ウォルト・ディズニーの約束のレビュー・感想・評価
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こんなにも感動したのはひさしぶり
心踊った!胸がいっぱいになった!
原作者は頑固で本当にウォルトは大変だっただろうけど、徐々に心を開き、音楽に合わせて足をトントンしはじめて皆と踊りだすシーンは号泣。
原作者は本当に作品の事を愛していて独り占めにしたい気持ちがあったのかな、
最初はバラバラだった気持ちが一つになっていく過程、原作者の過去、作品への思い。また、ウォルトの夢がうまく交差してた!
メリーポピンズは見たことあって話の内容がよくわかったのでよかった
原作も読んでみたくなったし、
さらにウォルトディズニー氏の事をもっと知りたいと思える映画でした
涙もろい方なので
ウォルトがディズニーランドを案内して以降の話には所々うるっとしてしまった。
配役も個人的にはベストで、それぞれが個性的なキャラクターを快演していた。
頑固おばさんであるトラヴァースの嫌いになる一歩手前、だけど憎めないキャラクターをとても魅力的に演じていたと思う。
ホテルのバーにおける孤独な彼女の半生を垣間見るようなシーンはとても印象的だった。
全てのMr.Banksに救済を・・・。
Saving Mr.Banks・・・。このタイトルを見て、涙が出てしまった。
そして邦題の「ウォルト・ディズニーの約束」には大きな意味があるのだ。
意味のある名訳である・・・。
【ネタバレあり】
「東の風が吹く、何か不思議なことが起こりそうな・・・」
この有名なセリフを冒頭とラストに用いて。
全てのMr.Banksを救済するために。
この映画は作られたのだ。
「不朽の名作『メリー・ポピンズ』の誕生秘話」というコピーは、もはや何のネタバレでもない。
謎解きは、順当に映画の中で紐解かれていく。
梨はダメ、赤はダメ、Mr.Banksは冷血漢じゃない・・・。
そして、メリーポピンズを先入観なしに見れば、Mr.Banksへの救済の物語であることは完全に理解されれている。
これは、トラバースへの理解と許しの映画だ。
彼女への許しの最初の伏線は「散歩」だ。
ハリウッドの滞在施設からスタジオへ向かう途中、そこには誰も散歩する姿がなかった。
「誰も散歩をしていない。」
運転手が答える。
「散歩は神から与えられた至福」と。
心を許す相手など誰もいないアメリカ。そのいくつかの演繹が必要なセリフに理由を聞くこともなかった相手こそが。
唯一無事のアメリカの親友となる・・・。
それは、映画を見て楽しんでもらうことにして。
そして。
この映画のもう一つの大切なMr.Banksは・・・。
幼少時代に新聞配達を強いられていた、ウォルトディズニー自身の父、イライアスに対する思いへの救済。
解き放つべきだと、このオーストラリア育ちの強迫観念作者のもとへ向かうべき言葉は。
Saving Mr.Banksそのものだったに違いない。
苦労した幼少時代の後、キャラクター肖像権に大手映画会社からの陰謀で苦い思いをした末のミッキーマウスの成功だけに・・・。
メリーポピンズの想いはどこにあるのか?と謎解きを始めるウォルト。
人前では屈託なく明るいが、実はタバコが止められず隠れて吸っている。
COPDのために空咳が時に止まらない・・・。そして数年後彼は肺がんで亡くなる。
「夢はかなう、願い続ければ」
彼は20年の想いを、「娘との約束は守らなけらばならない」と思い通りの映画を作った。
そして、トラバースには、相いれない部分も認めながら、自分のMr.Banksを解き放った。
肖像権問題の後、会社倒産の危機を乗り越えてミッキーマウスで成功を収めたファンタジア。
イマジネーションをリアルに。それが彼に作ったMagic Kingdam。
肉体は死しても、その魔法は現代の世界中に広まってる。
彼は現代の魔法使いになったのだ・・・。
事前にたまたまメリーポピンズを見た私だったが、皆が言うほどメリーポピンズが親しみやすいキャラクターには見えなかった。
そして、何よりMr.Banksへの想いは理解されていたと確信する。というかこの映画を見る前からそうとしかとらえられなかった。
トムハンクス演じるウォルトが言う。
娘はこの本をボロボロになるまで読んだ。なぜそこまで気に入ってるかって?
それは、メリーの立ち向かう姿勢を理解しているからだよ、と。
そして、それはこの映画でも必ず理解される、と。
さて、メリーポピンズのオリジナルの正体は、彼女のおばさんなのだが、映画の科の姿はしかめっ面のメリーポピンズであり、それをまねたのがP.L.トラバースということになる。
しかし、その叔母に対する思い、評価は一切謎解きしない。
ただ、気になったのは。
「気にすべき愛する家族は一人もいない!」と逆切れするシーンで・・・。
何か言いよどむ部分がある。
少なくとも、妹や姉妹は存命の可能性が十分あるが。
また、どうしても敬意を払えなかった母親ですら存命の可能性があっただろう・・・。
が、もしかすると。
一番気にしていたのは、この「メリーポピンズ」のオリジナルの「叔母」だったのかもしれない・・・。
ラストで再現される録音テープ(劇中よりも言葉が多い)から、女史が相当面倒であることがわかるわけだが、本当のエンドロールラストにもう一つのおまけがある。
「この作品をダイアン・ディズニー・ミラー(1933/12/18-2013/11/19)に捧ぐ」と出る。
ウォルトがメリーポピンズの映画化を約束した、彼の長女である。
邦題を考えた人間の顔が見たい
とにかく、タイトルと内容が一致しなさ過ぎて意味が分からなかった。
事前の予備知識なく見に行って、ウォルト・ディズニーの話だと思い込んで見ていたから、話の中盤まで全く意味不明の映画だった。
現在と過去を交互に進めて話をまとめる手法だけど、同一人物なのに名前が違うから余計に分かりにくい。
そこを感動に使いたかったのかもしれないけど、伏線多過ぎて全員気付くレベル。
ウォルト・ディズニーは完全に第三者!
あと、メリーポピンズのあらすじくらいは把握してから見るべき作品。
せめて、タイトルが「バンクスと父」とかなら、予備知識なくても話についていけたと思います。
本当に、邦題を考えた人間のせいで、作品が台無しです。
メリーポピンズを見たことある人と、無い人は、感想も全く違うと思う。
タイトルに意味はあるのかな?
タイトルだけ見るとディズニーの自伝的映画かなと思ってましたが実際にみてみるとメリーポピンズの映画制作秘話で原作者のトラウマを描いた作品
映像も綺麗で泣ける作品
だけどこれが本当ならディズニーは凄く嫌な奴(20年待ったというわりには本名知らないし、主役は髭付けてるし、ペンギンの件は騙してたし、試写会には呼ばないし)
偏屈に寄り添う姿勢。
久しぶりに鼻水を垂らしてオイオイ泣いてしまった。
偏屈人間が登場する作品が大好きな私も偏屈女だが、
この原作者のトラヴァースはさらに輪をかけた大偏屈人間!
しかし共感してしまった、ウォルトと彼女の共通点には…。
「メリー・ポピンズ」は有名な物語だが、原作は読んでいない。
何度か観た映画版の方では、出演者の裏話の方が有名で、
このタイトルを聞くと決まってそっちを思い出してしまう。
主役を演じ見事アカデミー賞を獲得したJ・アンドリュース、
彼女の初めての映画出演となった作品だが、実はその前に
舞台「マイ・フェア・レディ」で大成功を収めた彼女が映画版の
方にも当然イライザ役でオファーされるものと思われていた。
が、映画女優としては無名の彼女に代わりO・ヘプバーンが
その座を得た。むろん歌声は吹き替えられての公開となった
ことに対し彼女の失意は治まらず、やっとこの作品で彼女は
美声と共に堂々ハリウッド・デビューし、面目躍如を果たす。
何か因縁の復讐のように思えて仕方なかった作品なのだが、
初めて観た時「これがディズニー映画?」という違和感もあった。
その理由が本作で解き明かされるのだが。。。
少女時代の父親との過去を、トラウマに抱えたまま生きてきた
トラヴァース。原題「バンクス氏を救え」←まさにこの通り!と
思うほど家族愛の複雑さに傷つきながら生きてきた人だった。
心優しい父親は悪くいえば飲んだくれの銀行家で、母親は常に
ヒステリック、長女のギンティ(=トラヴァース)は家族の悲劇を
受け止めながら大人にならなければいけなかった存在だった。
大好きな父親をモデルに描いた物語を商業主義?の会社に
絶対に売り渡したくなかったのだ。何が魔法だ、何がアニメだと
一から十までこの偏屈作家はケチをつけ続ける。夢や魔法で
人間を幸せにしようだなんて、ふざけんじゃないわよ!バカ!
みたいなもんだったのだろうと思う^^;なんとなく分かるのだ。
しかしここからの、ウォルトの巻き返しが凄い。
ウォルトの人生もそう明るいものではなかった。ファンタジー王国
を築いた男の半生だって夢や希望に溢れた子供時代ではない。
思うに○○ランドなんていうものを作る人々には、幸せなんて
無縁の世知辛い世界が横たわっていて、だからこそ夢や魔法や
豊かさでいっぱいの楽園地を作ろうとするんじゃないだろうか。
(かのマイケルだってそう、子供時代がなかったんだもんね)
トラヴァースとウォルトの場合、表向きの表現姿勢は違うものの、
根っこの辺りで繋がっているような気がするのは私だけだろうか。
味わった辛さを何でどう表現するかの違いだけのような気がする。
(凧をあげよう、で歌い踊る彼女を見れば分かる)
トラヴァースを訪ね、説得を続けるウォルト。何度、断られても
絶対に諦めないこの姿勢も裏を返せば彼女の頑固とよく似ている。
結果、無事に製作・完成にこぎ着けた「メリー・ポピンズ」だが、
あれほど商業主義に異を唱えたトラヴァースが、涙をボロボロ
流して作品を観ていた姿が印象的。諸手をあげて抱きしめたい、
お互い素直になりたい、仲良くなりたい、本音で語り合いたい、
理解し合うにはここまで時間をかける必要がある人間だっている。
運転手のラルフが、いいお手本を見せてくれた。
いつも彼女を見守り優しく寄り添う姿勢が父親とソックリである。
幾度もダメ出しされたシャーマン兄弟が繰り出す音楽も素晴らしい。
エンディングは必聴。きちんと保管されてたのね(爆)
(エマもトムも最高の演技。コリンもハマり役。そしてギンティは◎)
可哀想なトラヴァース
メリーポピンズの作者、トラヴァースは気難しい女性だけれども、悲しい過去に囚われていて、可哀そうな人だった。
ウォルトディズニーと出逢って、新しい人生を開けて良かったと思う。
運転手のラルフの存在がとっても良かったし、彼と友だちになれて良かった。
トラヴァースの父親は家族を守ろうという気持ちはものすごくあるのに、それが仕事に繋がらなかったのが悲しい・・・
その事で幼いトラヴァースの心に深い傷を残してしまったのも、すごく悲しい。
お互いにすごく想い合っているのに・・・
思いがけず良い映画に出会いました
メリーポピンズ制作の裏話の映画、くらいにしか思っていなかったため、想像以上に感情を揺さぶられ、面食らいました。
メリーポピンズを見たことも、原作を読んだこともないのですが、パメラ・トラバースという人の人生そのものがこの映画の主題になっているため、「?」となることはありませんでした。
この地球にはたくさんの人間が居て、街を歩く人々は皆幸せそうに見えるけれど、人はそれぞれいろいろな背景を抱えて生きている。
皆、めったに口にはしないけれど。
パメラのお父様はきっと、男として、父としての自分の理想像と、現実のギャップに苦しんでいたのだろうと思いました。パメラはそれを知っていたから余計にやるせなく、無慈悲な現実へ失望し、心を閉ざしたのでしょう。
この映画を観て涙した人は、パメラがメリーポピンズの試写会で完成した映画を観ながら子供のように泣きじゃくるシーンを観て、自分自身も救われたような気持ちになったのではないでしょうか。「バンクス氏は大丈夫。」映画の中でお父様が救われることによって、パメラの中で延々と渦巻いていた過去の記憶が昇華された。創造(クリエイト)によって人を救えるってすごいことです。
とても素晴らしい映画で、劇場で観て良かったと心から思いました。過去と現在がテンポよく入り交じるため、息を吐く暇もなく、物語にぐいぐい引き込まれました。この豪快なリズム感はディズニーひいてはハリウッド映画独特のもの。また、パメラの心情が徐々に変化する様子の描写は、少しでも不自然さを感じさせると一気にしらけてしまうと思うのですが、無理なく自然に描かれていました。さすが、の一言です。
夢の裏側
トラヴァース夫人がシャーマン兄弟、ドン、ドリーとカイトの歌を唄うシーンで泣いた。
クリエイターが自分を反映したキャラクターにこだわる背景が描かれる様子が素晴らしい。
演説のフラッシュバックと共に流れるMr. Banksの歌のシーンでグッと引き込まれた。
普段0から1を作りあげる人達と接する事が多いので、これから少し考えてから話をしようと思った。
良い意味で期待を裏切ってくれました
前もって言っておくと私はディズニーファンではありませんし、きっとまたハッピーエンディングのチープなハリウッド映画かなぁくらいの軽い気持ちで観に行きましたが、見事に期待を裏切ってくれました。
脚本家とディズニーの間の映画製作完成/契約に至るまでのプロセスを、パメラの幼少期の空想と現実を行き来しながらストーリーが展開します。映画の間には少しながら英国人(実際パメラはオーストラリア人との設定ですが)と米国人という文化的なギャップを皮肉にしたジョークもたくさんちりばめられております。
またもちろん「メリーポピンズ」でおなじみの曲も沢山ミュージカル要素を兼ねて出てきますので、知っている方は楽しめると思います。
かの有名な"A Spoonful Sugar"の中のリズム感はやっぱりいつ聴いても忘れられません。貧しい階級で育ったとされるパメラにとって、本当の意味で勤勉であるという良心的な部分が投影されているなぁ、と思いました。
わたしはパメラの父親との間に築きあげられた信頼関係や愛情に関して、とても共感しました。特に父の最期を見届けるシーンは涙がとまりませんでした。またとくにパメラの父親が抱いていたプライドの狭間にあった「孤独」の部分に、いたたまれない気持ちになりました。
まずは是非原作もしくは映画で「メリーポピンズ」をご覧になってからこの映画を観ることをおすすめします★
娘にとっての父の存在感を泣きながら想う
映画館で泣いたのはいつ以来であろう。これほどまでに泣かされ
てしまうとは・・・・
本作は、ウォルト・ディズニーをメインキャストとし、ディズニ
ー社が製作する映画である。なので、劇中がウォルト礼賛、ディ
ズニー万歳のトーンで統一されていてもおかしくない。実際その
覚悟をもってスクリーンに臨んだ。
しかし、私の予想は見事に裏切られた。少しでも白けた気分にさ
せられていたら、これほどまでに感動しなかったであろう。
本作では、メリー・ポピンズの映画化にあたり、どうしても映画
化を実現したいウォルト・ディズニーと、それを激しく拒む原作
者とのやりとりを通して、原作者がメリー・ポピンズに込めた思
いが解き明かされていく。
頑固女として、ディズニー側の提案のことごとくをはねつける原
作者。彼女が言い募る難癖は、音楽、キャスト、色使いなど、映
画全般に及ぶ。それに対して苦悩する脚本家、音楽監督、そして
ウォルト・ディズニーと秘書のドリー。原作者の心をとかして、
映画化を実現するにはどうすればいいのか・・・。
本作の予告編やコピーでは、その謎はウォルト・ディズニーが解
き明かすかのように受け止められる。しかし、本作はそんなミス
テリー仕立ての安易な構成には流れない。むしろ、映画の冒頭か
らその謎の答えは我々観客に提示されている。それはつまり、原
作者の過去である。本作にとってキーとなる原作者の過去を辿る
にあたって。回想シーンはほんのちょっぴりどころではない。頻
繁に挿入される。現在の映画化作業の意見の応酬がが全体の6割
とすれば、過去の映像が4割ぐらいにはなろうか。
過去と現在の映像がひっきりなしにシンクロしあう中、圧巻なの
は過去、原作者の父が演説をする下りである。そのシーンと、現
在の映画化作業の中で、バンクス氏の銀行のシーンを作曲する過
程が混ざり合う。メリー・ポピンズに込めた原作者の想いが見事
に表現された演出は素晴らしいの一言である。
トム・ハンクス演ずるウォルト・ディズニーの演技も円熟の見事
なものだし、エマ・トンプソン扮する原作者トラヴァース夫人は
心の動きには涙をそそられた。しかし、演技力ではそれほど印象
には残らなかったとはいえ、コリン・ファレルの見せた父親像こ
そが、メリー・ポピンズ誕生にとって不可欠なピースだと思われ
る。
娘の中に占める父親への思慕。これこそがメリー・ポピンズに込
めた原作者の想いであり、本作が発するメッセージである。劇中
、ウォルトが語る。「たとえ何年かかろうとも、娘に対する父の
約束はなされなければならない」。これこそがメリー・ポピンズ
映画化へのウォルトの執念の源である。自らが抱えるその想いが
メリー・ポピンズに対する原作者の想いと一致することに気付い
た時、謎は解かれ、物語は大団円へと進む。
本作が発するメッセージは、父と娘の関係だけではない。それは
「人はみな、それぞれの事情を抱え、生きている」ということで
ある。そんな当たり前の事実を、人はつい忘れがちである。仕事
の失敗に怒り、性格の不一致をその人のせいにする。でも、人は
そんなに浅い存在ではない。栄華を極めているかに見えるウォル
ト自身にも身の上話はあり、実直なリムジン運転手のラルフにも
障害を患う娘がいる。そして愛する父を亡くした原作者の過去に
も。それを理解し合い、思いあえることの大切さ。リムジン運転
手のラルフも、本作のキーマンといっても過言ではない。
ウォルトに「金でハリウッドに君臨する王者」と言わせたり、冒
頭で原作者がアヒルや犬、クマやネズミをクローゼットに押し込
むシーンがあったりと、ウォルト礼賛で白けさせないような配慮
も随所にこめられている。アナハイムのディズニーランドを登場
させたり、ディズニーに思いを語らせる箇所など、斜めに構えて
みれば、批判はできよう。ウォルトとて色んな噂や誹謗のネタが
多数あることは承知の上。でも、それは本作の価値とは無関係で
ある。むしろ好悪が混ざり合ってこその、夢と魔法の王国ではな
いか。
その意味では、「夢と魔法だけでは作れない映画がある」という
本作のコピーは秀逸である。
'14/3/21 イオンシネマ 新百合ヶ丘
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