「人間のアイデンティティを問う傑作。」オブリビオン まじさんさんの映画レビュー(感想・評価)
人間のアイデンティティを問う傑作。
この映画は、SF映画の傑作だ。
消された記憶を巡る自分探しと言う、普遍的テーマを軸に、人間のアイデンティティを問う、若き監督の意欲作である。
消された過去の体験が夢に出て来て、それに執着すると言うプロットはフィリップ・K・ディック原作の『トータル・リコール』を思い出す。そして思い出したのが、『猿の惑星』と、なぜか、トム・クルーズ主演のスリラー『バニラ・スカイ』w 若き監督は、その他、多くの映画がから着想を得て、この作品を作り上げたのは間違いない。だが、それは、それほど重要な事ではない。
この映画において、多くの人が、大きな誤解を抱いているようだが、ジャックはクローンではない。クローンは容姿だけが同じものになるが、人格は違うものとなる。ジャックは、人格をも複製された完全なるコピーである。勿論、記憶も同じだ。複製した時点で記憶を持っている訳だから、異星人も彼の記憶を消さなければ、使役させられなかったのだろう。その条件に於いては、49号も52号も同じであり、どちらもジュリアに会った時に、同じフラッシュバックを体験する。
同一人物と言っても過言ではない。外見も人格も記憶も同じ人間は、本人なのではないか?それこそが、この映画が問うアイデンティティだ。
人格の違うクローンなどではない。完全なる複製なのだ。これは大きな違いだ。それだけにヴィクトリアの死は切ない。彼女は何も知らずに消されたのだ。
だが、ジャックは真相を知った。
そして、自らその運命に終止符を打つのだ。最後に生き残った地球人たちと出て来る52号は、希望をもたらすと同時に、彼を彼として認められるかを我々に問うているのだ。
さて、この映画に不満もある。名優モーガン・フリーマンだ。彼の演技は素晴らしい。出て来ただけで、役が背負うモノを見せる俳優である。彼が生き残った人類のリーダーである事は、予告編の段階から誰の目にも明らかである。それだけに、謎の人物としての怪しさがないのだ。出てきた時からいい人だ。もっと敵か味方かの判別が難しいキャスティングなら、なお良かったと思う。
だが、それよりも我が国日本に於いてのパッケージングがヒドイ。SF映画である事を隠し、女性客を呼ぶ為の意図的な情報操作を行っている。「地球にたった一人、残された男」の宣伝文句もウソだ。これでは作品を観て、騙されたと思う人が居ても仕方ない。そしてトドメは「クローン」である。我々はなぜ、クローンと誤解したのか。それは、日本語字幕である。複製と言っているのに、クローンと誤訳しているのだ。これは結末の解釈に関わる、最も悪質な誤訳と言えるだろう。他にも多くの誤訳がある。「今日もパラダイス」「世界で一番高い所で会おう」などもそうだ。勿論、この酷い字幕を付けたのが誰かは周知の通り。
我々は、誤訳の女王のその名を、早くオブリビオンさせて欲しいと願っている。
誤訳の女王って、T氏の事ですか??
気になって、この作品のWikipediaを見たら平田さんっていう男性と書いてあるんですけど、Wikipediaが間違ってますかね?
コピーとクローンじゃ確かに解釈変わりますよね!
おかげさまで、頭のもやもやが少し晴れました。
おっしゃるとおり、「クローン」として見ることと「コピー」としてみることは全く意味が変わってきます。
「クローン」と訳されてしまったことはこの映画の一番の悲劇かと思います。
他にも「コピー」は何組もいたはずで、彼らのその後についても映画中でなんらかの示唆をもたらして欲しかったと思います。