インポッシブルのレビュー・感想・評価
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津波に被災した一家の物語
自然の力を色濃く表現している映画。
その為に、観る人にとっては辛い映像も多々ある。実話を元にしているというので、なおさら印象深い。
クリスマスにリゾートに来た一家の、津波による離散。再度、家族が揃うまでの、親の苦悩と子供達の精神的成長。
主役一家以外の、周りの状況の描写が多く、津波の破壊力がよく伝わってくる。
とてもいい映画。
その前に輝いて、その光は今も宇宙を旅してる
映画「インポッシブル」(J・A・バヨナ監督)から。
「impossible」の意味は「不可能な・無理な」
「とてもありえない・信じがたい」など。
2004年のスマトラ島沖地震で発生した津波にのまれ、
離れ離れになりながらも、最後には再会した家族の実話、
その事実が「信じがたい」のだろうか。
東日本大震災のあとに公開されたからか、津波の再現映像は、
見るに堪えなかった。(「映画」とは割り切れないものがある)
私たちは、津波が人々に襲いかかるシーンを見ることもなく、
ヘリコプターなど上空から撮影された映像をテレビで見て、
「すごい、すごい」と驚きの声を挙げていたにすぎなかったな、と
妙に、自己嫌悪に陥ってしまった。
もし「気になる一言」を選ぶとしたら、
家族が災害によって死んだことを子どもに納得させるシーンで
夜空に浮かぶ星を眺めながら話した会話。
「この中にはね、ずっと前に燃え尽きてる星も・・知ってた?」
「死んだってこと?」「そうよ」
「でも、その前に輝いて、その光は今も宇宙を旅してる。
だから、見てるの」「死んだか、生きてるか、見分けられる?」
「それは無理ね。素敵な謎じゃない?」「うん・・」
こんな会話のできる人って、なかなかいないよなぁ、とメモをした。
既に燃え尽きているのに、まだ私たちの目には光が届いている。
それが、偉人たちの伝記かもしれないなぁ。
P.S.
それでも敢えて言うなら、津波で家族を失った人は観ない方がいい。
「impossible」には、耐えられない、我慢できない、どうしようもない、
手に負えない、などの意味もあるのだから。
不可能ではない、希望を持つ事は可能なのだ
2004年、スマトラ島沖で起きた大地震。そして周辺地域を襲った大津波。
もし、この映画が数年早く製作されていたら、日本で公開される事は無かっただろう。
何せ、津波のシーンは余りにもショッキング。
津波によって負った怪我やアザは生々しく、痛ましい。
リゾート地の惨状は地獄絵図。
人によっては、見て気が滅入り、辛いかもしれない。
僕は東日本大震災の被災地・福島の者だが、この映画を見て、むしろ良かったと思った。
何故なら、この映画は、某監督作品のような見世物ディザスター・ムービーではないからだ。
作品で描かれているのは、家族の絆。
津波で離れ離れになりながらも、再会を信じた家族の姿が胸を打つ。
人と人の助け合いも心に染み入る。
天災の前では、人間は何と無力。
しかし、その後の行動で人間の真価が決まる。
諦めない、くじけない、立ち上がる、前に向かって新たな一歩を踏み出す。
その逞しい、力強い意志こそ、人間の本当の真価だ。
ナオミ・ワッツが熱演。体力的にも精神的にも厳しい役柄だった事だろう。オスカーノミネートも納得。
今年の「ダイアナ」の方が期待されて、本作でのノミネートはギリギリラインだったそうだが、ノミネートされて良かった良かった。
ユアン・マクレガーも、自らも負傷しながらも家族を懸命に探す父親を好演。
特筆すべきは、長男ルーカスを演じたトム・ホランド。序盤、弟たちにも優しく出来なかった彼が混乱の中で成長、奔走する姿は本作もう一つのハイライト。
本作は実話。
実話ならではの重みで、少なからず希望を与えてくれる。
題材が題材なので、今の日本には非常にデリケート。しかし、作品の本質は今の日本にきっと響く。
見るべき価値のある映画。
ラストは切ないものもある。
被害者の命運の現実も忘れずに描く。
話は変わるが…
2011年3月、中国映画「唐山大地震 想い続けた32年」が公開予定だったが、今も公開のメドは立っていない。
本作も、見世物ディザスター映画ではなく、家族の絆を描いた作品らしい。
見た人の評判も良く、期待していた。
この作品の公開を、今も待ち続けている。
ルーカス少年の成長物語
2004年12月26日のスマトラ島沖地震による大津波で離散した家族を描く。
タイのリゾート地ではスマトラの地震を知らなかったのか、たくさんの人がビーチで遊ぶ。津波の警報もない。そこに突如として轟音とともに大津波が襲う。3.11を思い出して嫌だが、水の力がもつ恐ろしさを改めて感じる。
映画は、たまたまバカンスでこの地を訪れていた5人家族を描く。実話に沿っているそうだが、全員が無事だったのか予備知識を持たずに観た。そのため、けっこうハラハラする場面が多い。
母親を演じるナオミ・ワッツが痛々しさを出して巧いが、
全篇を通して中心的存在になるのは長男のルーカスだ。演じたのはトム・ホランド。初めて見る顔だが、極限の中、人に感謝される喜びを知り、人のために尽くすことの大切さを学んで成長していく少年を気張らずに表現している。物語が進むにつれて、逞しく、そして人の痛みを知る優しさを身に着けていく。さすがのユアン・マクレガーも主演男優の座を譲らざるを得ない。
そして、助かる家族、再会が叶わぬ家族、明暗を分けたラストが切ない。
だが、特定の保険会社がしゃしゃり出て厭らしい。せっかく家族の強い絆を描いたところに水を差す。
災害は突如として起こり、日常の何もかもを奪っていく。
人は幾度と災害を乗り越えるたび、強く賢くなってきたのだと思う。犠牲者のためにも、新たな町づくりや原発運用等を含めて、さらに強く賢くならなければいけない。
p.s.1 タイトル(「不可能」)と最初のチラシのデザインからは、どういう内容の映画なのかまったく掴めなかった。
p.s.2 タイではこの「大きな波」をきっかけに「津波」の呼称を用いるようになったそうだ。(現地の発音では「スナーミ」らしい)
感涙のインポッシブル
正直、感動的な人間ドラマだ。実話の奇跡というべきかもしれない。しかし、東日本大震災を経験したばかりの日本人にとっては、その絶望的で凄惨な光景は、まだ辛い。人によっては正視できないかもしれない。
日本の震災で、真っ先に「絆」が叫ばれた。日本的情緒の表れとして、いい言葉を選んだと思ったが、この作品の舞台、スマトラ沖の地震も同じだった。
ナオミ・ワッツ、ユアン・マクレガーの家族の絆以上に、言葉も違う様々の当事者たちが、絆で結ばれていく。重症のナオミ・ワッツが、傍につきそう息子に、ここにいるよりも、困っている人を見つけて、人助けをしなさいと諭す。人を助けることで自分が救われ、希望の源になる。この言葉が、この作品のすべてを物語っていた。
日本人も震災や津波でくじけそうになったり、いつか、その事を忘れそうになったら、精一杯生きようとする姿をこの作品で観て欲しい。心からそう願う。
離れてはいけない。
これを観ている間中、背筋が凍って仕方がなかった。
もちろん、大津波が押し寄せて流されたこともあるのだが、
一番怖かったのは、これが異国の地であることだった。
言葉が通じないこと、習慣や(ある意味で)モラルの違い、
バカンスを過ごすのにどんなに適したリゾート地だろうと、
災害に見舞われれば一気に悪夢の地と化すのである。
実話を元に描かれたこの物語は、
つまり最終的に家族が出逢える…ことが分かっていながらも、
災害後の、こんな途方もない映像が延々と続くのか…という、
何をどう捉えて、どう行動すればいいのか、が試される作り。
5人いた家族は辛くも命は助かるのだが、一家はバラバラ。
長男と母親。
次男三男と父親。
大怪我を負った母親は、長男と共に木の上に逃げ延びたのち、
現地人に救助される。だが…
収容先の病院はもちろん遺体と重症患者で溢れかえっている。
出血が止まらない母親がどんどん弱っていく中、
母親の助言で周囲の助けに奔走していた長男が、戻ると
母親がいない!消えてしまった母親を狂ったように探しまわる。
なんなの!これ~。
せっかく助かってもまったく安心できないじゃない。
確かに災害時に物事が真っ当に動くはずがない。のは分かるが、
それにしても、なんでこんなことが起こってしまうのか!?
所変われば~なんていっていられない状況が続く。
中盤以降は並行して父親が二人の息子を高台へと預け、妻と
息子を探し求める姿が延々と映し出される。
まさに気が狂いそうな父親の心情をユアンが熱演!するが、
こちらも預けたはずの子供たちが、なぜかトラックに乗せられ…
という奇妙な光景に出くわす。
これが何だったのか?最後まで説明はなかったが、もしも
あのまま子供たちがどこぞやへ連れて行かれたら、またしても
家族がバラバラになってしまう。本当に怖い話だ。
ケータイも使えないこんな状況で、もしも生きていたならば、
絶対に家族と離れてはいけないと痛感した。ことに海外では。
母親N・ワッツが大熱演。
さすがアカデミー賞にノミネートされるくらいの演技だった。
いや、演技とは思えないリアルさに満ちていた。
彼女が美しい妻の姿でいられるのは、冒頭のほんの10分足らず。
被災してからほぼ半裸でボロボロの姿となり、重傷患者と化す。
それでも息子を率いて、自力で木に這い上がる姿や、
自分は大丈夫だから、周囲の人の助けになりなさい。と気丈な
振る舞いを続ける。ものすごいお母さんである。
だけど、このまま夫と逢えなかったら…とそう思っただけで怖い。
日に日に弱っていく姿が酷く、何回も目を背けてしまったほどだ。
不可能を可能にしたのは、彼女のそんな壮絶な姿でもある。
どんなに万全の備えをしても、自然災害は想定外に起こる。
もしも海外の離島であったら、これほど恐ろしいことはない。
津波の恐ろしさは、日本人なら思い出してしまいそうだが、
かなりリアルだった。2004年のこの被害も忘れてはいけなかった。
どれだけの人が亡くなったのかは分からない。
本作では主人公一家にスポットを当て、他者のその後はほとんど
描かれていない。描かれているのは助かった人間がメインである。
ドキュメンタリーとはいえ、個人の回想劇だからこれは仕方ない。
彼らのように出逢うことができた家族が多かったことを祈るばかり。
手を合わせるようにドキドキしながら見守る作品である。
旅先では万が一のことを考えなければならないという問題提起と、
サバイバル能力、絶対に諦めない生きる勇気を再確認させられる。
(J・チャップリンの老婆も忘れ難い。不思議な活力を長男に与える)
ナオミ・ワッツ の演技がすごい!
スマトラ島沖地震を描いた実話です。アカデミー賞この作品で主演女優賞にアカデミー賞にノミネートされていましたが、この作品でのナオミ・ワッツはスゴイです。私的には、オスカーは彼女です! (ジョニファー・ローレンスはまだ早いよね!?)
ワッツ以外にユアン・マクレガーが出ていたりして一見ハリウッド映画に感じるかも知れませんが、これはスペイン映画です。監督もJ・A・ヨバナと言って、5年前に『永遠のこどもたち』というミステリーホラーを撮ったスペインの人です。この作品、かなり怖かった。途中で観るのやめたくなったの初めて!傑作です。
・・・なので、ハリウッド映画とはテイストが違います。いい意味で。
映画が始まって直ぐに津波のシーンになるのですが、ここは流されてく主人公の主観映像を多様し、かなりの迫力です。水の力の怖さが伝わってきます。
ケガの描写もかなりリアルです。
災害映画ではありますが、これは家族の映画でした。泣けますねえ、これは。
相手がいるから生きようとする。生きようとする力って大事だと痛感しました。
2度観るのはつらいけど、1度は観ておきたい映画
‘助け合い’って全世界共通なんだな〜
スマトラ島沖地震で発生した大津波で被害を受けた家族の物語。
日本人は当然津波の悲惨さを十分知っているわけで…けど、この作品、実際の家族の実話だそうです。
5人家族がこれだけの被災に合われていながら、全員助かったことも奇跡、津波でバラバラにさればがら巡り合えたのも奇跡、けど、被災されたあとは人が皆お互い助け合いながら、支え合いながら、勇気ずけ合いながら生き延びれたことを描いてくれています。
‘助け合う’とにかくこのことがいかに大切か、必要かということを一番に描いてくれていることにすごく好感を受けました。
実話だから、変に美化された感もないし…。
いい映画でした。
ナオミ・ワッツ、オバハンの体当たり見もの
5月某日、都内の試写室で鑑賞。
東日本大震災から2年ちょっとの日本および、日本人にはこの作品はどう受け止めていいのか、とちょっと思ってしまう。
津波の恐ろしさ、そしてそれによって死んだり、けがを負ったり、散り散りになったり…という困難に直面する人たちがよく描けている。
先の大震災で被害を受けた人には見るのはたいへん苦しく、つらい作品だろう。
日本で、この作品を宣伝する人たちも大変だろうな、と思う。
しかし、作品の映像的迫力と、困難と不運にもかかわらず、人間が愛でつながっている-ここでは散り散りになった家族が再会する-という姿を丁寧に、よく描いていると思う。
ややオマケして★4つ。
あらためて恐ろしさを感じました
スマトラ島沖地震による津波災害に遭遇した1つの家族の奇跡の生還劇。実話に基づいた物語。
CG(だと思う)による押し寄せる津波や、特殊メイクによる傷等、観ていて身体に力が入ってしまうシーンが多くて、鑑賞後に肩がこってたよ(笑)
東日本大震災での津波と重ね合わせながら観ていたのだけど、あまりに壮絶な現場にいたたまれなくなってしまった。
それでも、多分、被害者感情を意識して描写は若干控えめしていたと思う。きっと実際の現場はもっと目を覆いたくなるような惨状だったと思う。
あまりにも理不尽で残酷な自然の暴力。それでも、そんな中にも奇跡はあったんだなぁ....。
とにかく「家族」「親子」にフィーチャーして描かれていたよ。
離れ離れになっていた家族が生きて再び抱き合うことができた。それは感動だね。観ていてジーンとしたよ。子を持つ親としても、ひたすら家族を探す父親役のユアン・マクレガーに感情移入してしまったし...。
それにしても、長男ルーカス役を演じたトム君の演技が良かったね。今作の主演は彼だよ。うん。
命の危機を乗り越え、母親を守る過程で「男の子」から「男」に成長していく様子が心強かったよ。観ていて勇気づけられたな。
そしてラスト。極限から脱出した時に、それぞれがふと感じる自分の無力感。
「結局自分達のことだけで一杯一杯だったな...」と。
そして感じるのは「自分達だけ...」という、ある種の後ろめたさか?
仕方が無いんだけどね。誰にも責められないよ。
それ程の極限状態だったのだからさ。
観ていてツラくなることもあったけど、佳作だったと思う。
観る事を薦めて良いか判断出来ないが、覚悟を決めて観るのも一つの選択です。
津波再現映像技術評価としては5点。 でも映画のドラマとしての採点は2点でも充分だ。
映像技術の進歩により、作り物で有る映画のワンシーンが本物のニュース映像を観ている様な錯覚を憶える程に、リアルな臨場感を持ち、観客の心を動揺させるイメージ化の技術力を映画界は持つようになってしまった。
しかし、その技術が先行した分、そこに本来描かれるべき、人間のドラマ性が希薄になり、充分に表現されずに、映画が語るべき、マインドが完全に追い付いていない。
更に付け加えるなら、映画の終盤再度、津波の映像を出す必要性が有るのか疑問が残った。もしも、あの映像を指し込む必要が有るなら、明確に誰にでも、その意味が理解出来るように、意図を示して欲しかった。正直、不快感だけが残ったのだ。
あのシーンはルーカスの夢なのか、彼のトラウマなのか、フラッシュバックとして見せているだけなのか、或いは、死の世界を、さまよう母親が、家族のいる現世に完全に戻って来て、回復すると言う意味を示しているのか、曖昧であった。
確かに、映像を観ていると涙も出るし、家族の有り難さ、大切さは伝わって来る。しかしそんな当たり前の事を、映画が巨費を投じて、敢えて伝える意味があるのだろうか?
この主人公一家5人家族が、津波に飲み込まれ、生き別れになった後に、家族が無事に再会して、良かった。めでたしめでたしと言うのでは、津波の映画を制作する動機としては不十分だと思う。
この作品と比較して、脳裏に一番残る作品では、図らずも公開上映中に震災が起こり、上映が中止された「ヒアアフター」がある。あの作品は、津波被災者の、津波体験そのものを描く作品では無く、その津波体験をした人間の心の内面がどの様に、変化してゆくものなのか?同じ様に津波体験をした筈の彼氏には何故大きな心の変化が見られないのか?その他テロで亡くなった幼い兄弟の生死を分けた理由とは何か?「ヒアアフター」では、人の生死を分ける意味は決して人間には理解出来ないけれども、人はこうした災害を経て生き残っている自己の生命の意味を皆、それぞれが苦しみと共に探り出すものだと伝える。
先進諸国に暮す我々人間は、通常、経済的自立をしている為に、自力で生きていると錯覚をしているが、その自己の生命とは、自然の営みと言うもっと大きな力によって、生かされてこの世に、束の間だけ存在している儚い命である事を嫌でも、人は災害を経験する事で、知らされてしまう。
だからこそ、家族の平凡なささやかな日常も、何よりも尊いのだと言う事が逆説的に言えるのだが、映像表現作品として、生命の危機に陥った人々が直も、他人を思いやる心を持ち続けていられて、他者を助ける力を持つ人間は美徳であると言う事のみを描くのでは、全く逆である。
本来、人間とは、他者を思いやり、協力的に生きる存在なのだ。しかし、先進諸国に暮し
物質的な物ばかりに振り回されて、目に見える事物にばかり、価値を見出してしまった生活を長くしていると、人間にとっての本当に必要で、大切な価値を持つものが何であるのかが見えなくなる。幸運にも津波の被害から生還を果たしたその、大切な自己の命でさえ、時に、その助かった本人は、自分の命が助かり、愛する人を亡くした事で罪悪感を抱え、生きる苦しみを背負っている人も多数いると言う、心の哀しみなど全く描かれない。その様な被災者の心の内の苦悩の微塵も描かれないこの映画は、プラスチックで出来た人形の芝居を観ているようだと表現したら、かなり厳し過ぎるだろうか?
しかし、敢えて、この大災害であったスマトラ沖の津波の被災者の人々の、その立場を再現する実話の映画を撮ると言うのであるならば、制作側にも、それなりの覚悟を持って、人間の根底に有るべき姿を描き出して欲しかった。医者も、その他現地の人々も、その殆んどが割愛されていた。2時間の長尺でも、この薄っぺらな、上辺だけの作品の内容なのだ。
巨額の制作費をかけた映画でも、映画の最後に保険屋が、この主人公5人家族をシンガポールで治療の保証をしますと言うセリフを入れるなど、いくら大口のスポンサーであったとしても、映画全体のそれまでの価値をも貶めるものだ。
まず、こう言った問題をクリアする事から、映画を練っていかなくては良い作品は決して生れないと思う。
気分転換の軽い作品ではない、真面目なヒューマンドラマである以上、評価はより厳しくしなければならないと思う。残念でならない。
試写会では、映画会社の宣伝部の方々が、とても真摯な態度で、この作品の公開に際し、
心配りをされていらっしゃいました。そのお気持ちや、ご配慮には深く感謝しています。
映画は所詮映画であり、一人一人が違った感性で映画を味わうものですから、私は個人的には本作は好きにはなれずに、残念でした。
しかし、多くの方がこの映画を観て、被災されている人々の心に寄り添う事が出来たとするならば、この作品を公開する価値は多いに有る事でしょう。
願わくば、この5人の家族の様に、私達も、被災された方々と共に、出来るだけ末永く、心を通わせる、人生を歩めるように生きたいと思う。
見てよかった。
僕は東北に10回、ボランティアに行きました。
それでも、被災者の人の身に立つことなんかはできません。
そして、この映画を複雑な感情をもって試写を見に行きました。
見終わったとき、 僕は観てよかったと思いました。
確かに津波シーンはすごくて、目を背けたいほどでした。
ひとによっては、お涙頂戴だろうという見方もできるでしょう。
でも、僕には、この映画に誠実さを感じることができたのです。
どんなに実話といったって、監督や役者、スタッフの想像の部分はあります。事実というものも思い出してつくるというところが多い。
例えば、ナオミ・ワッツが自身が重症なのに、その場でみつけた子供を助けるシーンがある。置き去りにしてもしかたないとき、あの子が兄弟だったら、どうすると問いかえす場面があった。
夫のユアン・マグレガーが、実家に電話をかけたとき「どうすればいいのか、わからない」と泣き叫ぶ。そのとき、このまま終わってはいけないと携帯を再度、貸してくれた被災者がいた。そして「もちろん、探し出してみせるから大丈夫」とかけ直す場面があった。
両方とも、とてもリアルなシーンだった。人はどんなときも、自分のことだけでなく、人を助けたいと思っている。そんな風に思うことができたのです。
俳優たちも心底、そう思ってやった演技だと思えたのです。
最後に監督のコメントがテロップで流れていました。 「どういう映画になるか、わからなったが、作者の考えに即したつもりだ」 (正確ではないが)。映画というものは、エンターティメントではあるとともに、真実に迫ろうとする力もあるんだ ということを認識したいと思いました。
僕はこの映画を支持します。
感動、感喜の涙が溢れて来る!
不甲斐なく涙が溢れて止まりませんでした。
災害の映像や、津波のシーンばかりが話題となって
観る人によってはつらい記憶を呼び起こすかも
しれません。配給会社はかなりデリケートに
事を運んだそうです。
実はこの作品の主人公の方は映画化にあたり、
ストーリーやセリフ、その体験を変えないという
条件で、承諾したそうです。
そのリアリティという最高の脚本がベースで
あるが故に観る側をぐいぐいと映像の中に引き込みます。
この作品の見所は映像やテーマではありません。
5人の家族を演じた素晴らしい俳優、女優が
この作品を映画ではなく、そこにある現実を
私達に感じさせてくれます。
スペイン作品なのにナオミ・ワッツがアカデミーに
ノミネートされたのも頷けます。
感動的な涙を流したい方、
前向きな活力が、欲しい方、
お薦めです。
それにしても、個人的に、子供絡みの作品には
弱い私ですが、この作品はずるすぎます。
そりゃあ泣きますわ、!
もう一つ、この作品は観た後で人に優しくなります。
何故かは観てのお楽しみです。
TSUNSMI = 壮絶
迫力ある津波シーンで実体験したかのような恐怖を感じた。
生々しいシーンが、親、子供がそれぞれ感じる泣けてくるような恐ろしさをまざまざと感じさせ、2時間があっという間に過ぎました。
この映画を観ることは、バケーションに出かけるのと同じ位価値があるかも。でも、これほど現実的な映画は日本人にはなじまないのかも、とも思いました。
自分に小中学生の子供がいれば、きっと見せたいと思うでしょう・・・
思ったより
ストーリーの掘り下げ方が少なく、あれっ、もう終わっちゃうの?って感じでした。
津波のシーンはすごく迫力があっただけに、残念です。
ナオミ・ワッツ家族だけにスポットが当たっているので
とっても、わかりやすいストーリーにはなっていますが、
あれだけの被害の中で、もう少しいろいろな人々の話を何本立てかで
軽くストーリーを絡ませれば、もっと深みがでていいのに。。。
病院で人探しをし始めた長男は、1人見つけたあとは、すっかり人探しは忘れているし。
偶然助けた子供とは、お父さんらしき人に抱かれているシーンで終り。
実際には、なかなか会えなかったであろう家族との再会も、
時間の経過が全くわからないので探し始めて、
すぐに会えてしまったかのような印象すら残ります。
実話として、とってもいい話だと思いますが
2時間弱の映画にしては、内容が少し薄すぎ。。。
忘れない為に観にいく
スペイン アメリカ合作映画
原題:「IMPOSSIBLE」
邦題:「インポッシブル」
監督: J A バヨナ
キャスト
マリア:ナオミ ワッツ
ヘンリー:ユアン マクレガー
ルカス:トム ホーランド
2004年12月26日に起きたスマトラ島沖地震と それに続いて起きた津波の被害にあった、スペイン人家族のお話。あの23万人の死亡者、行方不明者を出した津波だ。
これは実話です、という断り書きで映画が始まり、最後に実際に被害にあった家族写真が出てくる。主演したナオミ ワッツが、今年のアカデミー賞、主演女優賞にノミネートされている。監督は、サイコホラー映画「永遠のこどもたち」を製作したJ A バヨナ。
ストーリーは
クリスマスイヴ。2004年のクリスマスホリデーを 家族そろって過ごそうと、3人の子供達を連れたスペイン人一家が、タイのリゾートにやってくる。日本に派遣されて働いている父親ヘンリーと、医師の妻、マリアと、5歳、7歳、と15歳の3人の男の子たちだ。 寒い冬から一足飛びで真夏のリゾートに来て、クリスマスには、子供達はクリスマスプレゼントを受け取る。幸せ一杯だ。翌朝 家族は、早くから南国の強い光をあびて、ホテルのプールで遊んでいた。その時、未曾有の規模のスマトラ島沖地震が起き、近辺の海岸だけでなくアメリカやアフリカにまで波及して犠牲者が出るほど大規模の津波が押し寄せる。不気味な轟音と共に、ホテルの塀を越えて、巨大な波が押し寄せてきたとき、家族全員が あっという間に大波に流される。
波が来た時に、初めに遠くに流されていった長男のルカスを マリアは追う。名前を呼びながら、漂流物にぶつかり、傷だらけになって、マリアはルカスと一緒になると、長い漂流の末、やっとのことでマングローブの茂る浜に泳ぎ着く。マリアは肺に達する大きな傷を胸に受け、ガラスで切った片足も出血が止まらない。そんな母親を励まし、自分も傷だらけになりながらルカスは、救出されるまで 母親を気丈に支える。
ヘンリーは、波が押し寄せてきた時、幼い二人の息子を抱きかかえていた。肋骨骨折や無数の傷を受けながらも運良くホテルに近い椰子の木にひっかかり無事息子の命を守ることができた。二人の息子達を避難所に向かうトラックに載せると、ヘンリーは、7才のトマスに、5歳の弟の面倒を見るように言って聞かせ二人の見送ると、自分は長男とマリアを探し始める。おびただしい数の死体。混乱を極める仮設病院。
マリアはルカスの機転で、病院に運ばれ、胸の手術を受けるが、傷は深く衰弱が激しい。やがて沢山の人の助けや偶然が重なり、家族5人が再び会うことが出来、マリアは気力を取り戻し、、、。というお話。
2011年3月11日に、東日本大震災と、それに伴う大津波と原発事故を体験している日本人には、この2004年の大津波の映像を見るのは過酷過ぎる。と思っていたが、この映画、日本でも、じきに公開されるという。主演女優ナオミ ワッツがアカデミー賞にノミネートされたからかもしれない。確かに子供の為なら何が何でもやってのけることができる母親の姿を熱演していて、あつい涙を誘う。とても良い役者だ。
ナオミ ワッツ、44歳イギリス生まれのオージー女優。高校では二コル キッドマンと同級生だったそうだが、ニコルのように恵まれた家庭で育った女王様ではなくて、働く為に卒業もしていない苦労人。テレビ俳優だったがデビッド リンチに認められて、2001年「マルホランド ドライブ」を主演して実力を見せた。
その後、2004年に日本のホラー鈴木光司原作、中田秀夫監督による「リング」のアメリカ版リメイク「リング1」と「リング2」を主演した。日本のホラー、怪談の怖さを世界中の人々に紹介して震え上がらせてくれた功績者でもある。2005年の「キングコング」では、網タイツで踊って手品をみせてキングコングを面白がらせて辛うじて殺されずに済んだ女を演じ、2010年「フェアゲーム」では CIA職員でありながら「イラクに 核兵器どころか大量殺人兵器も無い」と本当のことを言ってしまって、CIAから命を狙われた役をショーン ペンとともに演じ、また、2011年には「「J エドガー」では、一生独身で、エドガーが死ぬまで支えて生きる地味で寡黙な秘書の役を演じた。美人なのに、総じて金髪美人の可愛い子ちゃんが良い男に会ってハッピーエンド、、というような作品に全然出ていない。「マルホランド ドライブ」でデビューということからしてメインストリームではない。頭が良すぎるのかもしれない。
映画でナオミ ワッツの夫役をやったユアン マクレガーは、41歳、スコットランド人の舞台俳優だ。この人も過酷な状況で傷だらけになりながら苦労する役が多い。2012年の「イエメンでサーモンフィッシング」は、彼にしては珍しい恋愛ものだ。彼の2011年「ゴースト ライター」が良かった。ここでも彼はCIAに最後にあっけなく殺されてしまう。
今回の映画でナオミ ワッツ以上に大活躍して「悲嘆」「絶望」そして再会後には「歓喜」をたっぷり見せてくれて泣かせてくれたのは 長男ルカス役のトム ホーランドだ。16歳のバレエダンサーということだが、華奢でずっと若く14歳くらいに見える。ジブリ作品「アリエッテイ」の主役、心臓病のショウの役を 英語版で声役を務めた。舞台「エリオット」で注目されてエリザベス女王の前でも演じたそうだ。バレエを踊る舞台俳優。将来を期待されている。
津波で人々が流されるシーンは クリント イーストウッド監督の映画、「ヒア アフター」に出てくる津波のシーンに、とてもとても似ている。透明な水の中で人々が溺れ、激しい勢いで突進してくる車や柱にぶつかり傷だらけになる。衝撃音がすごい。
でも本当の津波は、透明な波ではなくて、海底地震によって覆された海底の真っ黒い土砂の波が 暴力的にぶつかってくるのだ。この波に沈められると、海の中は何も見えないし、衝撃で多量に飲んでしまう土砂はヘドロや石油を含んでいるため急性中毒を起こして、救出されたあとで 人々は亡くなることが多い。泥が咽喉に詰まって呼吸ができなくなったり、急性肺炎も併発する。これほどの大規模の大災害にあって 混乱のなかで家族5人が再会できたことは、この映画のタイトルが言うように ほとんどインポッシブル(ありえない、不可能)なことだったろう。奇跡に近い再会だった。映画はハッピーエンドだが、現実は 23万人の死であり、とてつもない「悲惨」と「無残」な別離だった。
ヒトは、2004年にスマトラ島沖地震と津波を体験し、2011年3月に東日本大震災と大津波を経験した。ヒトは二本足で立ち、道具を自在に使えるようになると、ほかの動物も植物もすべて人が生存する為に利用し、自然を破壊してきた。自然から逆襲されても仕方の無いほどに、罪を犯してきた。いずれヒトは滅亡し、地球は無くなる。無限の宇宙の歴史から見たら、地球上で繰り返される自然災害など ちっぽけな出来事でしかないのかもしれない。
それでも私達は、こうした映画を通して 災害に出くわしたひとつの家族の喜怒哀楽に、少しでも共感したくて、映画を見る。
絶対、忘れない為に。
どうしても比べて見てしまう
確かに実話なんでしょうが、
日本人にとっては物凄くモヤモヤが残る映画かも。
津波のシーンも、病院のシーンも、
どのシーンを取っても、それはそれはトラウマティックなんだけど。
(特に病院でのシーンは「火垂るの墓」を想起させられ辛かった)
でも、それでも、敢えて言いたくなってしまうのは、
実話の(再現フィルムっぽい)映画ではなく、
日本人は実体験、もしくは実写をリアルに見ちゃってるから。
くどいようだけど、確かに実話であっても、タイトルが示すように、
他の被災したほとんどの人たちにとってはフィクションなんですよ。
ほとんどの人たちは、家族と再会すること叶わず、
子供を失い、家を失い、故郷を失ってしまった。
これはこれで別モノとして見れば良く出来た映画なんですが、
でも見終わって、、、余韻が残ってないんだよなぁ。
なぜか?
ラストシーン、旅行者は自分の家に帰って行きましたとさ。
めでたしめでたし。
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