステキだった。病弱だが、好きな人へキレイな姿を見せたいという意志の強さ。好きな人を愛する気持ちの深さ。芯のある強い女性だと感じた。
10年間
本作品の中に、「芸術家も設計家も才能は10年だ」という様なセリフがあります。
宮崎監督の10年を振り返って見ると、風の谷のナウシカからすると、だいたいもののけ姫まで辺りが10年という区切りになります。
いやもっと前から才能は開花していただろうという考え方もありますが、映画監督としては上記の期間になると思います。
ではその後の作品はどうか。
「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」「崖の上のポニョ」そして「風立ちぬ」
「千と千尋の神隠し」を筆頭に、興行的には「もののけ姫」以前の作品より成功しています。
しかし、それは単純に、それまでの10年の名作で築き上げた、宮崎監督のネイムバリューであるとも言えるでしょう。
初期から10年までの作品は、監督自らが描く緻密なシーンが至る所にあり、そしてそれ以外の箇所も、監督の目が行き届いており、結果、全編に渡り、監督の計算され尽くした、細部へのこだわりがひしひしと感じられ、何度観ても感動新たに観る事ができます。
しかし、それ以降は、監督が描くシーンは体力的な問題から激減し、それ以外のシーンも、監督の目が行き届いていない様に感じられるのです。
目が行き届かないのは、監督の精神力的な問題だけではなく、駄目な部分が多すぎ、そこにばかり気を取られ、全体にまで目を行き届かす事の出来ない状況になってしまうという事も言えます。
これは、今や日本アニメ業界全体が抱える問題ですが、若手育成の失敗によるところが大きいといえるでしょう。
いや、しかし、それ以前も状況的には今とそれほど変わっていなかったのかもしれません。
ただ、宮崎監督の才能が、そういった逆境をも全て解決出来てしまうほどの、とんでもないパワーが炸裂していたのだろうと思います。
監督自らも、自分の力を炸裂させる期間は終わったと認識しているのかもしれません。
もう体力的にも精神的にも、これが最後だろうと悟ったのかもしれません。
まだまだやりたい企画は山の様にあるでしょう。そういう発想的なものは衰えてはいないでしょうが、それを形に出来るという事も含めて、10年間という期限を言ったのかもしれません。しかし、会社という組織の中、自分以外に出来る者がいなければ、自分がやるしかありません。仕方なくという言葉は語弊があるかもしれませんが、ある意味仕方のない10年以降だったのでしょう。
その10年以降を今観返してみると、「ハウルの動く城」「千と千尋の神隠し」「崖の上のポニョ」までは、様々な物事のために、なんとかしよう。なんとかしなければ。という、そんな焦りの様なものが感じられ、こだわり云々という以前の問題を孕んでいた様に感じます。
しかし、今回の風立ちぬは、自分の好きな物へ思いを馳せ、想像し、妄想し、いいじゃないか、もう最期なんだから。これくらいの我儘させてもらってもいいだろう、と言う様な、どこか吹っ切れた感じが伝わってきます。
それに加えて、日本を、世界を代表するエンターテイナーが、これほど私的な作品を創るという事は、とんでもない事の様に感じられますが、やはりといいますか、これが日本人という奴なんだなぁと、真のエンターテイナーにはなりきれない。結局最後は内へ内へと思考が及んでしまう。宮崎駿という人は、ある意味真の日本人というところがあります。だれよりも日本人らしい彼らしいと言えるでしょう。
まぁそうは言っても、今後100年後も語り継がれ、観られ続けるであろう名作を、アニメーション映画監督としていくつも世に残すという偉業は、その10年の間に、持てる才能を遺憾なく発揮できた証拠といえるでしょう。そして、老いも若きも、あの10年の間に、そしてこれから先も、幸せな時間を過ごさせてもらい、もらえる事に感謝せずにいられません。
これが最後なのかどうかはまだ分かりません。まだ仕方なく、会社の都合に付き合わされるかもしれません。でも、私は、後はやはり子供のために、短編アニメーションなどでいいので、創ってくれたらいいな、などと勝手にながら思っております。
ありがとうございました。
賛否分かれる映画だからこそ、良い映画。
久々の宮崎監督自身の映画。今までの映画とは違い、監督自身のやりたい事をやった感がある映画の印象を受けました。そう言った意味で、今までのようなエンターテイメント性は薄くはなりつつも、地味ながらも得体の知れぬ底力を感じさせる作品になっています。
ぼ~~っと見てわかりやすく楽しめる作品ではないので小さい子供や客層は選びますが、生産者及びクリエイター系の仕事に携わっている人達には評判がすこぶる良い作品だと思います。
生きるのが大変だった時代だけに、いつどうなるのかわからない。覚悟を決めて生きることを決意した人々は、何とも人間らしく、強く美しく「生きて」いる。
そんな素晴らしい作品でした。
個人的には涙は流さなかったのですが、むしろ劇場を出てからボディーブローの様に、かなり!!キました。創作物を見てこんな気持ちになったのは何十年ぶりか!?
涙は一時の感情で流すものであり、流したあとはスッキリして忘れるものだと自分は思うのですが、「風立ちぬ」は感情よりずっと奥にある、魂を撫でられ、それがピリピリとずっと残るような映画でした。
太い映画でした。おそらくもう一度見にゆくと思います。次は涙を流してしまいそうです。
庵野さんの声ですが、これしかねえだろ!というくらいハマり役と思いました。
"本物の"宮崎ワールド
実在の人物をモデルにしたそうですけど、やっぱりファンタジーじゃないですか(笑)
宮崎駿という一人の男の夢想(妄想?)の世界をひたすら見せられた気分。
ジブリ作品全部がそうじゃないかといわれればそれまでだが・・・
少なくとも従来の宮崎映画は、観る人たちのことも考慮した作りになっていたように思う。
しかし「風立ちぬ」という作品には、おそらくそんな配慮などまったくされていないといっていい。
誰かが「老人の睦言」と言っていたが、その寸評が一番しっくりきた。
この作品には、彼の好きな物、嫌いな物、欲望、理想──そして少しの思想が詰まっている。
あらゆる絵が素敵すぎて、美しすぎる(いったいどこの国だよ! とツッコミを入れたくなったこともしばしば)
それにつけて、老人らしい皮肉も冴えている。
色々な寓意が、あちこちに散りばめられている。
とはいえ、宮崎駿は本物の天才なので、ただのオナニー作品には仕上げない。
アニメーションとしてアウトプットすることの価値をおそらく誰よりも深く理解している彼は、「芸術の見せ方」を特段意識することもなく心得ている。
そう、この作品は実写映画では描けない。実写でこんな映画をやったら、それこそ本物の「オナニー」になってしまうだろう(それも、72歳の!)
それだけに、庵野監督の声優起用は、計算ずくで、自分だけの世界にわれわれが踏み込んでくることを邪魔しているのでは? とすら勘繰りたくなった。
でも多分宮崎は、庵野がしゃべるための台詞を書いていると思うので、他の声優が同じ脚本でやったら、それはそれで味気ないものになっていた気がする。
なんにせよ、「風立ちぬ」は、ある意味"本物の"宮崎ワールドを描いた作品である。
この作品が、宮崎駿という作家の、"最後の集大成"にならないことを願うばかりである。
挑発的な傑作
宮崎駿監督がとんでもない映画出してきたもんだから、皆んな右往左往してる。
こんな神がかった日本映画にはそうそう出会えるものでは無い。ただ、作品から吹く風の中に何も感じられない人には、実際何にも残らない映画かもしれない。
けれど引っかかる仕掛けは幾つも用意されてあって、アニメと甘く見ていたら見過ごしてしまう偏執的とも言えるディテールが心に棘を残す。挑発的な作品だ。
映画の中で違和感を感じる部分にこそ、監督の毒が仕込まれていると感じた。
庵野氏の起用は本作の最大の違和感だろう。真っ白なキャンバスをパレットナイフでゴソゴソ引っ掻く様な空虚な声質だ。この声は愛も激昂も何も表現しない。そこがいい。この声で無かった場合、破綻してしまうような台詞が幾つもある。
子供にシベリアを拒否されるシーン。ただ実直に夢を追い打ち込む次郎の無垢だが罪深い仕事に、本能的に子供がNOと言っている様に見える。
ここにも違和感がある。覚悟の二人の悲しくも滑稽な唐突な結納の場面は仲人役の声優の演技も光る名シーンだ。
なんでもない冒頭の次郎の近視のくだり。人が見えるものがボンヤリとしか見えないマイナスから映画は始まっていた。同じ目が、終盤には妻を亡くし一機も帰らなかったという絶望の地平線を見る。
食堂の喧騒の中で次郎と菜穂子が視線を交わすシーン。二人の間で大量のクレソンを頬張っているのも可笑しい。
夜のテラスで「忘れる。忘れる。」と澄んだ目で何度も繰り返すのも、全ての日本人の深層心理に語りかけてくる不思議な場面だ。
次郎が紙ヒコーキを菜穂子に飛ばすシーンも違和感を感じる。隔離とはいえ横長のスクリーンであえてこの構図。二人の位置関係は、恋人や夫婦の距離とは全く別の距離感を表しているのかもしれない。
捕物の複雑に歪む影はオマージュか。鈍く光る石畳。印象派の絵画を思わせる風景。翼の三文字。記号の様に見える零戦の編隊。会議は躍る。絵葉書の肖像画の斜視。細かな仕掛けの数々。
そんな全部見なければ、サッと風が吹いただけのようにも思える作品。多分今年の最高作。
うっさいわ下のハゲ。宮崎駿のトラウマ
宮崎駿自身のトラウマへの返信かな?
少年時代に空襲され近所の知り合いの少女を見捨て、家財道具を乗せた車で逃げ出した宮崎駿は、
家財道具1つ分空ければ空襲の犠牲になった少女を助けれたわけです
それをしなかった
少女を見殺しにした
それが宮崎駿作品全てが少女が幸せになるお決まりストーリーの意味です
このサイトの公式評価者はやたら美辞麗句だけでここの大切さを抑えていませんね
このアニメの欠点は零戦というどうでもいい、ただの侵略戦争の殺戮戦闘機をさも偉い何かのように描く事
それを作った者を賛美している事などです
これは宮崎駿が自身のトラウマ解決を見出したかったんじゃないかな?
ただアニメ映画をいくつ作っても罪とトラウマの解決にはならないようですね
詳しい評価は他の方のネタバレレビューをご覧下さい
コナンのヒゲの使い回しみたいなあんなヒゲの人、実世界でいないような
とても滑稽ですね
またポニョの海がやたら汚らしいように公式評価者が並べるような美辞麗句の美しさは本物の自然にしかないです
晩年を迎えた宮崎駿じいさんが滑稽にトラウマや憧れと向き合おうとしたかんじかな?
毎度毎度の鈴木プロデューサーってハイエナみたいな方いらないような
ま みんなわざわざ時間と金使わなくても普通にDVD待ちでいいんじゃないかな
おじいちゃんのトラウマや技術者(宮崎駿の投影)賛美の価値観なんかどうでもいいからね
庵野さんは声よりさっさとエヴァンゲリオンの続きをまともに作ってとしか。
庵野さんでなければならない必然性はないです
よくも騙してくれたな、、、ネットで評価してたヤツら
おい、ネットで書いてる奴らお前ら組織票やろ、コレ。
実在の人物かなんか知らんけどそれをわざわざ皆大好きジブリアニメにして、主人公のメガネ男の幼少期からおっさんになるまで一から順に言葉でダラダラダラダラ人生説明して2時間20分経って、ヒロイン血吐いて、メガネ頑張って飛行機できて、お決まりの変なイタリア人登場、、生きねば涙、、、んでハイ!おしまい!!.....なめとんか!!!
こんなもん金使うな!観に行くな!!!いい歳こいた大人が斜に構えて、「うーん、いい映画でした。。。トレビア〜ン」っていう映画じゃ!募金でもしときなさい!!
まあ、キャラがわざわざ口で感情や状況、空気感を人に伝えるなんてエンタメとしては1番滑稽で子供騙し、無知なガキが見る映画。細かな仕草でしょうもない夫婦愛伝えようとする暇があるなら、秒単位の鳥肌立つようなかっこいいシーンをやれよ、それがエンジニアとしてでも夫としてでもどっちでもいいから。そっちのがよっぽど重要でしょ?エンタメなら。
淡々としたフランス映画のよう
じんわりと良い映画だったなぁと
久しぶりにエンドロールで余韻に浸れる作品でした。
音声も素晴らしいので、劇場で観られて良かったと思います。
ただ、過去への回帰、宮崎駿に己の過去作のコピーを作ることをを求めている従来のジブリファンからの酷評も割と納得です。
多弁でまくし立てていた若者が、老成してボソッと一言で諭すようになった、そのような監督の円熟を感じます。そこにギャップを感じてしまうのは仕方がないでしょうね。
観終わった直後はクリエイターのエゴ、業の深さについての話かとも思ったのですが、落ち着いて話の筋を見返してみるとまた違った見方もできるなぁ、と多面的な解釈を許すのは良い作品の証明でしょう。
私は、主人公ヒロインが人のながれをかき分けて行くシーンが何度もあったのが心に残りました。
私的に解釈するならば、人の流れとは時代の流れです。
主人公は、おそらくスパイ容疑でどうにかなったドイツ国人と親交をもったため特高に目を付けられます(このあたりは曖昧でしたが)。
会社は、彼が役に立つ間は彼を守ってくれますが、そのために病める妻に会いたくても会いに行けない状況に追い込まれます。妻は結核を患いサナトリウムでの療養を余儀なくされます。
その「時代」に翻弄され、本来ならば2人が同じ時間を過ごすことは叶わなかったでしょう。しかし二人は精一杯それに対抗して、ほんのひと時ですが二人の時間を作り上げることができました。
確かに体は悲劇なのだと思います。また共感できるキャラクタがいない、という意見も分かります。「二郎も人間だったのか!」のセリフでもわかるとおり、そもそも共感を誘うキャラにしていないのですから。ただ、昨今の主人公ヒロインに同情させて安っぽいお涙を誘う物語と一線を画すのは、見終わった後「生きねば」というテーマがじんわりと浸透してくることです。
死についてかかれた物語なのに、伝わってくるのは生きることの素晴らしさです。限りある生・夢の美しさです。これはストーリーテラーとしての宮崎駿の一つの到達点と言っても良いと思います。
長々と書きましたが、きっとこの作品はもう少し周囲の状況の熱狂が冷めてからもう一度ゆっくりと楽しむ作品かもしれませんね。
技術者の夢
[映像・キャラクターについて]
さすがジブリ!!と言わせんばかりの映像の美しさ。
初めの2分で心を奪われた。
キャラクターのデザインも個性もとても好きになった。
特に堀越二郎は魅力的だった。
堀越二郎の声に批判的な意見が多いが、
適切だったように思う。
慎重に言葉を選んで淡々と言葉を発するが、
優しさのある声。人柄がとても素敵であった。
[内容について]
本作品では、技術者が自分の夢に向かって一心に努力し、夢をかなえること
の素晴らしさが出ていた。
私も理工系の学生であり、この映画を見て技術に対する情熱をに共感を覚えた。
生きる上での価値は、目標に向かって努力することではないか。
この映画はこんなメッセージを込めているように思う。
実際、現代は苦労して目標を達成することを、小馬鹿にしているところがある。
こんな風潮を批判しているように感じた。
一方、自分の作った飛行機を使って、いろんなところを爆撃し、多くの戦死者が生じ人の命や夢を奪う。堀越二郎には自分の夢と裏腹にこんな葛藤も描かれている。
奈緒子との恋愛についてはあまり共感できなかった。
奇跡的な再会、そして結婚。
ありがちな内容だし、それぞれの感情表現が少なく、
入り込めなかった。
[総評]
私にとっては、泣ける映画ではなかったが、印象深い映画の一つ。
上にも記したがなにしろ映像が綺麗!!
他の人のレビューにもあったが、
行間を読まないと、分からないことが多いのは文学作品のようであった。
また、映画が終わってから考えさせらる点が多い作品。
周りで子どもが退屈そうにしていたので、子どもには向いていないかも。
大人のためのジブリ作品と呼ばれている点には納得。
主人公に感情移入
出来るのは、理系男子やクリエイティブな仕事をしている人間だけだろなと感じた。
そういう人間以外はセリフの棒読みと、感情がわからない主人公に気持ちを乗せるのは困難だと感じるだろう。
映画を観ている内に自然と主人公に感情移入し、ジブリならではの世界に入りびたり、ずっとこの世界に浸っていたいと思いながら終幕を迎える。これはジブリ映画しか味わえない醍醐味だと長い間信じてきた。
しかし、この作品でその期待はゲド戦記以来2度目の裏切りにあった。映画を観て退屈で眠たい、早く終わらないかと思ったのもまた2度目だ。
最後にある少しだけの感動シーンとユーミンの曲だけが印象に残った退屈な映画だった。
監督には過去の名作のリピートで神格化されつつあるジブリの過去作品のような王道のファンタジーをまた作って欲しい。
こんな時代だからこそ、現実世界からより遠く離れた世界の話をみんな求めていると思う。
次回作に期待してます。
良い映画でしたよ
ストーリーや構成的にはアニメより実写向きかな・・・
クリエーター賛歌
夢への情熱と儚い恋...人生でもっとも濃い若い日の物語
当時、世界でも稀に見る高性能戦闘機ゼロ戦(零式戦闘機)を設計した堀越二郎の若き日の物語です。関東大震災から第二次世界大戦終戦までの20年間。昭和の激動期にありながら、物語はいたずらにその歴史を語らず、ひたすら、その時代に生きた若者の『夢への情熱』と『儚い恋の行方』を描いてます。
青い大空やそよ風の吹く草原など大自然の描き方はもちろん、人々の立ち振る舞いも実に情緒豊かに表現されていて、すがすがしくもあり、物悲しくもあります。社名など実名で登場し、家屋や座敷の詳細まで当時のままを復元したかのように精巧に描かれ情緒を誘うシーンのある一方で、ジブリらしい自然や人物のやさしいデッサンの雰囲気もそのままです。
堀越二郎の人生を通じて堀辰雄の文学的テーマ「生きることへの情熱」を伝えようとしています。ジブリの作品としては、久々に単純明快でストレートなメッセージの伝わる作品になったと思います。中高年が見て懐かしむだけでなく、若者へのメッセージ性に富んだ作品にもなっています。
「日本の少年よ、風はまだ吹いているかね?」
(風)とは、(希望)であり(情熱)なのに違いない。
好きな映画のひとつとして数えられる作品でした.
従来とは違う
ジブリ作品はいつも観ていると
ワクワクする感じを心の中に持っている。
しかし、この作品はそれがなかった。
ジブリ好きの私がまさかの好きになれないジブリ作品、
それに当たってしまったかと懸念するくらい。
でも見続けていくと、
ワクワクはないが、心の何かに触れてくるものがあった。
大人のジブリ、そう言った意味がよくわかる。
そして、いつもの鈴木プロデューサーの字で書かれた、
「生きねば」
この言葉の意味もよくわかる。
実在の人物を扱いながらも、
その扱い方、戦争の扱い方への違和感があったが、
風立ちぬ原画展で鈴木プロデューサーが語った宮崎監督の想いを読み、納得がいった。
良くも悪くも期待を裏切る新しいジブリ作品。
そんな気がした。
いや〜、これは賛否両論出るだろうな。としみじみ思う。
これもファンタジー
前評価は色々あったが、やはりこの『風立ちぬ』も、従来の宮崎駿作品と同じくファンタジー映画だと言った方がいいだろう。ナウシカやラピュタ、ハウルを観て本気で戦争や文明社会のあり方を考察されることがないように、この作品も戦争や当時の日本の社会問題が本気で考察されるものではない。風立ちぬの詩にあるように、見えぬものを周辺の木々のざわめき感じ取るというコンセプトがあるようだが、当時吹き荒れていたのは暴風雨だったはずなのに、それを描くにしては今作はあまりにもそよ風ぎた。過去の作品としては、現実の大和朝廷のある日本を舞台にし、マイノリティへの差別や自然と人との相容れなさといった多くのテーマを詰め込んで、そして一言「生きろ」ととてつもなく真っ直ぐなテーマを投げかける『もののけ姫』がこれに近い。
しかし一方で、この作品にはこれまでの宮崎駿の作品と大きく異なるところがある。それは彼がインタビューで度々言及していた「失われた可能性」が存在していない点だ。これまでジブリの主人公たち、特にヒロインは圧倒的なシステム、権力の前に立ち向かう勇敢な女性ばかりだった。立ち向かい、乗り越え、そして些細であっても世界に変化をもたらし「失われた可能性」を取り戻すような、そんな健気で強い女性たちだったが、今作のヒロインの菜穂子は彼女たちとはまるで違っていた。彼女が選択したのはいかに立ち向うかではなく、いかに受け入れるかだった。彼女にとってすでに死が避けられぬなら、あとは死に方の問題だったのだ。死からの抵抗から死の受け入れ、いきなりこんな趣旨替えをされては、宮崎駿に長年連れ添った鈴木プロデューサーがプロモートとはいえ「宮さんの遺言だ」と発言してしまったのも仕方がないと言える。そしてこの「抵抗」するのではなく「受容」するという物語のあり方が、この作品の評価を大きく二分してしまっている大きな点ではないだろうか(庵野の声に関しては言われすぎているので自分はスルーするとして)。
なぜなら生き物にとって「抵抗」することは自然なことで、生命が脅かされたならどんな虫けらであってももがき「抵抗」するという、そこには無条件の必然性、リアリティが存在する。しかし一方で「受容」するということには無条件の必然性は存在しない。ゆえに観客がそこにリアリティを感じるためには、なぜ彼らがその選択をしなければならなかったのかという文脈が必要となってくるのだが、この物語にはその主人公たちが選択した「受容」にリアリティを持たせる文脈が不足していたのではないか。彼らが最後まで病気と戦う選択をしなかったのはなぜだろうか?結核は当時致死率の高い病気だったが、この病気から生還した人間もまた存在した。しかし彼ら、いや宮崎駿はそうしなかった。抵抗し続ける選択であっても、美しい人間の生き方を描けるにもかかわらずだ。確かに愛しい人と最も濃密な時間を過ごしたいという欲求は文脈の一つになりうるが、それが全てではあまりにも感傷的すぎるのではないか。結果として、宮崎駿の用意した文脈の一本に上手く乗ることができたならば、その人はこの物語にとことんハマることができるが、その網目からひとたびこぼれ落ちた人にとってこの作品はとんでもない駄作となってしまっているのだ。都合よく男女が再会し結婚し結核で死にかけで美しいという使い古されたツールを前面に押し出した根拠ない健気さを持つ女の横で好き勝手やっているメカマニア、そんな構図に落ちかねないのである。
それだけではない。果たして、この物語は堀越二郎と堀辰雄という二人の人間を組み合わせた形になっているが、その必要性はあったのかという疑問も残る。片方だけを重点的に描いたほうが、より説得力を持って描けなかっただろうか。飛行機製造のシーンは間違いなく美しかった。設計図から飛行の様子、事故へ至るビジョンを二郎がイメージする演出からは、きっと並外れた天才の風景はこんなふうに広がっているに違いないと思わせ、観客にその二郎と同じ天才の視点を共有させる演出のワクワク感は、決して飛行機マニアだけでなく楽しめたに違いないし、宮崎駿の独りよがりなどでは決してないエンターテインメント性があった。だが、その天才が作り出した美しい零戦が人を殺すという苦悩もより深く描けたはずなのに、それを最後に「一機も戻ってきませんでしたが……」と片付けさせているのが、この作品が他でもない「そよ風」に落ち込んでしまっているところだ。この作品のことをファンタジーだと前述したのは、ファンタジーならば許される文脈の不足と、戦争を「そよ風」で描いた現実感の無さがあったからだ。それが結果として、間違いなく美しく崇高なものと隣り合わせになりながらも、そんな文脈の不足から物語に乗れない、遠くで風でざわめく木々を眺めながらも、自分の体には風が一向に吹いてこない人たちに対し、ひたすらな後味の苦さを残す作りになってしまっているのである。
この『風立ちぬ』は時代と人の成長によってこれからも評価が変わり続けるだろう。受け手にも文脈があり、そしてそれは常に変化していくからだ。ある人は後々に素晴らしい作品だと言い、ある人は一時の自身の熱狂に首をひねるかもしれない。評価が良い意味で変動しないナウシカやラピュタと違い、そいういう点ではやはり宮崎駿の最高傑作だとして記憶されそうな作品ではある。
なぜ素直になれないのだろう
さっき見てきて、この映画のエンターテイメント性の高さに感動しました。
他のレビューを見て思ったんですが、びっくりするような低評価を付けている人。
退屈だった、何が言いたいのかサッパリだ、病人の前でタバコを吸うな、監督のオナニーじゃないか、兵器作りを肯定するな・・・etc
こういう事を言う人たちは、なぜもっと純粋に映画を、ひとつの体験として楽しめないのでしょうか。
冒頭に出てくる、空に浮かぶ壮大な雲の隙間から差し込む太陽の光の描写の美しさに何も思わなかったのか。さまざまな飛行機が物凄い迫力と轟音でエンジンを回して飛んでいるような、見たことも無い映像に何も思わなかったのか。突然の電報に、涙を飛び散らせながら家を飛び出す次郎の表情に、何も感じなかったのか。
だいたい、ジブリ作品に酷評を付けてるひとは、自分の常識や知識と映画を照らし合わせることしかしてなくて、理屈ばかりこねくり回して、非常に頭でっかちで、読んでいて悲しい気分になります。
メッセージ性とかテーマとか、倫理などは、映画を見る上では僕にとってはどうでもいいです。この映画のストーリーがたとえ作り物だとしても、瞬間、瞬間の人の表情や、セリフや動きに、とても感動しました。
例えば、次郎が愛する人のために死に物狂いで支度しているときに畳で滑ってずっこける動きとか、必死さが伝わってきてもうそれだけで泣いちゃいました。
ラストシーンも、ハッキリと答えを出さず余韻を残しつつ、しかしさわやかにフィニッシュしていて、もう文句の付けようがありません。オススメです。
彼の決意に泣けました。
生きていると大なり小なり理不尽なことに出くわすことはあります。でも、その最たるものが、戦争なのだと思いました。美しい飛行機を作りたい、その思いだけだったのが、結局、戦闘機の開発になってしまう自己矛盾を抱きながら、二郎さんは、生きたのかもしれませんね。最愛の妻の死も、戦争の片棒を担いでしまい、たくさんの人を死に追いやってしまったことも、もしかしたら、二郎さんにとっては、死にたくなるくらい苦しいものだったのかもしれません。でも、最後に、彼は「生きねば。」と結んでいます。どんなに辛くても、現実をしっかり受け止めて、自分の命を全うしようとする静かな決意が感じられました。その決意の重たさに、私は、心が震えて、泣けました。この映画は、限られた時間の中で、お互いを思いあった美しい夫婦愛の物語として捉えることもできるのでしょう。実際、ほのぼのとしたシーンや、胸キュンの素敵なセリフもたくさんありました。また、具体的な戦争シーンもあったわけでもありません。零戦の開発される様子を淡々と描いていました。それでも、なぜか、私は、見終わったとき、絶対に、戦争はいけないと思いました。自分も、子供たちも、できうるならば、世界中の人々が、こんな理不尽な思いをしてはいけないと思いました。だから、この映画は、私にとって、反戦の映画なのです。
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