「個人レベルの受容がもたらす希望」もうひとりの息子 arakazuさんの映画レビュー(感想・評価)
個人レベルの受容がもたらす希望
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“赤ん坊の取り違え”がテーマ、ドラマの発端になっているTVドラマも映画も小説も漫画もいままでにたくさんあっただろうが、ここでは、その“取り違え”がイスラエルに住むユダヤ人家族と自治区に住むパレスチナ人家族の間で起きたことで、ただ単に家族同志の問題ではなく、国と国の対立関係(それも軍事的に一触即発状態)も絡んで来る。
しかし、それは二つの家族が“取り違え”が起きるくらいに近いところに暮らしているということでもある。
イスラエルとパレスチナの戦争は正に“隣人たちの戦争”なのである。
“取り違え”の事実は、ユダヤ人家族の息子として育てられた が兵役につく際の健康診断で発覚する。
この息子たちの18歳という年齢が非常に重要だと思う。
18歳といえば、自我が確立しつつある年齢。特に二人はユダヤ人、パレスチナ人としての自分を意識する年頃でもある。
今まで家族だと思ってきた両親や兄弟姉妹が赤の他人だというだけでも混乱するには充分だが、彼等は民族的なアイデンティティも崩壊するのだ。
結局、同じ境遇に陥った当人の息子たちがまず親しくなり(気持ちがわかるのはお互いだけ)、二人の息子が二つの家族の距離も縮めることになる。
国と国は対立していても、個人と個人が分かり合えないことはない。
個人、家族、小さな単位の理解が国と国の対立を解消する礎になるのではという希望を、二つの家族が教えてくれる。
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