「何かに本当に情熱を捧げたことのある人は泣ける映画」風立ちぬ しのさんの映画レビュー(感想・評価)
何かに本当に情熱を捧げたことのある人は泣ける映画
「風立ちぬ、いざ生きめやも」=「風が吹いてきた。さあ生きようとしなくてはいけない。」という意味らしい。
「人生において逆らいがたい情熱が巻き起こった時は、そのために精一杯生きるべき」ということだと思う。
主人公にとっての「風」は飛行機づくりの夢で、ヒロインにとっての「風」は主人公への愛だった。
風に飛ばされたヒロインのパラソルを主人公が受け止めたのは愛の暗喩なのかな。最後にパラソルが消えてしまうことを考えても。
風が吹き、彼女はその風に乗るために全力で生きた。主人公も風に乗せて紙飛行機を送った。彼女はそれを受け止める。彼女の風と主人公の風が交わる瞬間。「ナイスキャッチ!」と声に出して言うのはいつも彼女の方だったけれど、主人公はそれに微笑み返す。あれはそういう愛だったのだろう。
それでも、主人公の一番大きな風はいつでも飛行機づくりに向いていた。彼女を失いかけているときですら。それはある種の狂気かもしれない。けれど人生をかけて情熱を傾けるとはそういうことだ。
ヒロインの風はほんの少し彼の人生に寄り添って、そして途中で消えてしまった。
きれいなものを愛した主人公のためにきれいな思い出だけ残して、彼女の風は主人公を通り過ぎていく。
「だあれが風を見たでしょう
あなたも僕も見やしない
けれど木立を震わせて
風が通り過ぎてゆく」
主人公の風は最後まで止むことはなかった。愛する女性が消えてしまっても。彼の飛行機が亡国を招いたとしても。多くの兵士が彼の飛行機で死に、「一機も帰って来なかった」としても。
何もかもを失ってなお、彼の風は吹き続け、だから彼はその風に乗り生きた。風が吹いていたから。
だってカプローニさんは言ったのだ。
「創造的人生の持ち時間は10年だ。君の10年を力を尽くして生きなさい」と。
主人公の10年は、後半ボロボロだった。だけど彼の風はそこで止まなかった。だから彼はもう一度10年を生きるのだ。それは、クリエイターの業みたいなものなのだ。最愛の妻が結核を患っていても、作品づくりに没頭してしまえば無意識にその横で煙草に火をつけてしまう。あの批判が集中しているシーンには、主人公のクリエイターとしての業が集約していると思う。
「生きることは美しく残酷で、そうしてもし風が吹いたならば、情熱があるならば、さあ我々は生きなければならない。」
私は若輩者なので倍以上生きてる宮崎さんの思考なんて分からないけど、ものづくりに人生を捧げた彼が作ったこれは、そういう作品なんだろうな、と見終わって思った。
名作だと思います。