「実に博く愛する人々」捨てがたき人々 nok0712さんの映画レビュー(感想・評価)
実に博く愛する人々
生き飽きた狸穴勇介は故郷の五島列島に戻り、そこで顔に痣のある岡辺京子と出会う。
何故生きるのか?何故死ぬのに生まれてくるのか?
そんな重いテーマを冒頭に掲げながら、出てくる人物は皆セックスをする。
ホントどいつもこいつも色んな場所で色んな相手とセックスする。
まぁ、そんなにやってりゃそりゃ子供もできるわけで、狸穴と京子はぎこちないながらも夫婦となっていく。朝食に味噌汁を食べたり、生まれたての赤ん坊を抱えたり、波止場で子供をあやしながらご飯ができるのを待ったりと。それはそれは幸せそうな家族に見える。
ただ、何故なのか、ピンと張った糸のような、ものすごく繊細で危険な雰囲気が漂う。
舞台は急に10年後に変わり。
狸穴は10才となった息子に避けられ、10年連れ添った京子に浮気をされている。(とんだ博愛だ!)
避ける息子になぜ逃げるのか問いかけ、浮気をする妻に自分の事を愛しているか問いかけるが、いずれも望ましくない結果を迎えてしまう。
彼は家を飛び出し誰かに問いかける。
何故生きるのか?何故死ぬのに生まれてくるのか?
冒頭と同じ言葉だ。しかし異質だ。
悲観の哲学ではなく、家族愛を求める彼の心の欲望だ。
誰かが応えたのか狸穴は後ろを振り返り、そこで物語は終わる。
取り繕いのない狸穴の方が欲望に忠実で人間的であるという事が映画の中で指摘されているが、博愛の精神で取り繕った信者たちも、前科者(?)で生き飽きた狸穴も同じ欲望を抱えており、世俗を離れる世捨て人となりがたき欲望を抱えているという意味ではどっちもどっち。
みんなまとめて「捨てがたき人々」。
しかしなんで五島列島にしたんだろ?
こんなに(主にセックスの)欲望に忠実な人たちばっかしかいないというイメージを持たれることになりかねない。
あ、監督が五島の人?ふーん。