「二階堂ふみと岡田将生ファンにはお勧めだけれど、何だか腑に落ちない作品でした」四十九日のレシピ Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
二階堂ふみと岡田将生ファンにはお勧めだけれど、何だか腑に落ちない作品でした
ちょっぴり乱暴な言い方をすれば、この映画のテーマとは早い話が、人間誰しも、結局ただ飯は食わないと言う事なのだろうか。
どんなに、他人からは無意味に見える人生であろうと、決して誰の役にも立っていない様に見える人でも、必ず誰かの役にたっていて、人間はみんなそれぞれが、自己の人生を立派に生きているのだと言う事なのだろうか?
そして、家族の繋がりは血縁関係ばかりではなく、女性は子育てだけが、努めではないと言う事を描いているのだろうか?観ていて良い映画で、何となく言いたい事は分かるのだけれども、どうしても淡々と、同じテンポで盛り上がり無く、2時間以上描いていくのは、本当に意味があったのだろうか?
制作者側は、エピソードを沢山盛り込んで、登場人物を丁寧に描いていきたいと言う気持ちは理解出来る。
だけれども、どうしても単調なエピソードの連続で、笑いでごまかされた気がしたのだ。このテーマでシリアスな2時間を越えるこの作品も、私は個人的には正直苦痛だと思う。
淡路恵子演じる、ヒロインの叔母が語る、世間一般で言う、常識的な人間とは、結婚し、出産し子育てをしていくのが、人間の役目であると信じて疑わない。
子供を作らない人達がいる、或いは子供が産めない女性を責める、女性って一体何者だろうか?
現実には、こう言う発言をする人も、少しはいるかも知れないけれども、2013年の今これか?
日本の少子化は深刻かも知れないが、子供が出来ない女性を描くのにこれは酷い。
そして、どうにも最後が腑に落ちない。
本作監督のタナダユキ作品で、丁度昨年の11月に公開された「ふがいない僕は空を見た」は、こちらも大分長尺の映画であったけれども、同じようなテーマであっても非常に良い映画だったと思う。
何故続けて、同じ様なテーマの作品なのか?監督のライフワークなのだろうか?
私なら絶対に、「ふがいない僕は空を見た」を勧めても、この映画は勧めない。
それに、ラストのフーラを踊る淡路恵子の変わり身が不自然で、違和感だけが残る。
何だか、その前の彼女の言った事は何だったのか?と問い正したくなる。
騙された気持ちになった。今迄百合子に感情移入していた気持ちが一機に冷めた。
フーラを49日の法要である大宴会に集まった人達全員で踊るシーンで使われる、「アロハオエ」の歌詞は、とても良い歌詞なのに、何故対訳が無かったのだろうか?
この映画の大切なテーマを伝えていると思うのだが、何だか不思議だ。