ジャッキー・コーガンのレビュー・感想・評価
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大物と小物、アメリカンドリーム
殺し屋を中心としたハードボイルド・タッチの物語。賭博現場に強盗に入ってドラッグディーラーの資金を得ようとしたフランキーとラッセル。ボスのジョニーに状況を教えてもらい、ほぼ独自で強盗をする二人。元締めだったマーキー(レイ・リオッタ)はかつて、似たような状況で売上金をくすねたという過去もあったため、今回も疑われる羽目に。そして、殺し屋の元締め(リチャード・ジェンキンス)に依頼されたジャッキー・コーガン(ブラッド・ピット)は強盗実行犯を見つけ、ついでにマーキーをも殺すことに・・・
なんとも暗く、アメリカの闇が染みついたような犯罪者たち。ジャッキーは顔見知りのターゲットを殺るのを避けようと、NYから老いぼれた殺し屋ミッキーを呼び寄せるものの、彼は酒を飲み過ぎて使い物にならなかったという笑えるエピソード。しかし、優しく殺すことがモットーであるジャッキーは冷静にことを運び、確実に消していくのだった。
街頭広告やテレビではブッシュとオバマの演説が常に映し出され、変革を求めるアメリカという国に根付いた闇の世界を描いていた。アメリカは一つ!しかし、ジャッキーは「アメリカは国ではないビジネスなんだ」と静かに語る。この政治論点と彼の存在がかけ離れている渋い雰囲気がたまらない。途中までは人間関係と力関係が言葉と現実じゃ違うなぁ~などと、興ざめするような展開だったけど、やっぱり勝つのは銃だったりして、裏のアメリカを見せつけてくれた。そんな腐った状況でも人は夢を持っている。出来ないことはない。Yes,We Canなのだ。よくわかりませんが。
不景気は殺し屋をダメにする
ラストの報酬が割に合っていないことを講義するブラピの形相は、もはやセクシーさのかけらもなくなっててよかった。不景気怖い。
私も一回でいいから「日本は国家じゃねえ。ビジネスだ」って言ってみたいなあ。なんか退職するときとかに、上司に言い放ったら画になりそう。
最後の台詞が全て
ブラッド・ピットが演じる殺し屋の最後の一言は、やや大げさかもしれないが、約150年前に日本に突然訪れた米国使節団が、江戸幕府に突きつけた条約を飲ませるためのメッセージとなんら変わりなかったのではないかと考えさせられた。この時から、アメリカとは、国家ではなく、グローバル産業の複合体だったのだ。顧客だったり商売敵だったり、その時々の都合で相手をコロコロと変えながら、真綿でじわじわと首を絞めるように追い込んでいくその手法は、いつの時代も、どのコミュニティでも変わることのないアメリカの体質そのものである。そんな痛烈な国家批判という点で一貫している。そこにはなんの救済の道も用意されていない。その点にゾッとする一編である。
物足りない
ブラット・ピットの刑事役とか久しぶりに観てみたい。こういう映画は新鮮味がないんよな。強盗した二人をガキって言よったけど、ジャンキーの方はオッサンだろ。マーキーは可哀想な最期だったけど、自業自得かな。ブラット・ピットのごりごりのアクション映画とかこの先観てみたい。
ブラピのみが見どころ
個人的に一番の見どころと思ったのは、
ブラピがフランキー(スクート・マクネイリー)をよしよしするシーンでした。
ほもぉが好きな人はここだけ起きて観るべきだと思いました。
1時間10分近く観てここで集中力を取り戻すことは困難だと思いますが。
クライマックスもなにもありませんが、ブラピが最後までクールな役を貫いていたことだけが救いです。
クライムアクションだと思って観ると痛い目を見る
トム・クルーズのアウトローに似たモノかな?と思って観たら違った。
セリフ主体で進むストーリーで、アメリカに対する皮肉やブラッド・ピットもCOOLなんですけど…う~ん
オチも「ちゃんとお金下さい!!!」でう~〜ん。
クライムアクションだと思って観ると痛い目を見る。
ちょっと頭でっかち
映画原作ジョージ・V・ヒギンズの『Cogan's Trade』(1974)は、全編ほぼ会話のみ、しかもその内容が「金と女と犬の糞」っていう超くだらないもの。そのダラダラと続く下品な会話の先に何とも言えない無常観が漂っていて、個人的にはとても面白い小説だった。
小説としてはいいけど映像化して果たして面白いのか?と思いながらDVDで鑑賞。
ダラダラ会話は随分とカットされていたが、表向きのストーリーは意外にもほぼそのままチンピラ達の騒動記。
それにプラスして、実際に起きたアメリカの金融危機などへの揶揄も織り込まれていた。
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先に観ていた知人から、この映画のテーマはアメリカの金融危機(2007~)で、実際のニュース映像なんかとリンクさせていると聞いていた。聞いてはいたけど、チンピラ騒動記っていう表向きのストーリーと金融危機をここまで重ねているとは予想外だった。
例えば
賭場の胴元(レイ・リオッタ)が登場するシーンでは
カーラジオから、ウォール街とポールソン財務長官を批判するニュースが流れていた。
仕切っている賭場で問題が起きた胴元と、ポールソン財務長官って立ち位置が似てなくもないか…(インサイダーじゃないの?って思われたあたりも含めて)。ウォール街も一種の博打場だしねえ。
「どうせ他人の金だしな!」とレイ・リオッタが豪快にオヤジ笑いするシーンが中々味わい深かった。
また
アル中で使い物にならない殺し屋(ジェームズ・ガンドルフィーニ)が登場するシーンでは
財政難を前にしても中々決断が下せないアメリカ議会、それによって株価が暴落したというニュース(演説)が流れていた。
リスクを恐れて何も出来ずパアーパアー喋って事態を悪化させている殺し屋と、アメリカ議会…。似てるでしょと言いたいのかなあ。
それにしてもガンドルフィーニ、腐った魚のような目をしていたなあ。
そうやって当てはめていくと、
貧乏を抜け出そうとして更にドンヅマリになったフランキー&ラッセルはまさにサブプライムローンな人々で、
自分の手を汚さず何とか穏便に済ませようと表面上は取り繕う“ドライバー”(リチャード・ジェンキンス)は国民で、
「理念なんかよりカネの方が大事なんだっ!ジェファーソン(第二代大統領)の時代からずっとそうだったんだ!」と最後に啖呵をきったジャッキー・コーガン(ブラピ)がアメリカそのものって事なのかなあ。
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最初観た時は、この構成が少々「頭でっかち」で
「オレって頭いいでしょ!」
っていう監督のドヤ顔が見えるようで何かイヤ!って思っていた。
原作ではフランキーに共感出来たのに、その部分が無くなっているのもイヤだった。
だが、しばらくたって
金持ち(ウォール街)から貧乏人(サブプライムローン)まで遍く唾を吐きかけて、しらばっくれている感じは
シニカルなユーモアで悪くないかも…という感想に変わってきた。
オレ等全員、上から下までみんなバカ、同じ穴の狢じゃんって開き直った明るさとでも言おうか。
特にレイ・リオッタの最後のシーンとか、スレイン(ケニー役)にブッシュ大統領の演説を被せる所など、
壮大な皮肉で、フザけていて、その意地悪さが良い。
正々堂々とした意地悪ではなく、なんか遠くから小石投げてる感じもしなくもないが
そんな小粒感も含めて面白い映画だった。
「理念よりカネが大事」なのは何もアメリカだけの話ではなく日本にだって勿論あてはまる訳で。
あんたらの世界を寓話的に描くとこうなるよって、この作品は言いたいんだろうなあ。
この映画、意図があまり理解されないまま非常に評判が悪かったが
理解されたらされたで、気分を害する人は沢山いたんだろうなあと思う。
想像と正反対というか
もっとこう、静かに、でもどこかかっこ良く。
例えば皮肉ったような言葉を最期に聞かせてやって、目標をあの世に送ってやる。
みたいな映画を想像したら全く正反対で。
せっかくジャッキーが呼んだミッキーの使い物にならないおっさん具合とか。
じょじょに顔が引きつるジャッキーの如くこちらも。
久々に時計で時間をみながら「まだあんのか」と思ってしまった作品。
出だしとか、そこそこかっこいい感じだったのに。
ああ、あとやたらロマンティックな殺しのシーンは好きかもしれない(笑)
いっその事、見ながら思ったのは出だしのガキが実はジャッキーの過去の姿で、それがこうなった事件がこんなふうにあってね。
見たいな、過去と現在を同軸展開してってラストに「あ、そうだったんだ!」てなるような話をちょっと考えて眠気を抑えて見てました。
いやー。
久々に見終わったあと何も考えない作品でした。
いっそのことシネコンとかで大々的にやるようなアレじゃない感じで、ガッツガッツ人を殺しながら自分の中の殺し屋論を振りまくような若干ポップな話でもよかったんじゃなかろうか、と。
人はみんな優しいさ
ブッシュからオバマへの政権交代。世間の「何か起こるんじゃないか感」を完全にシカトして人を殺しまくるブラピに共感できるのは「実際何も良くならなかったから」でありますな!ラストのブラピのメッセージも痛快で最高!Johnny CashのThe Man Comes Aroundも映画にマッチしていてカッコ良かったです。殺し屋が「人はみんな優しいさ」って言うとゾッとする事がわかりました。「そこはわかってんだー、うわー」って感じで。
黙って仕事しなさい。
この監督、前作もやたら長ったらしい作品を撮ったけど、
今回も変わらずグダグダとした作品を撮ったな~と思う。
おそらく私がこの監督の世界観と合わないんだろう…
どうもああいう、嫌な雰囲気作りをするのが嫌い(爆)
あと全員喋り過ぎ。オバマ演説がウザい(ゴメンなさい)。
チンピラやら殺し屋やらが、いちいちベラベラと
能書き垂れるってのが、いちばん嫌いなんだな~実は。
どうして黙って仕事できないの!?アンタたち!って。
だからもう早いとこブラピが出てきて、バンバンやってよ!
と思ってたら、また使い物にならないデブ親父(ゴメンね)が
グダグダメソメソと…お前ら、一体ナンなんだよ~!!と。
まともな殺し屋(っていういい方も変だけど)はいないの?
…しかしどこのどいつをとっても、デキル感がまるでない。
優しく殺す…だぁ?殺しにそういう枕詞が必要なのかよ^^;
(こんなタイトルならロバータ・フラックでもかけろ!っての)
予告からイヤな予感がしていたけど、驚いたのが公開数。
公開初日からレイトで一回って、ナニ!?びっくりしたわー。
まぁGWだったから、これはよい子が観ないようにしたのか?
と思ったけど、その後も本数が増えていかない。え、マジ?
と不安になりつつ、やっと観れた本作だったけど…確かに
これじゃあ…午睡に最適な(ある意味静か)作品になってる。
登場する俳優陣がまぁ豪華で☆
それぞれがほぼ独壇場で喋りまくるので、それはそれで◎
だけどこれってそういう作品なのか?と、ふと我に帰る。
特にチンピラ二人のくだらん喋りがいちばん気に障り(爆)
ベテラン勢ではR・リオッタがいちばん良かったけど、
元はアイツが^^;仕掛けたようなもんだし、仕方ないわよね…
終いにはブラピまでグチグチ(というかキレた?)文句言って
ハイ、終了。しかし文句も言いたくなるわな…あの演説には。
今聞くと本当に、絵空事のように聞こえる。でもそれだって
仕方ない。やだねぇ、こんな虚しさだけが残る作品ってのも。
(意気揚々でとは言いませんが、もう少しテンポよく進めて)
殺し屋ドキュメンタリー
この映画は何と言うか、一人の殺し屋が殺しの依頼を受け、その手順をカメラで追う、そのような映画でした。リアル重視な映画なので、手汗を握る銃撃戦やど派手な爆発などはほとんどありません。ですからそのような映画だと思ってみたら少し退屈かもしれません。銃を撃つシーンは数えられるくらいしかなくほとんどがキャラクター同士の会話です。個人的には、ちょっと喋りが多かったなと思いました。あと映画のキャッチコピーにもなっている【優しく殺す】というキャッチコピー、ですが完全に一人苦しそうに殺されたのであんまキャッチコピーは気にしなくていいのかなと思いました。
ハナクソ
ほんとにつまんない映画です。
まず完全にキャスティングミス。
大事なオープニングを飾る二人の俳優の演技、やり取りが超つまんない。
二人とも華がない。有名かどうかではなく基本的に馴染めないキャラクター。
どーでもイィ下ネタを口にしてただ下品なだけ。下ネタって使う以上笑えないと全く意味ないんですよね。下品なだけでおわってる。
一人がヤク中だがそれもどーでもイィ。
面白くも何ともないただのヤク中野郎演技を見せられてるだけ。あんなつまんない俳優がサブメインだから内容に加え、よりつまんない映画になっている。
また、既に書いてる人もいますが賭場を襲うシーンでは大した緊張感もないまま、またカメラワークが時折見せる妙なアップとは裏腹に何も起こらないままただ犯行を終えるだけ。
何がしたいねんって感じ。
よほど金を奪われるレイリオッタの演技が輝いていた。レイの演技はどのシーンも素晴らしいモノだった。イィ役者だなーと好きな俳優の一人になった。
結局つまんないシーンばっか見さされて、ブラピ登場までほんと脇役が仕事してないのと一緒。
ブラピも宣伝程の憎たらしい悪役ではないし、いつものブラピを見てる感じ。
ジャンゴのディカプリオのヒールっぷりからしたら何の魅力も感じない。
でもブラピの演技を否定してるワケではなく内容そのものがそういうスタンスなので。
また、取り分け盛り上がるシーンもなし。見所なし。
脚本も演出もどれもつまんねー。
レイリオッタが暴行を受けまくったり終いには殺害までされるが、あの人がそこまでされる意味がわからない。
普通映画ってストーリーの展開の中で、殺されるに値する人間が殺される(無差別殺人以外)ものですが、レイリオッタはそれに属さない。ちょい役だし殺される必要のない人。しかもご丁寧に一番凝った演出で殺される。
いやいやもっとメインの犯人共にこの演出使えよと言いたくなった。
結局90分強の映画で内容も薄っぺらくオチもつまんない(笑)
まぁこの内容で二時間上映されても困るけど。
カンヌのパルムドールを競ったらしーがほんまかいなと疑問。
映画祭など改めて実力の世界ばかりではないなと納得。
とにかくこの映画は見なくて良い。
このお金でもう一回アイアンマン3観た方が良かったかも 笑
金太郎飴のように変化に乏しいだけの映画
この作品を観ていると「ドライヴ」を観た時のような、映像的な、美しさと、あの画面とは真逆のスローテンポな表現方法など、観ていて、非常に味の有るイイ感じの面白い作品ではあった。
しかし、ストーリー展開に大きな山場が無い。これは、観ていて苦痛の種になった。
そこで、ついつい睡魔との挌闘に成る為に集中力が低下する。幸いにも意識は何とか保っていましたが・・・
私は先程、友人に「図書館戦争」を酷評した事で、注意を受けたのだが、つくづく自分は直球が好きなタイプで、直球を投げ込んで来てくれる様な映画作品でないと、好きになれないタイプだと改めて確認した。
良く言えば、単純明快・悪く言えば非常にキャパが狭い人間と言う事になるのだろう。
それ故、本作も超速球を投げてくれない作品なので、自分の好み的には、ハッキリ駄目なタイプの映画だ。白黒はっきりしないと駄目なのだ。或いはグレーもしっかり黒と白と同一線上に認める作品なら評価する。
「アメリカ国家は共同体であり、みんな夢と希望を信じて良い」と言う大統領の言葉を否定するセリフを主人公の殺し屋に吐かせても、ピンとこないラストなのだ。
チャップリンが「何故個人が殺人を犯したら、罪で、国家が行う大量殺人である戦争は正義になるのか?」と言ったけれども、国家の矛盾や、理想をダーティーヒーローに語らせる作風はこれまでにも何度も使われて来た手法で、それを否定しても、意味が無いのは理解しているが、本作でこんな結末を見せられても、困ってしまうよね。
悪人は悪人で、ソフトに殺そうが、人殺しは人殺しなのだ。その殺し屋が金を総てと言っても何の説得力も皆無だ!
非常に例えが悪いかも知れないが、非暴力でインドを植民地化から解放させたガンジー等がもしも、金こそ総てで信じられるのは己のみと言ったのなら新たな意見として説得力もあるだろうが、人殺しは、金の為に人の命を奪う事を悪いと思わないのが前提だもの、その人物にカネと言わせても何だかなぁ~と言う気持ちになってしまった。
チャップリンの描いた作品の、殺人者とは訳が違うのだと思う。
最近観た「よりよき人生」では、追い詰められた主人公が思い余って、サラ金のようなヤクザを襲って、金を横領し、国外へ行き人生をやり直すと言う映画であったが、この映画はどこか、あの名作「自転車泥棒」に似ている感じなのだが、自転車泥棒では、お天道様が必ずどこかで観ていると言う視点が加わっていた様に思うのだ。チャップリンの映画も同様だと思う。最近はどうも、この日本的な表現で俗に言う「おてんとうさまが何処かで見ていてくれる」と言う正義が映画の描く世界の中で欠落した様に思うのは、少し大袈裟なのだろうか?欧米社会でも、以前は必ず神の視点と言うものが存在していた。
そんな綺麗事ばかりで無い現実社会を汚れていると言っても良いし、理想を述べても一向に良いのだが、当然の事を映画でそのまま言っても、映画としての面白味は全く無い。
何だか消化出来ない不満が募るだけなのは、自分だけなのだろうか?
単なる殺し屋の映画ではない!
『ジャッキー・コーガン』をシネマート六本木で鑑賞。
アクション映画を期待していくと全然違います。
冒頭の賭博を襲うチンピラどものシーンから緊張感と笑いが同居してる感じが不思議な感覚でした。
それから万を時して、ブラッド・ピッドが登場します。
やはり、持ってる役者です。雰囲気がガラリと変わります。
レイ・リオッタ、リチャード・ジェンキンス、など脇を固める役者も良い味だしてます。
特に、レイ・リオッタのボコられるシーンは必見。かなり痛いです。
また、 数年前のアメリカ社会や資本主義社会を皮肉る内容となっていて
なかなか秀逸な出来栄えでした。
賛否両論あると思いますが、個人的にこれ面白いよ!
レイ・リオッタ
殺し屋が主人公の裏社会が舞台の映画はとりあえず雰囲気や、役者の面構えが大事だと思う。役者は個人的には好きな顔が揃っていて、それが気に入って観に行きました。
役者の中でもずっと酷い目に遭うマーキーを演じたレイ・リオッタには笑わせてもらいました!
賭場襲撃の容疑がかかるよう利用されて、案の定疑われ、賭場の組織の悪者に血ゲロを吐くまでボコボコにされ、ブラピには「これ以上苦しむのは気の毒だ。」みたいな変な持論で頼まれてもいないの撃たれて殺されちゃう。
ついてなさすぎるキャラをいい味出して演じてました。
レイ・リオッタがすっかり気に入ったので今度「グッドフェローズ」を観ようと思います。
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