「懐かしい」風立ちぬ 長江天際さんの映画レビュー(感想・評価)
懐かしい
「美」を専一に追いかける事にはリスクが伴う。
倫理や社会性、良識や法律が、「美」の探求者に時として強烈な掣肘となる。
まして、それが戦時下ともなれば。
宮崎駿監督の「風立ちぬ」に描かれているのは、戦時下に美を追い求める男の物語である。彼には一切の躊躇いが無い。 草叢を無視して空を行く紙飛行機をキャッチする際にも、肺病の恋人にキスをする時も、禁じられている区域に歩み入り小型飛行機に近づく時も、ゾルゲを思わせる外人スパイと思しき人物との無防備な接触にも、
そして、殺人兵器である高性能戦闘機のデザイン(設計)においても。
二郎は戦時下という制約の中、幼い頃からの夢、美しい飛行機をひたすらに追い求める。
冒頭夢の中で、手製の飛行機で少年時代の彼が故郷の空を飛ぶシーンが描かれる。
堀越二郎自身の著書にも、このような夢を頻繁に見た、と書かれていたが、これは宮崎自身の、少年の頃の、夢でもあるのに違いない。
映画の構造は夢に始まり夢に終わる。
ラストの廃墟の中で二郎が夢見るのは、ただひたすらに追い続けた二つの美しいもの。
冥界へと向かう空の彼方の夥しい機影と、絵を描く恋人。
つまりは、この映画は全てが少年が、そして宮崎が見た一幅の夢に過ぎなかったということなのだろう。夢の中では善悪も無ければ、真実と誤謬の区別も曖昧だ。そこでは我々の行動に掣肘も無く躊躇も無い。ただ単純に欲しいものを追い求める。
荒井由実の「飛行機雲」の歌詞との奇妙なレゾナンス(共鳴)は、歌詞の中の少年が映画の中の主人公そのものと思い至れば得心が行く。帝大を首席で卒業しようが、大不況の最中、三菱重工のエリート技術者になろうが、彼は少年のまま日々を過ごす。
巨匠と呼ばれる白髪白髭の原作者も、自らをそのように定義しているのではないか?
切実に欲しいもの、それは許されざるものである。許されざるものだからこそ、切実さが募る。美しい流線型の殺人兵器。死病に冒され、切ない一時の美しさを永遠に留める美少女。
それを望み得るのは、無垢で恐れを知らない少年。それを描き得るのは、一瞬の輝きを、時を止めず暗闇の中に溶かして行く映画。
宮崎監督自身、戦闘機への偏愛と戦争への嫌悪の相克に悩むという。この映画はその矛盾を、矛盾のまま映像化した作品である。注意深く、倫理や歴史の澱(陰謀・差別や悪意)といった夾雑物が排除されている。だから美しい。
この映画を見る正しい姿勢は、その美しい夢を共にすることである。
無防備に、愛惜の念を作者と共にして。