「美しかった。」風立ちぬ ayakaさんの映画レビュー(感想・評価)
美しかった。
本当に美しく、素晴らしい作品でした。
簡単にではありますが、私が感じたことや魅力を綴ります。
まず、子供が飽いてしまう理由ですが、宮崎駿監督の代表作の一つである『もののけ姫』や『風の谷のナウシカ』、『千と千尋の神隠し』などのような盛り上がるシーンは皆無だからだと思います。
この映画は堀越二郎という人物の半生を淡々と物語にしています。そこを間違えないでいただきたい。
故に、「面白い」と言える作品ではないのかもしれない。「面白い」というよりも「素晴らしい」、そんな一言が実によく合う。
観た後に何かが心に残る、一日や二日経ってからじわじわ良さがにじみ出てくるようなそんな作品。「あのシーンのあの人は、こんな想いだったのだろうか。」、そんなことを考えてしまう映画。
美しい飛行機を追い求めた堀越二郎。彼を死ぬまで愛し、想い続けた里見菜穂子。
堀越二郎の目的は美しい飛行機を作ることであり、戦闘機を作ることではなかった。
美しい飛行機、美しい想い、美しい妻。美しいものを追い求める堀越二郎に熱く想いを寄せた里見菜穂子。山での治療よりも、命を削ってまで堀越二郎との時間を選んだ彼女の美しい想い。美しい時間と追い風を堀越二郎にしっかりと送り、黒川家と堀越二郎に心配をかけることなく消えた彼女はどんな想いだったのでしょうか。きっとそれは美しくも儚いのでしょう。
自分の飛行機が美しく空を舞った時、彼はきっと感動したでしょうが、手を挙げて喜びはしなかった。周りが歓声を上げ、手を大きく挙げて喜んでいたその時、堀越二郎は物悲しそうな表情をしていた。最愛の人である里見菜穂子の死を悟り、自分の10年に終止符が打たれたことを実感し、全て手に入れたと同時に全て失ってしまったようにも思える。
最後の、カプローニと堀越二郎の夢のシーン。
「あれが君のゼロか。」と問うカプローニと、「でも、一機も帰って来ませんでした。」と話す堀越二郎。本当に切なかった。
全てを失った堀越二郎、そしてそんな堀越二郎への「生きて。」という里見菜穂子からの一言。とても重く、美しい一言であると感じました。
作中で堀越二郎はあまり感情を表に出しません。賛否両論ありますが、庵野さんの声は堀越二郎の性格によく合っていたと私は思います。優しく温厚で、しかし熱い想いを胸に抱き、夢を追い続ける堀越二郎。そんな彼が、里見菜穂子から「生きて。」と言われた時、「…はい。」と目をぎゅっと閉じ、感情を露わにして答えます。
「君は生きなければならない。」
カプローニからの言葉。全力で生きてきた10年。堀越二郎の想いはきっと大きく、重いものです。
「少年よ!まだ風は吹いているか?」
作中で何度もカプローニが言うこのセリフもまた、堀越二郎にとっての風になっていたことでしょう。
「風立ちぬ いざ生きめやも(風が立った。生きることを試みなければならない。)」
生きることを試みる。それがどんなに困難なことか。
しかし風が立っている。それは愛する妻、里見菜穂子から送られた風であり、夢の師匠であるカプローニから送られた風であり、厳しくも優しい上司、黒川からの風でもある。
たくさんの人からの風を受け取って、自分はまた前に進まなければならない。どんなにつらく困難な人生でも、生きなければならない。
この映画のキャッチフレーズである、「生きねば。」
それを酷く痛感する作品でした。
震災や戦争の様子が詳しく説明されるシーンはない。堀越二郎はきっとものすごく苦労し、葛藤しただろうが、頭を抱えて苦悩する堀越二郎は見受けられない。故に登場人物の心情を思い描くことが難しいものとなったのだろうが、宮崎駿もまた、細部に渡って美しさを追い求め、一つの作品にした。彼には本当に頭が上がりません。
いろいろなものを贅沢に詰め込んだせいで、わかりづらいシーンがたまにありました。例えばこの映画がもっと長いものだったら、きっと今以上に深く思うことがあったかもしれません。
本当に素晴らしい作品でした。
大切な人とこの作品を観ることができて、私は本当に幸せです。
まだ観ていないという方は、是非大切な人とこの作品を観てください。
きっと今まで以上に、その人との時間を大切にしたくなる。誰かとの一日を大事にしたくなる。自分の一秒が美しくなる。
綴りたい想いは溢れているのに、文章にするのは難しいですね。笑
しかしながら、例えば私のこの文章が、これを読んだあなたの風になればと思うのです。
あなたには、風が吹いていますか?
なかなか、難しいですよね、言葉って。
もしよろしければ、堀辰雄の「風立ちぬ」をお読みください。
命短い二人の、その命を紡ぐ物語があります。
中身は、この映画とは関係有りませんが、描かれている、感情は
同じであると思います。
単純に感性の問題だと思いますよ。
本を読んだり、物事の表面以外のものまで見たいと考える能力のある人には
評価され、それが出来ない人には評価されない。
批判しているレビューの文章、内容見ていれば、、、
判りますよね。
上記のコメントの前にコメント入れていたのですが、消えてしまっていました。
再度コメントさせていただきます。
うーーーん解からなくなった。
貴女は女性ですよね。
お若いですよね。
私はこの作品に対する評価が分かれる原因が何かずっと考えていたのです。
男女の価値観の差。
年齢。
昭和の記憶の有無。
昨今の受動的映像文化より能動的活字文化への親しみ。
でも、貴女のレビューを読んで、仮説がくずれてしまった。
いずれにしても、水平思考に基づいた冷静で公平な、とても素敵なレビューです。
あ、ごめんなさい。
今、ふと気が付いた。
この作品の評価が分かれるのはどうしてか。
一つの仮説が浮かびました。
”今の自分が幸せと感じる心があるか”
世の中は理不尽です。
様々な出来事、そして障害が存在します。
しかし、そんな中にいる自分を見つめ
敢えて、積極的に”幸せである”と感じられる”力”を持っているかどうか。
自分をその位置に持っていけるプラス思考の心があるかどうか。
貴女のレビューを呼んでそんなことをふと思いついてしまいました。
いかん、まったく根拠の無い乱文になってしまった。
失礼しました、