劇場公開日 2013年10月19日

「『もうひとりの息子』――血と環境のあいだに芽吹く新しいアイデンティティ」もうひとりの息子 KAPARAPAさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 『もうひとりの息子』――血と環境のあいだに芽吹く新しいアイデンティティ

2025年11月25日
PCから投稿

フランス人監督ロレーヌ・レヴィによる映画『もうひとりの息子(Le fils de l’autre)』は、イスラエル=パレスチナという現実の境界を舞台に、血縁と環境、そして「生まれた場所」によって規定されるアイデンティティの揺らぎを描いた作品である。物語の中心には、出生時の取り違えによって異なる民族の家庭で育てられた二人の青年がいる。その設定は偶然でありながら、社会という装置がいかに個人の思想や記憶を形成していくかを映し出す装置でもある。
この映画が興味深いのは、イスラエルやパレスチナといった宗教的・政治的な対立の只中を、外部者であるフランスの視点から描いている点にある。20世紀初頭、イギリスの三枚舌外交によって中東に複雑な亀裂が生じたとき、フランスもまたその一角に関わっていた。ゆえに本作には、フランスが「かつての加害者でありながら、第三者として見つめ直す」という歴史的な自省の意図も読み取れる。レヴィ監督は政治的メッセージを声高に語ることなく、静かな観察者として人間の内面を通じてその問題を照らしている。
日本に暮らす私にとって、この地域の現実はメディアを通してしか知り得ない遠い出来事のようにも感じられる。しかし、血と記憶、家族と信仰をめぐるこの物語は、国境を越えて普遍的な響きを持っている。人はどこで生まれ育つかによって思想が形づくられるが、その形成されたアイデンティティもまた、他者との出会いによって変化しうる――この映画の終盤は、その“変化の芽生え”を静かに提示して幕を閉じる。
同じく「取り違え」を主題とした是枝裕和の『そして父になる』(2013)は、血縁よりも時間の共有によって“家族”が生成される過程を描いていた。対して『もうひとりの息子』は、国家と宗教というより大きな枠組みの中で、対立から和解へと向かう人間の精神の可能性を描く。両者に共通するのは、“偶然”を通してアイデンティティの再構築を試みる視点であり、時代や文化の違いを越えて響き合うテーマである。
現地ロケによる光と音のリアリティも特筆すべきだ。風景や街の音、祈りの声といった要素が、登場人物たちの内面を象徴するように配置されている。レヴィ監督は、国家や宗教という大文字のテーマを、日常の小さな息づかいの中に落とし込み、人が「他者とともに生きる」という希望のかたちをそっと提示している。異なる土地で生まれた者どうしが、互いの中に“もうひとりの自分”を見出す――その瞬間こそが、この映画の真のクライマックスである。

KAPARAPA