「「今」を生きるボク達へ。」風立ちぬ tokyonightkeepersさんの映画レビュー(感想・評価)
「今」を生きるボク達へ。
本作の意図は『現代よりも更に苦境にあった1920年代を生き、「夢」という希望のために精一杯生きた人を描くことで、その人達の生き様から何かを得て欲しい、考えて欲しい』ということです。
だから「難病モノ」「ラブストーリー」「ノンフィクション」などを期待して見に行った人は期待外れでがっかりしたと思います。なぜならその各々のファクターやエピソードは、テーマやメッセージを伝えるための一要素に過ぎないからです。
例えば後半で二郎が寝ている菜穂子に「たばこを吸いたい」というシーンがありました。きっとみなさんの中には「愛している人が病気なのに、その人がいる場所でたばこを吸うなんて彼女を蔑ろにしている。一分一秒でも菜穂子が長生きできるようにするのが二郎のすべきことだろう」と思った方もいらっしゃるはずです。怒りを覚えた方もいらっしゃるはずです。
ですが、宮崎監督はこの時代の人達をこうとらえています。
「昔の人は生き方が潔い。必死に生きようともがく感じではなく、与えられた時間を精いっぱい生きている」(パンフより)
このとき、菜穂子の願いは「良き妻として、できるだけ二郎といたい」ということで、
二郎の願いは「飛行機を完成させたい」ということでした。
だから菜穂子は必要もないのに二郎のために毎日化粧をし、二郎も仕事に打ち込んでいます。
けれど二人には時間が残されていませんでした。
もちろん菜穂子に残された時間も少ないですが、実はそれは二郎も同じです。
作中で宮崎駿がカプローニに代弁させるように「人が創造的なことができるのは10年」です。すなわち、彼がクリエイターとして真に創造的であることができるのは10年だという縛りがあります。
そして彼がプロダクトチーフになった時点で入社5年が過ぎていますから、残りは5年を切っています。
つまり言い換えれば、飛行機設計者としての彼の余命も5年なのです。だから菜穂子が倒れたという電報を受けて汽車に飛び乗ったときも、涙でぐしょぐしょになりながらも設計の手を休めることはしません。
そしてまた、作中のセリフに「両立は無理だ」「男は仕事だ」とあるように、「妻のために仕事を置いて付きそう」ことと「飛行機の設計を続ける」ことは両立できません。
しかし、彼らはそこを無理して両立しているのです。その姿が彼らの同居です。
そして、つまりお互いに無理を承知で、なおかつ互いの願い(夢)を妨げてはならないとお互いにわかっているから、二郎は彼女の手を握りながらたばこを吸って仕事を続け、菜穂子はそのことを咎めないんです。
つまり、この彼らの姿こそが宮崎監督の言う「必死に生きようともがく感じではなく、与えられた時間を精いっぱい生きている」1920年代の人の姿なのです。
おそらくこの何気ない姿も現代人に宛てられたメッセージなのでしょう。(まあ、監督インタビューの最後でも思いっきり触れられてることですが)
さて、正直、映画を見終わるまで私は「宮崎監督はあざといな」と思ってました。「『難病』や『悲恋』なんてファクターは、零戦を作るというだけの話だと集客力が弱いから挿入したサイドストーリーなんだろう」と。けれど、映画を見終わって「いや、どうもそういう意図で作られてないな」と思い、パンフレットまで買って読んだら私の邪推は全くの検討はずれでした。いえ確かに、この美保子とのラブストーリーと難病と悲恋には商業的な意図もあったと思います。ですが単なる金儲けではなく、宮崎監督はそこにきちんとテーマを込めています。予告とはだいぶ違った本編に対し期待を裏切られた方は多いと思いますが、決して斜に構えて見ないでください。ラピュタの時のようにテーマをセリフで語るのではなく、一見バラバラに見えるエピソードやシチュエーションを通して語っているからわかりにくい作品になっているだけです。
本作のメッセージは「苦境にある現代の人達に夢や希望に向かって懸命に生きて欲しい」ということ、ただそれだけです。
蛇足ですが、だからこそ娯楽性のあるフィクションを描くのではなく、実際に過去の苦境を生きた人をモチーフにとったんです。