「【戻らない青春、その一瞬を全力で生きる】」ウォールフラワー 山のトンネルさんの映画レビュー(感想・評価)
【戻らない青春、その一瞬を全力で生きる】
原作は1999年に出版された『ウォールフラワー』。なんと原作を手がけたスティーブン・チョボスキーがそのまま監督・脚本を担当するという驚き。しかも原作は『ライ麦畑でつかまえて』に匹敵する空前の大ヒットを記録したとか。この映画は原作から脚本、そして演出を施す監督が同一人物であるということで、ストーリーラインに安定感がある。また、小説家独特の言葉選び、詩的な表現、文学を介したやり取りも味わい深い。話題だけでなく、映画で登場する人物たちの進学先を考慮すると、アメリカの中でも高偏差値の高校であることが窺える。本作では、そういった高校を舞台にしつつ、スクールカースト、DV、同性愛、友情、初恋、青春など多岐に渡るテーマを扱う。テーマの多さとは裏腹に、かなりまとまりの良い仕上がりとなっている。
ウォールフラワーとは?
wallflower:(名詞)壁の花(→ダンスパーティ等で誰にも相手されずに一人ぼっちで壁際にいる人)、仲間外れ(→活動などに参加させてもらえない人)
〜戻らない青春、その一瞬を全力で生きる〜
“And in this moment, I swear we are infinite.”
(「誓って言う。この瞬間こそ、僕らは無限だ。」)
自分の高校時代を振り返ったときに、たった3年の年月にも関わらず、過ごしていた瞬間だけは永遠に続くような気がしていた。果たして、その戻らない3年間を一生懸命過ごしていたかと問われると、退屈な日常としてしか捉えていなかった気がする。
自分も高校ではウォールフラワーのような存在だったが、主人公チャーリーとの違いは「社会参加」したかどうかなのだろう。この映画では、たびたび社会参加という言葉が用いられるのが興味深い。自分の場合は、人と関わることなく本ばかり読んでいたから、社会参加によって生まれる人とのイベントごとはほとんどなかった。結局、この物語はアメフトの試合中に、チャーリーがパトリックの横に座ったことが全てのきっかけなのだと思う。まさに、社会参加。
TRUTH or DAREゲーム。
若いな。
思春期特有の悩み、初恋、友情をテーマに高校生の青春を切り取ったシーンの数々。音楽と共に投影される映像はどれもエモいのだが、感動という文脈で見ると物足りない。
・人を傷つけることを知らない10代
・初めての恋と友情
・流されたまま付き合う関係
・自分の気持ちよりも相手が幸せでいてほしいという言い訳のような現状維持
・交際を隠す文化がある日本と交際に寛容なアメリカ
・クレイグが浮気し棚からぼたもち的にサムの心を掴んだチャーリー。サムが引っ越す前に2人でキスをしたときの一瞬の間は、おそらくコンドームを忘れたであろう仕草だと勘繰ってしまう。
見直すと冒頭のタイプライターの始まり方や使用されている楽曲がエモいことに気づく。
所々、タイプライター、レコード、MDの交換etc...80年〜90年代あたりの時代を感じることができる。しかし、この時代を生きていないからか、MDを交換することの感情的な起伏はほとんど分からなかったなぁ。感性の問題というより体験の問題?スミス、XTC、ニューオーダー、デキミラetcとか一曲も知らなかった。
想像してみる、どんな人に向いた作品なのか
・1970〜1980年あたりに青春を送っていた人々。40代とか、50代の人たちはノスタルジーを感じることができる気がする
・思春期特有の悩みを抱えた高校生
と思ったが、文化や時代背景が異なるので、高度に抽象化しない限り、映画のメッセージはなかなか入ってこないであろうとも思えてしまう。安易に10代に勧めるのはいかがかと思うものの、どんな反応をするかは知りたい。
個人的に好きなシーン
・国語の先生とのやりとり▷それを再現するチャーリーとサム
最後の方で何気ない一言を回収してくる展開は好み
“Why do nice people choose the wrong people to date?”
(「何で優しい人たちは間違った相手と付き合うのかな?」)
“We accept the love we think we deserve.”
(「自分に見合う相手だと思うからだろ。」)
チャーリーは続けて聞きます。
“Can we make them know that they deserve more?”
(「本人に自分の本当の価値を伝えることはできないのかな?」)
“We can try.”
(「試せばいいじゃないか。」)
しかし、サムの引っ越しの前日に、チャーリーとサムがサムの部屋で過ごすシーンでは後半についてのやり取りはありません。