聖者たちの食卓のレビュー・感想・評価
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宗教、階級、職業に関係なく、皆が公平。確かにそう感じた。そして、大...
宗教、階級、職業に関係なく、皆が公平。確かにそう感じた。そして、大事な事は、性別と年齢も公平である事だと思う。また、仕事は全て無償なのだから、当たり前だが、仕事をする組織にヒエラルキーが無い。全て自主的な流れ作業で、指図する者がいない。例えば、料理長とか現場監督の様な者がいない。
さて、この様な現場にキャピタルマネーを投じる事は出来るだろうか?
映画を見ると理解できるが、ほとんどの者が一生懸命仕事をしているが、中には手を抜く者もいたりして、決して効率の良い仕事はしていないと思う。つまり、改良の余地があって、キャピタルマネーは投じる事は出来ない。がしかし、今でも続いていて、倒産していない。つまり、資本主義を超えた産業のあり方の様に感じた。(良いか悪いかは別問題)
さて、食事にやってくる者は、階級も職業も宗教も関係ないと言うが、みんな非常に行儀が良い。自主的に横一例に並んで、美味しそうに食べる。食べる量も決して無理をしていない。食べ残しはないと見た。食べたら、次の者達に譲っていると見た。我が国だと、順番がどうだの、隣にへんなジジイが座っただの、盛り付けが少ないだの、とクレー厶が多発する。この場はそれがないから、一日10万食もさばけているのだと思う。
映画で使われている音楽は、シュタールが入ると、ジョージ・ハリスンの曲みたいだが、ロマ音楽の原型なのだろうなと思った。シーク教徒の話だが、コーランを読む声(シーク教でも教典を読むのかなぁ?)が響いていた。それも、ロマの音楽の様に聞こえた。
皆で一緒に。
インドにあるシク教総本山・黄金寺院(ハリマンディル・サーヒブ)
で、毎日10万食が無料提供されていることを描くドキュメンタリー。
音楽もナレーションも字幕説明(最後にちょろっと)もなしという
徹底した装飾排除は、登場するシク教徒達の無駄のない調理体制と
重なる。まさに聖者ともいえる働きに感心するのだが、これがどう
評されるかは意見が分かれそうなところ。個人的には食い足りない。
野菜カットから調理、提供、片付け、清掃に至るまで約300人体制で
スピーディに淡々とこなしていく彼らが、ごく普通にそれに携わる
ことになったその背景をもっと知りたいと思ってしまうからである。
カメラもインタビューにもほぼ動じることなく淡々と仕事を進める
彼らには、宗教も人種も階級も関係なく、老若男女が平等に手にした
食事を共に口にするという意図がある。とある世界では宗教を巡って
他信者を惨殺するような教徒がいる一方で、そんなことには関係なく
皆さんどうぞ。と生きるための食物を提供する教徒たちもいるのだ。
何だろうか、この差は。それがどうかしましたか?と云わんばかりの
何撮ってんのかしらねぇ~この人たち。という自然な姿勢が好ましい。
(玉ねぎ係は大変だ~^^;野菜切り係もたまには交代してるんだろうか)
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