「菜穂子(苦難の時代)は風。二郎(日本)は飛行機。この作品は風が吹いた(苦難が時代が来た)から飛ぼう(生きよう)とする主人公(日本)の話である。」風立ちぬ eigazukiさんの映画レビュー(感想・評価)
菜穂子(苦難の時代)は風。二郎(日本)は飛行機。この作品は風が吹いた(苦難が時代が来た)から飛ぼう(生きよう)とする主人公(日本)の話である。
物語の要約:
飛行機が大好きな少年が大きくなり戦闘機の開発者になる話。話の途中で妻となる女性と運命的な再会を果たし結婚するが妻は病気で亡くなる。
点数:2.0
難しいのでお勧めしません。飛行機と妻と昭和初期の時代などテーマを詰め込みすぎている。難しすぎて退屈で面白くない。
ヒロインは主人公の妄想:
本作の病弱なヒロインはナウシカやもののけ姫とは違うヒロイン像を提供するが病弱だけではない隠し要素がこのヒロインにはあると思う。汽車の中で主人公とヒロインが初めて出会うシーンで風に飛ばされた主人公の帽子をヒロインがキャッチするが、その時初対面なのに二人がわざとらしく息の合ったセリフを言う。このわざとらしさからおそらくヒロインの菜穂子は主人公の二郎の妄想上の人物だと思った。妄想なので二郎はすぐに詩の後半が言えたのだ。リアルだったら汽車の音がうるさくて1回ではよく聞き取れないはずだ。さらに劇中では二郎は妄想が好きな人物として描かれている。飛行機に乗る夢を見たり、会ったこともないイタリア人の飛行機開発者と会う妄想もしている。だから菜穂子という人物も妄想だと思う。別荘でのプロポーズのシーンで二郎は紙飛行機を2階にいる菜穂子に投げるのだが紙飛行機の飛び方が飛びすぎて不自然なのは菜穂子が映画の世界に実在していない証拠である。菜穂子という人物は最初からいなかったと私は思う。実際では二郎は軽井沢の別荘に保養でいったのではなく妄想症の治療に行ったのだと私は推測する。
ヒロインの正体:
ヒロインの正体は風だと思う。風は目に見えないが飛行機を飛ばすためには絶対必要である。飛行機が飛ぶためには翼に揚力という力がかかっていないといけない。揚力を発生させるのは翼の形態と風である。風は目に見えないのでヒロインは妄想の人物である。だが主人公の二郎という飛行機を飛ばすためにはヒロインの菜穂子という風は絶対に必要な存在であった。
視聴:地上波テレビ 初視聴日:数年前 視聴回数:数回
追記:
この作品は日本の物語でもある。この物語は戦前の日本が置かれた状況(不況、災害、厳しい国内外の情勢など)を風に例え、戦前の日本を飛行機に例えていると思う。戦前の日本という飛行機は時代の苦難の風を受けて大空を高く飛ぼう(生きよう)としたがうまく飛べなかった(戦争に負けた)。しかし、物語の最後で菜穂子(風)は「生きて。」と言う。何度も逆境の風を受けようとも日本は飛んで(生きて)くださいということが作品のメッセージだと私は思う。
追記2:
逆境の時代はどこの国にもあるので他の国でもこの物語は通用すると思うがこの物語で国内外の太平洋戦争の日本の悪印象を払しょくすることはなかなかに困難であろうと思う。それはこの作品のもつ物語の美しさゆえである。この作品が太平洋戦争を美化しているという他国の批判は避けられないであろうと思う。戦争の時代、生きようとしたのはどこの国もみな同じであるのでたとえば外国人のカップルも登場させて菜穂子と二郎のカップルと対比させるとこの物語の重厚さが増したと思う。
追記3:
この物語が言っていることは戦争の時代はどこの国も生きようして戦争するのであって決して死のうと戦争するわけではないと言っていることだと思う。戦時中の日本は国のためなら死ぬべきという思想があったと思うがこの死の思想とは真逆の生の思想によって日本は生きようとしたが結果悲惨な戦争が生まれたとこの作品は言っていると思う。日本は逆境を受け生きようとして戦争して負けたが負けても生きようとしていることはまったく変わっていない。いつどの時代の戦争にも死ぬ思想はある。例えば宗教のため、あるいはイデオロギーのため、あるいは国家のためなら死ぬべきという過激な思想。この作品はそれとは真逆のこと言っている。私は戦争を肯定したくはないが、戦争は「生きる」ための手段でしかありえないので戦争のために死ぬのは間違っている、それを忘れないで戦争というものを知ってほしい、とこの作品の作者からメッセージを私は受け取りました。
追記4:
菜穂子は結核の治療のため大好きな二郎のもとを離れますがこの時の菜穂子の気持ちは愛する人のため最後まで生ききる決意に満ちていたと思う。二郎という愛する人のために「生きる」選択をした菜穂子の姿が戦時中、そして今の日本の本当の姿だと作者は言いたかったと思う。作者の日本への愛は菜穂子の行動のように「生きる」ということに集約されていると感じる。日本は戦争に負けようが時代が令和に変わろうがまったく変わりなく風の中をずっと飛んできた(生きてきた)といえる。風が吹くから飛べるようになる。つまり、逆境があるからこそ生きる力が生まれてくるということである。ピンチは飛ぶためのチャンスということである。
追記5:
この作品ではヒロインの菜穂子は昭和という時代そのものの比喩であり主人公の二郎は日本の比喩である。とすればカプローニは日本が追いかけていた理想の欧米文明の比喩であろう。ただしカプローニは現実の欧米文明ではなくあくまで理想化された欧米文明であると思う。現実の欧米文明の発展は植民地主義や奴隷貿易やアヘンや武器商人の暗躍などの暗い部分に支えられていたのだがカプローニは欧米文明の最新の農業や科学技術や政治経済のシステムなどの明るい部分だけをクローズアップし理想化された欧米文明の比喩である。しかし日本は欧米文明の明るい部分だけを真似したのではなく暗い部分もゆがんだ形で真似してしまった結果が現在の日本を形成している。と私は思うのである。
追記6:
人類は時代という風がないと飛べない飛行機であるが2度の世界大戦の時期はつらい風であったと思う。戦争が人類に必要なのではなくて時代が人類には絶対に必要である。人類は時代がないと前進できないからだ。確実にいえることは人類は飛行機のように前に進んでいるということである。
追記7:
実在の堀越 二郎は昭和初期に日本の零式艦上戦闘機を設計した有名な技術者である。当時の世界は科学技術が目覚ましく進歩して様々な兵器が登場した時代であった。潜水艦、航空機、戦車、レーダー、ロケット、毒ガス、など枚挙にいとまがない。産業革命により工業製品の大量生産・大量消費しなければ死ぬ呪いにかかった列強は生きるために戦争を起こさざるを得なくなった。それは作らないと死ぬ呪いである。兵器が高価で複雑になればなるほど兵器を大量消費する戦争は国家にとって重要となった。作らないと死ぬ呪いにかかった国家は何かを作り続けないといけなくなった。戦後の日本は生きるために自動車や機械を大量に作った。
追記8:
堀越二郎にとって菜穂子という時代の風はおもに戦争であった。堀越二郎という飛行機は戦時中の兵器開発競争の時代の風を利用して飛ぶこと(生きること)を試みた。宮崎監督にとって菜穂子という時代の風は戦後のアニメや漫画の流行であったのかもしれない。戦後のアニメや漫画の流行という風は宮崎監督という飛行機に飛ぶこと(生きること)を試みさせた。宮崎監督にとって菜穂子はアニメや漫画そのものかもしれないと思う。とすると菜穂子が結核に倒れる本作品を作った宮崎監督は現在の漫画やアニメ業界に危機感を持っているのかもしれない。
追記9:
現在の漫画やアニメ産業は世界的に成長産業である。スマホやテレビは世界中で一人一台があたりまえになりつつあるので日本の漫画やアニメはすぐさま翻訳され世界中の人々に提供されている。宮崎監督が現在の漫画やアニメ産業に危機感をもつと思われるのはどの部分であろうか。風立ちぬでは(あくまで架空の本作の設定で実際の本人は飛行機を名誉やお金や会社のために作ったりしたのかもしれないが)平和に飛行機を作りたかった主人公が利用され作った飛行機を戦争に利用させられたが宮崎監督は純粋に人々を楽しませる質の高いアニメ作品を作りたいがそれを広告産業のお金儲けに利用されられる漫画やアニメ産業に危機感をもっているのかもしれないと私は思う。不本意な目的で戦闘機を作らせられている映画の堀越二郎を不本意な目的でアニメを作らせられている宮崎監督自身に重ねているのかもしれない。
追記10:
広告産業がアニメや漫画を利用するのは多くの人が長時間注目して見るからである。多くの人の注目を集めることがどれほど価値があるのかは広告産業で動く金額の規模を見ればわかるであろう。現代ではコマーシャルが世界を支配しているといっても過言ではない。コマーシャルはいろいろな効果を持つ。商品を買わせたり流行を操作して作らせたりできる。偏見や差別や憎悪を世界に広めたりその逆もできる。ばれないように政治に利用することも不可能ではないと思う。広告業界がアニメや漫画に目をつけ利用するのはいいことばかりではないと宮崎監督は知っているのであろう。
追記11:
アニメや漫画はかつて戦争に利用された経験がある。戦争ではなくお金儲けのなどの手段に利用される現代のアニメや漫画は青少年の成長や国民全体や国家の未来にも影響をおよぼしていると思う。1980年代のアニメや漫画は最初の全盛期であったがそれに影響された当時十台の若者は現在働き盛り年代であるが現在の日本における様々な問題の解決には当時のアニメや漫画は無力であったと思わざるをえない。当時叫ばれた環境問題は世界で悪化する一方であるし盛んに恋愛漫画が作られたが仕事がなく収入がなくては恋愛どころではない。広告産業に利用されるだけのアニメや漫画は日本や世界の問題解決には無力であった。現在のアニメや漫画は人類への貢献が低いという危機感を全人類がもたねばいけないような気が私はするのである。
追記12:
広告産業に利用されたアニメや漫画は国民を愚民化し、考える力を失わせ、偏見を植え付け互いに仲たがいさせるよう仕向け、アニメや漫画を見る国民を資本主義社会の底辺の従順な宗教の信者に仕立て上げ人類を苦しめている。これは飛行機が戦争に利用され人類を苦しめたのと同じ構図である。本作品の堀越二郎は作ったアニメが不本意な目的に利用される宮崎監督や庵野監督のことを指していると思われる。
追記13:
世界中の多くの人々がアニメや漫画を見れば見るほど世界は良い方向に向かなくてはいけないと危機感をもっている宮崎監督の渾身の作品が本作品であると思う。かつてキリスト教の聖書や仏教の経典は人類の創作物でありながら多くの人の人生を助けたがそのような役割がアニメや漫画本来のものであると宮崎監督は信じていると思う。しかし宗教の創作物も不本意な目的に利用されてきた歴史がある。植民地支配にキリスト教はかかせなかったし、民衆の不満を解消することなく宗教で煙に巻き権力者が安定して民衆を支配する手段としても機能した。と思う。
追記14:
本作品は主人公の堀越二郎が才能を戦争に利用され妻も結核で失うバッドエンドであり読後感が良くない。バッドエンドは珍しい。
宮崎 駿監督作品一覧
カリオストロの城(1979年)
風の谷のナウシカ(1984年)
天空の城ラピュタ(1986年)
となりのトトロ(1988年)
魔女の宅急便(1989年)
紅の豚(1992年)
もののけ姫(1997年)
千と千尋の神隠し(2001年)
ハウルの動く城(2004年)
崖の上のポニョ(2008年)
風立ちぬ(2013年)
君たちはどう生きるか(2023年)
本作品は宮崎監督の11番目の作品であるが2013年は東日本大震災などの災害やイラク戦争が長く続き、北朝鮮のニュースが盛んに放送され日本でも戦争の軍靴の足音が遠くから聞こえてくるような時代であった。先行きの不安な時代をこの作品のバッドエンドに込めたのかもしれないと思う。
追記15:
私が宮崎監督の作品を映画館で観たのは魔女の宅急便が初めてであった。私は大画面のスクリーンで空を飛ぶキキの姿を見て本当に空を飛んでいる気分になったが同時に年頃の少年だった私はキキが衣服の遠慮なく飛ぶ姿を見て気恥ずかしかった。しかし年をとってアニメを見るのは気恥ずかしくなくなった。