劇場公開日 2013年12月7日

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利休にたずねよ : インタビュー

2013年12月5日更新
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市川海老蔵、ぶれることなき“本物”への渇望

日本の伝統文化を受け継ぐ者としての矜持(きょうじ)。市川海老蔵は「利休にたずねよ」において、茶聖としてではなく、己の信じる道を追求し続けた情熱に魅力を感じ千利休と向き合った。その思いがぶれることなく、10代から最期まで演じきった充足感をうかがわせ、父の故市川團十郎さんとの最後の共演にも思いをはせる。歌舞伎十八番の復活にまい進するなど本業でも目覚ましい活躍を続けつつ、映画など他分野にも積極的に進出。そのすべてが糧になっていると自負する海老蔵の器は、絶えず容量を大きくしている。(取材・文/鈴木元、写真・堀弥生)

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第140回直木賞を受賞した小説「利休にたずねよ」は、利休の美意識が与四郎だった10代の情熱的な恋に裏打ちされているという仮説に基づいて書かれている。原作の山本兼一氏は、特に与四郎時代は海老蔵を想像して執筆していたと述懐しており、映画化が企画された3年ほど前からラブコールを送り続けた。だが、海老蔵自身にはちゅうちょがあった。

「居士にもなっている方ですから、なんで(当時)30歳かそこらの僕なんだろうなという思いがあり、そもそもそんな偉い人はできないとお断りしていたんです。けれど、口説かれ続けたら振り向いてしまう女性の心境というか、ご飯でも行ってみようかなという女の子の気持ちみたいなもので、原作を読ませていただいたんです」

小説に書かれていた若き利休は、高麗からの貢ぎ物だった女性に恋をして駆け落ち。追い詰められて心中を決意するが自分だけが生き残ってしまう。そして、女性が最期に残した言葉が「あなたは生きて」だったことを知り、生涯、香炉の中に女性の骨(映画ではツメ)を入れて持ち続け、茶の道に没頭していく。

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「ハスの花のように、泥を吸ってでもきれいな花を咲かせるというか、そういう経験が若いうちにあった利休を描きたいんだと僕なりに解釈しました。恋愛がメインの部分もあるので、いろいろなことを感じてお茶の世界に入っていき、自分への戒めを持ち続ける。すごくロマンティックだし、自分の経験を忘れまいとするポリシーがすごく素敵で格好いいと思ったんです」

今でこそ、「結局、口説かれちゃったんです。海老蔵くんは」と豪快に笑うが、いざ演じるとなれば一切の妥協はしない。利休作の茶杓(ちゃしゃく)を自腹で購入するなどこだわりを見せた。海老蔵自身は十一代目だが、「わび茶」を完成させ茶聖と呼ばれた“初代”の利休への敬愛の念も込められている。

「初代が築くものは、初代にしか分からない苦悩があるわけです。推測するに、自分のポリシーを曲げて生きていくこともできたはず。でも彼は、殺されても魂は受け継がれるからと勇断したんだと思う。だからこそ、今の茶の湯という素晴らしいものが残っているわけで、初代はやっぱり命を懸けて切り開いていく。それを見ていた後続が命を懸けて守っていく。ですから古典を守るのが一番大事なこと。古典が一番素晴らしくて、本当に深いところで心の有りようの新しさをやっているのが歌舞伎の古典なんです」

茶道と歌舞伎、日本の伝統文化として相通じるものがある。先人たちが残した功績の裏側にある隠れた努力に魅了されていく。だからこそ、古典に耳目を向けさせるため、歌舞伎だけでなく自主公演や映画出演など新たな試みにもどん欲だ。

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「人生においては、何が起こってもどんなことがあってもマイナスになることはない。一時、マイナスになると思っちゃうんです、人間って。でも、そんなことはない。絶対にプラスになるので、そう受け止めていかなければいけないと思っている。ですから、千利休や偉人は皆、なるべくしてなっていくんです。王貞治さんの本塁打記録も、いきなり868本打ったわけじゃなくて、真剣での素振りとか面白いエピソードだけが残っているけれど、血のにじむような努力があった。偉人はそういうことがあるから面白いんじゃないかなあ」

では、自身に置き換えてみればどうか。「いろいろしているよ」とニヤリとして続けた。

「どんな衝撃にも耐えうろうと思っているから、どんどんでかくならなきゃいけない。だからといって古典一本ではないし、ブログもフェイスブックもやるし、映画にも出る。芸術家、アーティストとしては全部やった方がいい。いろいろなところを旅して、太く太く生きて見付けていく方が本物に近づいていける気がする。なりたいじゃん、本物に」

そのひとつの成果が「利休にたずねよ」といえる。与四郎の頃は奔放の限りを尽くすが、号の宗易を名乗って以降は、茶人として“動かない”演技が要求され「一番芝居の中で難しい」と振り返ったが、優雅なたたずまいと流麗な手さばきで、全神経を集中させているのが分かる。

「袱紗(ふくさ)のさばきや茶杓の使い方、茶のたて方、湯気の立て方、そういったしゃべらなくても成立するための最大限の努力はしました。ひとつの物に対して、個のように尊重するんです。そういう物の扱いは美しいと思うし、そういう空気感を出して時間を止めることを見せるという、役者としていい経験をさせていただいた。すべてが糧になっていますよ」

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そう言って、飲んでいたアイスコーヒーのストローを茶杓に見立て実演してみせた。その流れるような手さばきは思わず見入ってしまうほどで、自信のほどが垣間見えた。加えて、若手の頃と比べての意識の変化を強調し、「昔は間違っていた」と言い切る冷静な自己分析力も併せ持つ。

「数年前までは歌舞伎の舞台の上だけが本番で、そんな人生だからあとはどうだっていいじゃないかと思っていた。でも近年は、日常も本番、朝起きて神棚に手を合わせ、花や水を入れ替えるところから本番なんですよ。本番の延長に舞台があるので、ムダな緊張はなくなってきている。それが実力を発揮することだと思うので。人間だから、時にバランスを崩すことはあるけれど、そういう時は僕は逆に舞台で調整する。今は舞台で精神の安定が取れるようになったから、もはや日常ですよね」

今年2月の父・團十郎さんの死も、人生を見つめなおす上で大きかったという。團十郎さんは利休の師匠・武野紹鷗役で出演。くしくも、最後の親子共演となったが、かけがえのない時間を送ることができたと感慨に浸った。

「子どもの時から舞台で共演してきて楽しかったけれど、舞台では父の中で答えがあるんですよ。だから、そのルールに違反すると怒られる。ですが映画は自由であって、ちょっとした細かい目のやり取りで、父は不満だったと思いますけれど、父がこう思っているんだというのを隠し切ってやったのは初めてだったので、本当に幸せな時間を過ごしたなあ。いまだに覚えている。本当に幸せな時間だった。僕が生きている限り、それはすべて覚えているからね」

「利休にたずねよ」は、9月のモントリオール世界映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞。海老蔵は現地には行けなかったものの、「父が生きていたら、喜んだはず」と相好を崩した。自身は既に映画第4作となる「誰にもあげない 真四谷怪談」を撮り終え、来年には「5本目も撮るけれどね」と期待を持たせた。芸域は広がるばかりで、今年3月には長男も生まれ芸の継承にさらなる意欲が芽生えたはず。役者・市川海老蔵からしばらくは目が離せそうにない。

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