「とても楽しめた。」風立ちぬ AYATOさんの映画レビュー(感想・評価)
とても楽しめた。
どうして低い評価がついているのか。全く理解できないが、それ以前に理解されていない、又は理解しようとしていないのではないかと思うとどうにも悲しい。
この作品は宮崎氏を投影した作品である。主人公堀越はどこまでも宮崎氏の意識の中で夢を見ていた存在である。夢の中の宮崎氏といってもいいのかもしれない。現実はここまで夢に忠実に生きる事は出来ない。他に色んな制約がかかり、時には夢を捨てる事もしなければならない。けれど、堀越はそうならない。挫折し、壁にぶつかりながらも、最後には夢を叶えてしまう。
たとえそれが大きな犠牲の上に成り立っていたとしても。気付かず、気にせず、堀越は夢の中で、満足げに歩いていく。生きていくのだ。
そんな事はこれまで数々の名作を生み出してきた宮崎監督にもできはしないだろう。戦況が悪化した事を告げる新聞にくるまれた部品をただ手にとって、それには意も介さず、再び設計へと戻る。それは普通の人には決して出来ない事、そして宮崎監督自身も出来ないと認めてしまった。出来なかったし、これからもしないだろうと思ってしまう。だから、堀越氏に託したのではないかと思う。自分の意識の中で渦巻いていた。こうしたい、ああしたい、といった理想の姿。そういった意味で、堀越氏は宮崎氏自身だと言えるのではないか。
ただ、それには語弊が伴う。前述の通り、宮崎氏の過去だとか、青春だとかそういったものを投影しているわけではないのだ。あくまで夢の中の存在。自身の意識の中だけの存在なのである。
単純に、風が吹いているのだから、生きると。素直に愚直に不器用に夢を追い続けてきていたら、私はこんな姿になっていたのか。理想をただ追いかけた姿は、こんなにも美しく、脆く、哀しいのか。
監督の涙とは、こういった意味だったのではないかと私は考えている。