「ファンタジックでダークでゴシックでユリチックで萌えチック で悲哀と狂気が浮かぶ世界観」劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語 葵須さんの映画レビュー(感想・評価)
ファンタジックでダークでゴシックでユリチックで萌えチック で悲哀と狂気が浮かぶ世界観
2013年10月頃劇場で見てその表現に圧倒され感動し、その後、2018年頃見直してほむらの悲劇へのカタルシスに浸り落ち込んだ時にその都度好きなシーンを見直し(特にdespairいう名のBGMが流れるシーン)、2021年12月となってマトリックスリザレクションへの失望の元、再度見たい欲求に負けて呪術廻戦0は後回しに見直す事とした。何度も見た為、感動は薄れてはいるが、思う事はあまり変わっていないようだ。しかしもう8年もたったのだという事実に郷愁を感じるし、次作ワルプルギスの廻転への期待を感じながらの視聴となった。
劇場で見た当初の感動は私がこの映画を思い出す時に思う言葉、『遊園地感』という一言につきる。この映画はエンタメとしてイヌカレー空間、梶浦由記によるBGM、虚淵玄による人間の本質に迫るシナリオと象徴的にくっきり分別されたキャラクタの性格、蒼樹うめによるキャラクタデザインが完全にマッチして何の違和感もなく渾然一体となって視聴者にすべてを突きつける。マトリックスリザレクションやシン・エヴァンゲリオンであったような監督による最終回答、『現実に戻れ』は無く、単純にエンタメを突き詰めて提供しようという姿勢をそこに感じる(メタ作品を批判しているわけではない)。
今作のテーマに対するほむらの回答は、『愛』ではなく『執着』である。それを『愛』と言い切るほむらとそれにより生じる世界事象改変、その映像表現には度肝を抜かれた。ほむらの回答は、道徳的に間違っている。よって、創作物の意図を社会常識や自分と区別できない低年齢の者は見てはいけないとは思うし、非常識を選択する人物にフォーカスした作品への抵抗感のある常識的な人たちにとってもこの作品は嫌悪するものとなるかもしれない。しかしながら、ほむらの回答が道徳的に間違っているとはいったが、この作品のテーマ性はTV版から変わらず間違っていない。つまり、インキュベーターによる人類(魔法少女)からのエネルギー搾取に対するほむらの怒りと抵抗、叛逆は間違っていない。
この作品のターゲットは芸術が好きな人、創作物の中の人物の現実社会では発揮できない感情の発露、究極の選択を楽しめる人、そこに価値を感じ取れる人だろう。この作品は一般的なアニメの物語性からは逸脱しており、イヌカレー空間の表現やBGM、シンボルの多様において、アート性の方が際立っている。このような芸術作品を提供してくれた人々に喝采を送りたい。最後に、最近とある猫動画を見ていて感じた事を今作にも言える事だと思い思った事がある。可愛さとホラー、笑いという感情が同時に感じられる作品は強い影響力、視聴者が感じる満足感があるということだ。『萌え』るキャラが存在する日本のおたく文化は彼女らがいるだけで実写ドラマに対して優位な立場にある。そこに恐怖や笑い、人の温もり優しさ等の感情を人に喚起できる作品は今後も需要はあるだろう(岡田斗司夫が言っていたように、そういう作品には油っこさを感じ、時に受け付けないこともあるのだが)。