「科学でもない、忍者隊でもない、似て非なるガッチャマン」ガッチャマン tochiroさんの映画レビュー(感想・評価)
科学でもない、忍者隊でもない、似て非なるガッチャマン
私はSFアニメとしての「科学忍者隊ガッチャマン」はあまり好きではなかったが、竜の子プロらしいメカデザインと鮮やかな作画力は好きだった。映画化の情報を知った時最初に思ったのは「最新のVFXでどのようにメカ戦を見せてくれるのか」ということだったが、今回の映画はその期待には全く応えてくれなかった。
「科学忍者隊」ではなくただの「ガッチャマン」として、原作を換骨奪胎して違うストーリーを展開するのもありだとは思うが、それならもう少しきちんと作品世界を構築してもらいたい。私が一番問題だと思うのは説明不足のためもあると思うが、設定やストーリー展開に整合性がないことだ。
そもそもギャラクターの目的は何なのか。冒頭のクレジットで「17日間で世界の半分が壊滅し」の後「人類は限られた場所での生存を許され」とあったり、難民バスの護衛シーンで「休戦協定ラインまでもうすぐだ」みたいな会話があったので、ある程度棲み分けはできているかとは思うが、ギャラクターの目的が全人類の殲滅なのか支配(奴隷化)なのかがはっきりしない。
難民の護衛に行った3人が、バスが攻撃された後肝心の難民の安否を一顧だにせず、仲良しごっこをしているのにも腹が立つし、イリヤが本来の目的である健を残して飛び入りのナオミだけをさらって行ったのはなぜかも不明。
車輪型兵器での攻撃にしても、侵入に全く気付かない能天気な防空体制なのだから、直接ミサイルを撃ち込めばそれで済む筈なのに、何でわざわざ「止められるものなら止めてみろ」みたいなやり方をするのか、全く納得できない。
石とは何なのか、適合者との関係は何によるのか(800万人に一人なのでDNAではないだろうが)。その力は石が出すのか適合者が出すのか。その力は物理的なものか超自然的なものか。石の合成はできないのか、適合者を人為的につくることはできないのか。
ギャラクターとの長い闘いの帰趨を決めるはずの事について何ら研究もされていないのは不自然だ。また「精神的・肉体的なダメージを受ければ石の力は失われる」といいながら、終盤たっぷりダメージを受けながら戦っているのもおかしい。自らの設定を無視するなら最初から余計なことは言わない方がいい。
クライマックスであるモスコーンの破壊にしても、結局ギャラクターの巨大要塞をぶつける訳だが、巨大要塞がまだベルク・カッツェのコントロール下にある(ジョーと戦ってはいるが)のに、何故かモスコーンに向かって飛び立って行くのは全く理解できない。
いくらVFXを駆使しようと、不自然なストーリー展開の中での戦闘シーンなど意味がない。なぜその戦闘が避けられないのかを、納得の行くように描いていくことが最低限必要なはずだ。
脚本が悪いのか、監督の力量不足かは知らないが、原作の世界観を無視し、かといって独自の世界を構築できた訳でもない、中途半端な作品としか言いようがない。