劇場公開日 2013年6月22日

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さよなら渓谷 : インタビュー

2013年6月23日更新
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真木よう子×鈴木杏×鶴田真由「さよなら渓谷」に全てを捧げた昨夏を振り返る

「え? 終わり? 終わりってどういうこと?」。「さよなら渓谷」がクランクアップを迎えたとき、真木よう子を襲ったのは過去にない不思議な感覚だった。「『終わったあ!』でもなく『終わった気がしない』というのとも違う。役ではなく、自分が現実にかなこという女性の人生を生きているような気がしていたから、『終わりです』って言われても『え、何が?』という感じでした」。(取材・文・写真/黒豆直樹)

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撮影のひと夏を丸ごと役に捧げた真木とは対照的に、鶴田真由が撮影に参加したのはたった1日だけ。ごくわずかな時間の中で、全ての感情を表現せねばならず「難しかったです」と苦労を明かす。そして観客と同じ目線で、物語の軸となるかなこと尾崎(大西信満)の関係に迫っていく記者を演じた鈴木杏は、映画が完成したいまも「理解しきれずにいる」と漏らした。

原作は、「悪人」「パレード」「横道世之介」など次々と著作が映画化されている作家・吉田修一の同名小説。ある殺人事件の取材過程で、容疑者宅の隣に住む一見ごく普通の夫婦に見える男女が、実は15年前にあったレイプ事件の加害者と被害者であることが判明。余人の理解を超えた2人の関係、彼らの間だけで交わされる愛憎が綴られる。

真木は現場に入る前に原作、脚本のみならず、同様の事件被害者の方の本を読んだりして「例えばどんな言葉に傷つき、どんな時にフラッシュバックが起きるのか? 二次被害に遭った時に、どんな言葉を掛けてほしかったのか? といったことを勉強した」。だが、そうした知識や想像した感情は、意識下で役の血肉となったが、決して演じる上での“軸”や“よりどころ”にはならない。あくまでも、「頼りになるのは自分自身の感情」だった。

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「脚本や資料を読み込んで、そこで得たものを持って撮影に入りますが、現場に立たないと分からないこと、現場で初めて発見できる感情って必ずあるんです。特に大森(立嗣)監督は事前に何も言わない方なので100%、自分がなりきるしかない。何かを頼りにするのではなく、自分がその場で何を感じるかでした」

真木が口にする「現場」という言葉は、撮影が行われた東京・奥多摩の秋川渓谷という場所を指すと同時に、職人がそろった“大森組”というチームをも意味する。本作は真木にとって7年ぶりの主演映画となったが、真木自身が撮影中に座長であることを強く意識することはなかったという。そこにも大森組という現場が作り出す空気が大きく関係している。

「例えば自分でも『ダメだな』という芝居をすると、それが空気として周囲から瞬時にブワッと伝わってくる。でもそれが決して嫌な感じではないんです。そこにいる全員が本当に良い画を撮ろうと思っているから。だから自分が座長として引っ張るというよりも、信頼関係の中で成り立っている現場という感じでした。こういう役ですが、どんなに壊れようと、本番でどんな姿をさらそうと、それをおかしいと思うような人は誰一人いないという確信のある、役者として幸せな現場でした」

役になりきったがゆえに撮影中はかなり苦しみつつも、いまはどこかスッキリした表情さえ見せる真木とは対照的に、鈴木はいまなお作品が突きつける、答えの見つからない問いに頭を悩ませる。大森南朋が演じる先輩記者・渡辺と共に、かなこと尾崎の関係を探っていく女性記者・小林が抱く疑問や様々な感情は、まさに撮影中から鈴木自身が素で感じていたものだった

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「脚本を読んで、現場で小林という役を通して尾崎とかなこを見て、完成した映画を見て…いまでも少しずつ、2人の関係やそこにある真実に近づいていっているという感じですかね。でも結局、2人にしか分からないことが満ちあふれていて、分かったつもりで勝手に解釈しているだけなんじゃないかという気もするんです。まさに小林と同じように分からないことを分かろうとするけど、見えているようで見えていないというのを行ったり来たりしています。ふだんから“役作り”が苦手で、特に固めずに現場に行くことが多いんですが、今回はなおさら漠然としたまま、自分でも中身が曖昧なままでセリフを発し、自分の中で整理していく感じでした。あえてそうしたのではなく、意図せずしてそうなってしまったんです。現場ではいつも監督の顔を見ながらヒヤヒヤしていましたね(苦笑)」

鶴田が演じたのは大森南朋の妻で、ケガで社会人ラグビーを引退し、そのまま会社に残ることなく雑誌記者に転身した仕事漬けの夫を不満に思っている、かなことは異なるタイプの女性。先述の通り出演は数シーンで、大森以外の俳優との絡みもないが「かなこたちとの対比、違う形の夫婦として存在しなくてはいけなかった」とその在り方の難しさを語る。

「演じてみて思ったのは、彼女は自分の渦の中にいて、整理のつかないグルグルした思いに自分で振り回されて、イライラしているだけなのかもしれないということ。それをどうにもできずに夫に当たるんだけれど、『出ていってよ!』と言いながら、いなくなると急に寂しさを覚えたりという矛盾を抱えてる」。

ここから話題は男性と女性の考え方や価値観の違いや夫婦の形へ――。鶴田は「男性の方が実は、状況を淡々と受け止める能力が高いのかな?」と分析する。「南朋さんがってことなのかもしれないけど(笑)。あの夫婦は私が勝手にイラついて、自分で何かを決めて自分でスッキリして、自分で進んでいく感じで、相手はある意味で振り回されているんです。ラスト近くで、私が出掛けるのを見送る南朋さんの表情が、すごくフラットなんですよね。“とりあえず”ホッとしているような、どこかでひょうひょうとしている印象を受けるんです」

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そのシーンに対し、鈴木は「どんなに多くの言葉を掛けるよりも、1回ギュッと抱きしめることが大事なんだなと言っているような気もしましたね。恋人同士ならごまかしが効くかもしれないけど、夫婦は油断していると日常にまみれちゃう。だから夫婦の方が繊細なのかもって思いました」と語る。

愛し合って夫婦になったはずの2人(鶴田&大森)がコミュニケーションを失い、どうしていいか分からなくなる一方で、愛ゆえに一緒に暮らしているわけではない2人(真木&大西)が、激しく違いを求め抱きしめ合うという様を鋭く指摘しているようで興味深い。

真木は、演じている最中よりも、完成した映画を見た人々が漏らす感想に、男女の違いを強く感じたという。結末にも関わる部分であり詳しくは記さないが、かなこと尾崎の関係性、そして映画の“その後”について「男性と女性で意見が真っぷたつに分かれるんですよ。男性は、2人の関係に対し“希望”を持っているんですよね。吉田修一さんも驚かれていたそうです」と明かし、いたずらっぽい笑みを浮かべて続ける。

「演じた本人はそういう男性の希望とは正反対の感情を持って演じたんですけどね」。答えはない。例えば、真木、鈴木、鶴田が演じた交錯することのない3人の女性に対しても、理解しえない全く違う3人と見るか、それとも根本のところで同じ価値観を共有していると見るかも人それぞれだろう。ひとつ言えるのは3人の女優にとって、役柄やシーンの数の違いはあれど、この作品が様々な意味で特別な1本になったということ。真木がインタビューの最後につぶやいた言葉が印象的だ。

「いまでも鮮明に思い出せるんです。撮影から何か月過ぎても、あの秋川渓谷の夏を」

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