「自己実現はどんな状況でも謳歌されるべきでしょうか。」風立ちぬ 映画ファンさんの映画レビュー(感想・評価)
自己実現はどんな状況でも謳歌されるべきでしょうか。
宮崎駿監督のファンです。しかし、中国人としてこの映画に唖然しました。主人公の堀越二郎さんは、20年進んでいるドイツに必死に学び、そしてそれを超える飛行機を作りたい夢を抱き自己実現に向けて頑張っていたこと、菜穂子さんとのラブストーリーは、単純ではありますが、美しい色彩がのジブリ作品として楽しませていただきました。
しかし、画面に充満する日の丸戦闘機をみて堀越さんの職業観を疑います。世の中に無作為な堀越さんがいたら戦死する被害者が少なくて済んだのではと思います。エンジニアは凛とした生きるポリシーが必要ないのでしょうか。宮崎監督の生きねば!は蒼白に見えます。これが日本人が誇る職人気質かと残念な気持ちが胸いっぱいです。身近な菜穂子さんを愛せても爆弾を携行する戦闘機を作る矛盾な人生は特別な時代にこそあり得たと思いますが、数十年後、わざわざそれを作品にして何を伝えたいか監督の5年ぶりの待望の作品としてあまりに貧弱です。無条件で職人気質を賛美するものではありません。同様にポリシーがないジブリも受け入れがたいです。
中国の方からのレビュー、日本人として謹んで拝読いたしました。
ラブストーリーを楽しまれたことはうれしく感じました。
ただ、一つの価値観が全体のストーリーの素直な解釈を阻害されているようですので、それについてお話させていただきます。
第二次世界大戦(大東亜戦争)勃発時においてアジア地域で事実上の独立国はたった2カ国でした。
日本とタイ。
それ以外の国は事実上西洋列強に分割され植民地状態だったのです。
クラウゼヴィッツの戦争論の中に本当の意味での戦争の勝者とはその本来の目的を達成したものであるという意味の言葉があります。
戦後数年で西洋諸国とのいくつかの戦闘はあったものの全ての国が独立を果たしました。
日本は各国に教育機関を作り、その国の軍隊を育成し、独立への道を付けていたのです。
確かに、一部の軍部の独走があったことは確かです。その点は反省されるべきです。しかし、大部分の日本人は、西洋列強の植民地主義、帝国主義、人種差別主義に辟易し、理想に燃え真っ向から立ち向かっていったのです。
そして、目的は達成されました。
エジプトのナセルは”アジアには日本がいる、中東には日本がいない”と嘆いたといいます。
それまで西洋諸国に対峙し、成果を上げてしまった非白人国家は日本以外にありません。だからこそ、東京裁判において、事後法により日本は裁かれ、二度と立ち上がれないようにと様々な手枷足枷を嵌められました。
パラオという国の話です。戦時中日本の委任統治領でした。
アメリカによる占領後、日本が作り上げたインフラは徹底的に破壊されました。
そして、日本軍が行ったとされる虐殺、暴行などまったく根も葉もない噂がばら撒かれました。しかし、長老達の”そんなことはまったくなかった”の言葉でその噂は一人歩きせずに消えてしまったといいます。
中国はつい最近まで、あの屈辱的な”アヘン戦争”によって取られてしまった香港という植民地があったではないですか。
各々国には様々な事情もあるでしょう。
しかし、そこから派生したプロパガンダにより、
日本文化から生まれた”風立ちぬ”この傑作を
偏った見方でしか見られないとしたら、非常に不幸なことだと思います。
よろしければ中国共産党的史観から一歩離れて、
もう一度純粋に鑑賞してみていただけたらと思います。
日本でも、中国でも、ロシアでも、アメリカでも、いまだに兵器は作られています。
何も、その兵器の生産に関わっている人達が皆、好戦的だというわけでもなくて、二郎のような穏やかな人もいるでしょう。
私自身、会社に能力を評価されて、上司に「やれ」と業務命令を受けたなら、戦車でも戦闘機でも作るかも知れません。
かといって、私は戦争は好きではないですし、平和が一番だと感じています。矛盾です。 人生を矛盾なく生きていられる人が、どれくらい居るでしょう。