「観る事を薦めて良いか判断出来ないが、覚悟を決めて観るのも一つの選択です。」インポッシブル Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
観る事を薦めて良いか判断出来ないが、覚悟を決めて観るのも一つの選択です。
津波再現映像技術評価としては5点。 でも映画のドラマとしての採点は2点でも充分だ。
映像技術の進歩により、作り物で有る映画のワンシーンが本物のニュース映像を観ている様な錯覚を憶える程に、リアルな臨場感を持ち、観客の心を動揺させるイメージ化の技術力を映画界は持つようになってしまった。
しかし、その技術が先行した分、そこに本来描かれるべき、人間のドラマ性が希薄になり、充分に表現されずに、映画が語るべき、マインドが完全に追い付いていない。
更に付け加えるなら、映画の終盤再度、津波の映像を出す必要性が有るのか疑問が残った。もしも、あの映像を指し込む必要が有るなら、明確に誰にでも、その意味が理解出来るように、意図を示して欲しかった。正直、不快感だけが残ったのだ。
あのシーンはルーカスの夢なのか、彼のトラウマなのか、フラッシュバックとして見せているだけなのか、或いは、死の世界を、さまよう母親が、家族のいる現世に完全に戻って来て、回復すると言う意味を示しているのか、曖昧であった。
確かに、映像を観ていると涙も出るし、家族の有り難さ、大切さは伝わって来る。しかしそんな当たり前の事を、映画が巨費を投じて、敢えて伝える意味があるのだろうか?
この主人公一家5人家族が、津波に飲み込まれ、生き別れになった後に、家族が無事に再会して、良かった。めでたしめでたしと言うのでは、津波の映画を制作する動機としては不十分だと思う。
この作品と比較して、脳裏に一番残る作品では、図らずも公開上映中に震災が起こり、上映が中止された「ヒアアフター」がある。あの作品は、津波被災者の、津波体験そのものを描く作品では無く、その津波体験をした人間の心の内面がどの様に、変化してゆくものなのか?同じ様に津波体験をした筈の彼氏には何故大きな心の変化が見られないのか?その他テロで亡くなった幼い兄弟の生死を分けた理由とは何か?「ヒアアフター」では、人の生死を分ける意味は決して人間には理解出来ないけれども、人はこうした災害を経て生き残っている自己の生命の意味を皆、それぞれが苦しみと共に探り出すものだと伝える。
先進諸国に暮す我々人間は、通常、経済的自立をしている為に、自力で生きていると錯覚をしているが、その自己の生命とは、自然の営みと言うもっと大きな力によって、生かされてこの世に、束の間だけ存在している儚い命である事を嫌でも、人は災害を経験する事で、知らされてしまう。
だからこそ、家族の平凡なささやかな日常も、何よりも尊いのだと言う事が逆説的に言えるのだが、映像表現作品として、生命の危機に陥った人々が直も、他人を思いやる心を持ち続けていられて、他者を助ける力を持つ人間は美徳であると言う事のみを描くのでは、全く逆である。
本来、人間とは、他者を思いやり、協力的に生きる存在なのだ。しかし、先進諸国に暮し
物質的な物ばかりに振り回されて、目に見える事物にばかり、価値を見出してしまった生活を長くしていると、人間にとっての本当に必要で、大切な価値を持つものが何であるのかが見えなくなる。幸運にも津波の被害から生還を果たしたその、大切な自己の命でさえ、時に、その助かった本人は、自分の命が助かり、愛する人を亡くした事で罪悪感を抱え、生きる苦しみを背負っている人も多数いると言う、心の哀しみなど全く描かれない。その様な被災者の心の内の苦悩の微塵も描かれないこの映画は、プラスチックで出来た人形の芝居を観ているようだと表現したら、かなり厳し過ぎるだろうか?
しかし、敢えて、この大災害であったスマトラ沖の津波の被災者の人々の、その立場を再現する実話の映画を撮ると言うのであるならば、制作側にも、それなりの覚悟を持って、人間の根底に有るべき姿を描き出して欲しかった。医者も、その他現地の人々も、その殆んどが割愛されていた。2時間の長尺でも、この薄っぺらな、上辺だけの作品の内容なのだ。
巨額の制作費をかけた映画でも、映画の最後に保険屋が、この主人公5人家族をシンガポールで治療の保証をしますと言うセリフを入れるなど、いくら大口のスポンサーであったとしても、映画全体のそれまでの価値をも貶めるものだ。
まず、こう言った問題をクリアする事から、映画を練っていかなくては良い作品は決して生れないと思う。
気分転換の軽い作品ではない、真面目なヒューマンドラマである以上、評価はより厳しくしなければならないと思う。残念でならない。
試写会では、映画会社の宣伝部の方々が、とても真摯な態度で、この作品の公開に際し、
心配りをされていらっしゃいました。そのお気持ちや、ご配慮には深く感謝しています。
映画は所詮映画であり、一人一人が違った感性で映画を味わうものですから、私は個人的には本作は好きにはなれずに、残念でした。
しかし、多くの方がこの映画を観て、被災されている人々の心に寄り添う事が出来たとするならば、この作品を公開する価値は多いに有る事でしょう。
願わくば、この5人の家族の様に、私達も、被災された方々と共に、出来るだけ末永く、心を通わせる、人生を歩めるように生きたいと思う。