凶悪 : インタビュー
山田孝之×リリー・フランキー×ピエール瀧が提示する「凶悪」の意味
客席から笑いが起こった。目を背けたくなるような場面。リリー・フランキー演じる“先生”が興奮した顔で「僕にやらせて」と言う。爆笑ではない。周囲をはばかりながら、思わず漏れてしまったという感じの笑い。その後も、残虐極まりない言動を、どこかとぼけた調子で繰り返す先生とピエール瀧扮するヤクザの須藤の姿に、戦慄を覚えながらも幾度となく笑ってしまった。それを伝えると、リリーは「僕もね、演じながらきっとみんな笑うだろうと思っていました」と我が意を得たりとばかりにうなずいた。(取材・文・写真/黒豆直樹)
山田孝之は隠蔽された殺人事件を追いかけるジャーナリストの藤井を演じたが、一見、世間と同じ視点や正義感を持って調査に当たっているかのように見えるものの、事件にのめり込むにつれて単なる正義を超えた“狂気”を帯びていく。山田は、「藤井の感情に合わせて、11段階くらいの変化をつけて演じた」と明かす。
今作は、誰が善人で誰が悪人か? 何が正義で何が悪か? と不快で残虐な物語が見る者に問いかける。原作は、雑誌「新潮45」で発表された実際の殺人事件を追ったルポルタージュ。死刑囚・須藤の告白をきっかけに、記者の藤井が須藤と首謀者の“先生”の手で引き起こされ、闇に葬られようとしている殺人事件を白日の下へさらけ出そうとする過程を描く。
山田は出演を即決した。「最初に藤井のキャラクター、それからリリーさんと瀧さんとの共演だと聞き、脚本を読み終わってすぐ決めました。やりたい、この作品に携わりたい、これは世に出さないといけないものだと思いました」と振り返る。本作に限らず近年、規模の大小や出番の多寡にかかわらず、個性的な役柄、強いエネルギーをはらんだ作品への挑戦が続いている。出演を決める理由は作品ごとに異なる。
「『凶悪』に関して言えば、実際に起きた事件であり、ということはこれからも起こりかねないということ。それは保険金殺人だけでなく、藤井の家庭が抱える母親の問題もそう。エンタテインメントとしてだけでなく、そうした問題を意識させるという要素が強かった。藤井という役をやってみたいけど本当にできるのか? という思いもあったし、2人との共演も決めた要素のひとつ。全てをひっくるめて魅力的に思えました。もちろん、そうした要素は多い方がいいですけどね」。
一方でピエールは、ヤクザの須藤役を前に出演するか否か、考えあぐねた。「実際にモデルとなった人は拘置所にいるし、被害者も遺族の数も半端ない。演じるということは、そういう方々とつながりを持つということ。正直、嫌でしたよ」と迷っていたが、リリーから電話が来た。「『どうする?』って言うから『迷っている』と正直に言ったんだけど、『いいよいいよ、大丈夫。やっちゃおう』って感じで悪の道に引き込まれた(笑)」という。
「結局、ここに出てくる人たちって目的のために手段を選ばないというか、何かを顧みないんですよね。藤井は事件を追うという仕事のため、家庭を顧みない。先生と須藤はお金のために社会規範やモラルを顧みない。2人のやっていることは犯罪であり有罪で、藤井が家庭を顧みないのは無罪。でも、どっちも他人の生活をグチャグチャにしている。そうしたところに飛び込んでみる、自分のポジションを顧みないでやってみるのも面白いかなと思いました」。
須藤と先生は普通とは言わないまでも、決して悪魔や化け物ではない。表の顔と裏の顔を使い分けるが、漫画のように豹変するわけでもない。世間一般の人と変わらぬ喜怒哀楽を持ち合わせた人間が、何かの拍子に一線を越え、坂を転げるように殺人に手を染めるからこそ恐ろしいのだ。
リリーは「実は僕自身、ものすごい悪人を演じたという感触が希薄なんですよ。そしてそれは、先生の言いぐさそのものなんでしょうけどね」と明かし、「先生と須藤は、何の前振りも説明もなく、いきなり殺人者になっているんだよね」と続ける。「以前、『陽炎座』(鈴木清順監督)という映画について書いたことなんだけど、夢を見て目が覚めたとき『あと少しでキスできたのに』とか終わりは覚えているけど、どう始まったかは覚えていない。もしかしたら覚えていないのではなく、おれたちが勝手に始まりや終わりめいたものがあるような気がしているだけで、実は物語は出し抜けに始まっているんじゃないかって。殺人を犯す人間に対しても『両親が』とか『家庭環境が』って何かストロークを持とうとするけど、実は理由なんてなく始まることの方が多いんだろうと思いますね」。
ピエールは言う。「あれほど悪いことし放題ってところに魅力を感じたのは事実だし、『やってみたい』という気持ちは人間の本質としてあるよね」。リリーも「疑似とはいえ、ふざけながら人を殺していることが徐々に楽しくなっていった」と同調する。「実際に先生は、笑いながらやったんだろうなと感覚的に思いましたね。日常で僕たちが普通に楽しんでいるのと変わらなかったんじゃないかなと思えるんです。世間話をして盛り上がるように。徐々に加速して、いろんなことが日常化していったんだろうな」。
そして藤井もまた、正義感や功名心ではなく、ただ事件を追いかけること自体を楽しんでいた。映画の終盤、義母の世話に疲れ果てた妻(池脇千鶴)が藤井をなじる。「修ちゃん、楽しかったんでしょ?」。このシーンは、原作にはない映画オリジナルの描写。リリーは「殺人のシーンよりも藤井家の空気の方が重い(笑)」と評したが、山田にとって、先にも述べたように11段階にも分けて藤井という男の感情を表現する上で、このシーンの存在がかなり大きな意味を持った。
「(拘置所での面会で)須藤との距離がどんどん近づいていく一方で、家庭で妻をないがしろにし、距離はどんどん離れていく。それによって、藤井が事件にのめり込んでいくさまをよりはっきりと表現できたと思います。相手と顔を合わせたときの姿勢や服や髪の乱れ、目の下のクマの濃さ、声の大きさやセリフの間、どれくらい目を見て話すか。そういった要素が須藤に対してと妻に対してで、全く同じエネルギーだけど正反対に作用していくんです」。何が本当の凶悪か。それがスクリーンの向こう側にだけある、特別なものでないことを感じ取ってほしい。
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