「我儘で慢心した「日本の美徳」」風立ちぬ 水樹さんの映画レビュー(感想・評価)
我儘で慢心した「日本の美徳」
とりあえず劇場で見てきましたが、
ジブリの作品としてはいまいちまとまりがなく。
現代の若い人にはわかり辛い人間観ではないでしょうか。
良くも悪くも宮崎駿監督の思想と主張が出てしまった
そういう作品のように感じます。
まず一番残念なのは庵野監督の声。
確かに合っている面もあるにはあるのですが、
若い頃の声や通常のシーンでの声がどうしても浮いてしまって
聞いていて常時違和感がありました。
ただカプローニとの夢のやりとりや
技術の向かうベクトルに対するやりとり、
そういった監督本人の考えと主人公の考え方が
同じ方向性を向いたときの台詞は良く合っています。
また年をとった二郎の声はしっくりくる感じではありました。
ただとにかく二郎というキャラクターの躍動感に対し、
落ち着いた監督の声が合わず、違和感が半端なかったです…。
また作品自体は間延びしすぎていて、
シーンとシーンの繋ぎとテンポがあまり良くなく。
何よりも主軸としたいシナリオがぶれ過ぎていて
どこもかしこも間延び状態という印象が強く。
子供さんには酷く退屈な作品のようにも感じられます。
作品の中の堀越さんの生き方と言うのは
現代日本では恐ろしいほど希薄になった
「日本の美徳」であると言えます。
最後の台詞「地獄かと思いました」
「けれど"一機"も帰ってこなかった」
これらの言葉は彼が人のためではなく、国のためでもなく、
本当に純粋に"飛行機"のために人生をかけ、
恋も愛も後ろに置いて、何もかもを置き去りにして
それでも自分の人生の指針である飛行機を追いかけた
そういう人生であったことを物語っています。
現代の若者から見ればなんて慢心的で、
自分勝手な考え方と生き方で、
泥臭くて惨めな生き方だろうと鼻で笑うでしょう。
けれど、日本の本当の美徳とはそこにあったはずです。
それは宮崎駿監督のアニメ映画にかける情熱のそれと同じです。
この作品は堀越二郎の天才的な技術がっと思われがちですが、
その技術を支え共に作り上げたのは、彼と同じように
血反吐を吐くような思いをしながら飛行機を作り上げ、
同じように彼と共に技術を切磋琢磨した技術者達。
また飛行機開発の技術に関しても、
同じように高い技術を追求し続けた部品があったからこそ
彼の天才的な設計は活かされていく。
そこにはスポットが当たる技術もあれば、
日の当たらないところでその舞台役者を支える。
そんな技術が必ずあるものです。
人間も国も技術者も、そして妻さえも全てを踏み台にして、
日本の貧弱なエンジンを使い、あそこまでの機動性を誇る
零戦という飛行機を作り上げた、堀越二郎という人間。
ここのコメントを見ていても思うのですが、
「戦争が~」「戦闘機を作っておきながら~」「政治的な思想が~」
「被害者が~」「結婚観として~」「常識的に~」
やはり人間としての生き方に欠落している現代人らしい
コメントが多く感じられます。
この辺りが我武者羅に生きることに情熱を失った
現代日本人の象徴的な面だと言えるかもしれません。
今の日本は日の当たる場所ばかりに目が向けられ、
お金や肩書ばかりに気を取られ、
そういった自分の誇りに対する向上心や社会性が失われている。
スマートで小奇麗にまとまった生き方ばかりに気を取られ、
泥臭い、懸命な生き方を小馬鹿にしているために
結果として自分の首も国の技術と言う首も絞めている。
自分という生き方に誇りを持てない生き方の人ばかり。
だから、この作品の主人公とそれを取り巻く人々の生き方。
それを本当に理解できる人はかなり少ない気がします。
菜穂子が山から降りてきて、結婚を申し出た時。
黒川夫妻のやりとりに本当に心が揺れました。
黒川は結婚を申し出た二郎に対して、彼女の身体を考え、
二郎自身の生き方、考え方、二人の決意。
決意の全てを、ただ社会性や常識で見るのではなく、
二人を個性を持った人間として認めているからこそ、
あの結婚を認めたのでしょう。
傍からみれば身勝手で、常識のない行動、
それに対してきちんと人間同士として解り合い、
そして何よりも認め合う。
そんな「美徳」が確かにそこにはあるのです。
そこまで述べた上でやはり残念なのは
作中での「菜穂子」の生き方です。
二郎自身が自分の生き方や「仕事」
と向い合って「美徳」を貫いているのに対し、
やはり「菜穂子」に関しては男性視点が強く、
「女性らしい美徳」の押し付けがとても強い。
これは宮崎駿監督自身の考え方が、
とても男性的で女性の描写に関しては、
とても弱い面が強く出ている気がします。
原作の「風立ちぬ」の作品性もそうなのですが、
元となった堀辰雄さんの奥様、
矢野綾子さんはその最後の時まで、
自身の生き方である「絵画」
と向かい合われていたそうです。
彼女もまた「美徳」に生きた人なのだと思います。
だからこそ、「夫への愛情」という点、
「女性としての生き方」という、
少し男性の都合の良い視点に対して
「美徳」を見出してしまっている
「菜穂子」という存在は、確かに美しいのですが、
どうしても違和感が残る気がします。
やはりこの作品は「男性」の作品なのでしょう。
「コクリコ坂」でもそうではありましたが、
昭和を舞台にした今回の作品もみて
やはり思うのは、昭和に対する懐古的な盲信が
どこか作品にはしみついている気がします。
実際、昭和という時代は敗戦後、それでも
なんとかしてやろう!っと手にした自由を握りしめ、
誰しもが熱く挑戦を繰り返していた時代です。
「日本の美徳」というのは恐ろしく強かった時代でしょう。
しかし実際には泥臭く惨めな面も強く合った。
その中で「このままではいかん」と戦い続けた人たち。
躍起になって躍進する子供と、それを受け入れる度量のある大人。
そういった現代では希薄になっている、
「生きねば」という感情がこの作品には凝縮されています。
泣きながら電車に飛び乗り、
その車内でも懸命に仕事をし続ける二郎。
婚約者が倒れていても終電に飛び乗り、職場に戻る二郎に
「男は仕事が」っとその心を汲み取り背中を押す父。
二人の結婚に対して、自身の意見を説いたうえで、
何も言わず二人の心を重視する上司。
枯れていく自分の命の一番美しい瞬間を愛する人と
過ごす決意をして、短い時間に愛を注いだ妻。
その全てが「生きねば」という言葉に向かっている。
それぞれがそれぞれの命を懸命に「生きて」いた。
そして懸命に生きた彼らの生き方は、
きっとどこにも残らないまっすぐに美しく伸びた
飛行機雲のようにその軌道を残してゆっくりと
消えていくのでしょう。本当に美しいと思います。
本当に素晴らしい生き方を見せていただきました。
映画としては構成の悪いさ、声優と言う点で2.5点と
させていただきましたが。
実際に見た心に対する余韻は。
もっと高い点数をつけたい気持ちでいっぱいです。
それだけ人間描写的に見れば素晴らしい作品で合ったがゆえに、
アニメーションの作品として構成が弱いのは
本当に残念な作品であるとも言えます。
あっ、かぐや姫の物語は主題歌が二階堂和美さんらしいですね♪
もうCMのそれだけで心躍ってしまって、満足してしまって
今からワクワクしている自分が居ます(待)