「欲望と、抑圧のあいだ」サイの季節 ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
欲望と、抑圧のあいだ
「ペルシャ猫を誰も知らない」で、世界の注目を集めたバフマン・ゴバディ監督が、実在するクルド人詩人サデク・カマンガルをモチーフに描く群像劇。
この作品に関しては、あらすじを含め作品情報を頭に入れずに劇場に足を運ぶべきである。なぜならば、異常ともいえる妄想力、感受性を武器に世界を渡り歩く「詩人」の破滅的人生をテーマに描く本作。根幹にはストーリーが存在しているものの、鬱積と疑惑に満ちたモノトーンの空間を染めているのは、一人の男の爆発的欲望と抑圧の作り出すイマジネーションの奔流であるからだ。
政治犯として投獄された半生。苦しみの果てに結ばれた男と女。抗えない流れの中で生き別れた美しき妻。もう、このフレーズだけで濃厚な人生ドラマが花咲きそうな予感だが、さらに厄介なのが、主人公となる男のあっぱれなエロスへの渇望。もう、彼のような男が世界を席巻すれば、少子化対策もそれはそれはスムーズに行くだろうに・・。
だが、その渇望は、思春期の少年にあるような「ハレ」の解放感ではなく、深く、深く闇へと手を突っ込み、未知なる異性に手を伸ばす芸術家としての試行錯誤の延長である、まるで「儀式」。庶民の想像を遥かに超えていく、エロと失望の権化。観る者は、まるで異星人の理解できない言葉に呆気に取られるが如く、強烈な表現の海に突き落とされる。
疲れる、呆れる、眠くなる。だが、その絶望の先には、ささやかな浮遊感と、高揚感が観る者を包み込む。メジャー映画に漬かり切った頭では分からない、あるべき芸術との付き合い方がある。「未知」は、いずれ必ず「道」になる。という所だろうか。
その2時間弱。暗闇の中で、他人の計り知れないエロ頭に潜り込んでじっとりと過ごす時間旅行。この特異な体験は、きっと観る者の眠れる感性と、可能性を「ちょっと」開かせるかもしれない。
しかし、「詩人」とはここまでに本能的な、動物的な生き物なのだろうか。機械と予測、ゲームに支配された現代において、支持者を得にくい芸術であるのも、何となく分かる気がするのである。