もうひとりの息子のレビュー・感想・評価
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家族と周囲の温度差にも注目
子どもの取り違え映画といえば結構何本かあるのだけれど、この作品が他と比べて特別なところは、パレスチナ人とイスラエル人というところだろう。
今、再び交戦状態に入ったことからも分かるように、関係はよろしくない。解決の可能性を探すことすら困難なほどこの問題は大きい。
極端な話、本作に出てくる家族は互いに敵同士であったのが、ある日突然家族になったようなものなのだ。
当人たちのアイデンティティの問題、家族同士、息子と息子、父親と父親、母親と母親、息子と父親、息子と母親、兄弟と、そして周囲と。無限にも思えるほどの組み合わせそれぞれに温度差、ドラマがある。
その多くにおいて、明白にされるわけではなくとも穏やかな融和に着地するところがいい。
つまり、メチャクチャ面白くて、メチャクチャいい映画なのだ。
パレスチナ人とイスラエル人、二つのアイデンティティを有した二人の息子は、事実を受け入れ、いがみ合いではない未来の可能性を示す存在に思えた。
大きな分断 それでも人間は愛する
赤ちゃんの取り違え 事もあろうに一方はイスラエルのユダヤ人 他方はパレスチナのアラブ人 大きな分断の中でそれぞれは自分の決めた人生を生き抜こうとする
心に何となく残る作品
国籍、人種、環境、両親
家族に愛されてるという確信が持てた。
この話はイスラエルのハイファーの病院で二組の家族の息子が病院のミスで取り替えられしまたというよく映画の題材になるような話だ。でも、イスラエルに住む、ユダヤ人家族とウエストバンクのパレスチナ地区に住む家族の間に起きた問題なのだ。民族政治問題で分断されている二つの世界。ここで両親や家族たちの葛藤、交換された二人の息子のこころの動きに注目したい。特に、ジョセフにJoseph Silberg (Jules Sitruk)。
シルバーグ家の息子ジョセフは高校を終えイスラエル軍隊で兵役をするはずだが、最終的にユダヤ人でなくパレスチナ人だとわかったから、軍隊兵役の仕事につけない。シナゴークでは祭司に、ユダヤ人ではないとも言われてしまう。
ユダヤ人であることが重要なイスラエル社会や彼には、いままでの自分、そして、これからの自分が誰だということが分からなくなり、パレスチナの家族に会いに、ウエストバンクの中に、検問を通って入っていく。検問はパレスチナ人がユダヤ領域に入るための検問所で、ユダヤ人がパレスチナ領域(この場合ウエストバンク)を訪問する人は少なく彼だけ。
そして、一人でパレスチナの人々に道を聞きながら家族, Al Bezaaz家を探す。彼の行動力に感服。そこで初めて、実兄だったはずの縦笛を吹いているBilal(マフンド チャラビーMahmud Shalaby MWRのヒップホップスター
https://www.youtube.com/watch?v=AcCj_dZ7K4U
https://www.youtube.com/watch?v=FY82h9LzBrk)に会う。
ジョセフはオープンマインドで自分のアイデンティーを探しながらも、 Al Bezaaz家のお母さんに(実の母)に微笑みかけたり、家族と一緒にアラブ語の歌を歌ったりして、緊張感の高まっているその家庭をなごませようとしている。ジョセフ(音楽家志望)は Al Bezaaz家との共通点を見出す。
でも、Bilalはジョセフの中からパレスチナ人を見出すため言葉の挑戦する。
ジョセフはくすぶっているものに蓋をするタイプの高校生ではなく、問題解決法を知っているし、その方向に自分で向かって着々と進んでいく。自分が誰だか知りたい。また繊細の心の持ち主で家族の一言にも過敏なくらい反応する。それに、 Al Bezaaz家のYacine,(もう一人の交換された相手の (Mehdi Dehbi)発言にも言葉に出さないが目で反応する。例えば、もう一人の交換された息子ヤシーンYacineが、『ウエストバンクのRamallahに住む親戚は通行証明書がないから、パレスチナから出ることができない。海が何かもしれないし見られない。』というシーンがあるが、ジョセフは自分ヤシーンだったら人生はこうになっていたんだと感じているのが私に手に取るようにわかる。
ジョセフは自分のアイデンティティーというものはなにか方を探すがその方向性を変えることができる。だから、自分がユダヤ人でなければ家族に愛されないという葛藤を拭うことができる。父親がイスラエル軍隊の上位にいる人で性格、規律など、音楽家になりたいと思っているジョセフとの折り合いがうまくいってないから、余計、ジョセフは家族に愛されているかの確信を持ちたかった。
ジョセフは新しい兄弟、特にヤシーンができたことにより、自分の生きる方向が決まって自信をもてるようになってくる。自分を見つめ直すチャンスは普段なかなかないが、こう言った機会がやってくると、自分て誰なのか?なんなのか?を見直せる。
この映画では大好きなシーンがたくさんあったが、一つ書いてみる。BilalMahmud Shalaby 、が、敵対視するユダヤ人だとわかった弟ヤシーンをうけいれるシーンだが。反ユダヤのかれは自分の弟がユダヤ人だったことが許せない。というより、Bilalの自分との葛藤に思えた。
母親が『小さい時を覚えてる?ケーキをあげても半分はヤシーンにとっておいてあげると言ってとっておいて、干からびでカビが生えちゃったじゃない。でも、いつも半分は自分(Bilal)、半分はヤシーンと言って。ヤシーンはあなたの弟。Open your heart!』と。この言葉を聞いているBilalは目を見開いてずうっと一点を見つめていた。彼にとって、この言葉で、敵対視していたヤシーンに対するわだかまりが少しづつ消えていく。私はこの母親の言葉を読み返すだけで泣けてしまう。
そして、ジョセフが軍で働く父親に抱擁され『お前は私の息子だ』と言われたことはジョセフに安心感と自信を与えた。
最後のシーンでBilalがジョセフの父親シルバーグさんに手をだし握手を求めた時、Bilalの心は救われてわだかまりが取れ軽くなったと思った。勇気のある行動だと思った。
この映画のことを考えるたびに泣けてくる。
なんかよかった
私はあなた
まだ、私は親になったことがないからわからないけど 自分が大事に育て...
個人レベルの受容がもたらす希望
“赤ん坊の取り違え”がテーマ、ドラマの発端になっているTVドラマも映画も小説も漫画もいままでにたくさんあっただろうが、ここでは、その“取り違え”がイスラエルに住むユダヤ人家族と自治区に住むパレスチナ人家族の間で起きたことで、ただ単に家族同志の問題ではなく、国と国の対立関係(それも軍事的に一触即発状態)も絡んで来る。
しかし、それは二つの家族が“取り違え”が起きるくらいに近いところに暮らしているということでもある。
イスラエルとパレスチナの戦争は正に“隣人たちの戦争”なのである。
“取り違え”の事実は、ユダヤ人家族の息子として育てられた が兵役につく際の健康診断で発覚する。
この息子たちの18歳という年齢が非常に重要だと思う。
18歳といえば、自我が確立しつつある年齢。特に二人はユダヤ人、パレスチナ人としての自分を意識する年頃でもある。
今まで家族だと思ってきた両親や兄弟姉妹が赤の他人だというだけでも混乱するには充分だが、彼等は民族的なアイデンティティも崩壊するのだ。
結局、同じ境遇に陥った当人の息子たちがまず親しくなり(気持ちがわかるのはお互いだけ)、二人の息子が二つの家族の距離も縮めることになる。
国と国は対立していても、個人と個人が分かり合えないことはない。
個人、家族、小さな単位の理解が国と国の対立を解消する礎になるのではという希望を、二つの家族が教えてくれる。
『そして父になる』に似た話だが…
WOWOW放送分を録画視聴。
本作は邦画の『そして父になる』と良くにた話である。
出産時に取り違えられてしまった子供と、その家族の苦悩や葛藤を描いている。
ただ本作の場合は異国間、しかもイスラエルとパレスチナという敵対する国の間でのことであるということと、子供が18才になっていることがより複雑にしている。
18年生きてきた自分の存在が間違いだと言われても、そう簡単に言葉や宗教など変えられるものではないだろう。
『そして父になる』は何らかの答えを用意していない開かれたラストになっていたと思うが、本作では若干ではあるが取り違えられてしまった子供の答えみたいなものは垣間見える。
あってはならないことが起きてしまう。
そう言う人生もあるのかと映画を通して改めて考えてしまいました。
やっぱ家族愛でしょ
子供の取り違えは日本の「そして父になる」と同じ。ただし、ユダヤとパレスチナという世界で一番難しい、宗教・人種の問題が絡んでおり、親や本人、家族にとっての苦悩は日本の比ではないだろう。それでも最終的には家族愛が憎しみなどすべてを乗り越えていくという救いのある結末。家族愛の前では、国や宗教といった型・枠こそが世界の平和を最終的に阻んでいる存在であるとも感じられた。なお、子供の年齢の違いもあるが、「そして父になる」が親目線であるのに対し、子供目線で描かれている。私はこちらの方が共感できたが、同じようなテーマを違った視点から描いている両作品を見比べてみるのも大変面白いと思った。
地域問題解決のヒント
家族愛に勝るものなし
現地行って再度鑑賞
2年ほど前に映画祭で観た時は、ほー、世の中大変なこと色々あるんだなあと他人事だった。
つい最近、彼の地イスラエルを訪れたのをきっかけに、パレスチナについて勉強してみたところ、ここ数十年の話ではなく、果てしなく大昔から続く問題であることを知り驚愕。
民族主義なぞどうでもいい意地はなげうって、同じ人間同士仲良くすればいいじゃん…とは単一民族国家の人間のお気楽な意見であるとは思いつつも、やっぱり人間の関わりは所詮個人対個人なのだから、余計な色眼鏡は捨てて仲良くすればいいじゃん…と願わずにはいられない。
実に可哀想な境遇ではあるこの二家族だけど、この取り違いがお互いの思い込みを取っ払って、民族を越えた理解を生んだ。人生って面白いなあ。
「自分」とは…
もうひとりという意識。
第25回東京国際映画祭でグランプリと最優秀監督賞に輝いた作品。
タイトルと内容からいって、あれ、また取り違えの話?と思うが、
今作は赤ちゃん取り違え事件+民族間対立問題を扱っているので
もっと根深い。ところが観終えた印象が、実に軽やか~。
その要因は何だろう?と思った。是枝監督の邦画も優しい終わり方
を見せていたが、あれともまた違う。私はその後、モデルとなった
ドキュメンタリードラマの方も見たが、あっちはかなり辛い話だった。
邦画は取り違え事件の一本に絞られているが、
こちらは民族対立の続くイスラエル・パレスチナ問題が絡んでいる。
自分達の息子であるのと同時に敵であると(土地を奪われた)考える
辛い選択肢が壁となって双方の一家を苦しめ続けるのだ。
特にパレスチナ側の父親と兄の葛藤たるや日本人には理解できない。
ここまで根深く横たわった問題に、何でまた取り違えなんて起きたの?
と勘繰りたくもなるが、この作品では、あらゆる偶然をサラリと説明
するに留めて、中盤ですでに息子同士が交流を交わすまで持っていく。
民族間、家族間の対立する苦悩や憎しみを描きながらも、
一番大切なのは当の本人達の気持ちだろう?と打って出るのである。
なにが悪い?と思わせるのは、家族の温もりと息子を愛する気持ちが
全面に顕れているからだろう。母親同士が目で訴える「もうひとりの
息子に逢えたのだ。」という想いが何者にも勝っている。手を伸ばして
容易に触れることができない頬も、抱きしめたいその身体も、お互い
「実の親子である」ことを証明して止まない。同時に現家族を重んじる
気持ちと自身のアイデンティティーに隔たりを感じながら、その苦間
を軽やかに走り抜けようと奔走する息子たちの行動描写が素晴らしい。
親がそうなら、息子もこれだけの意識を持てるのかと唸ってしまった。
こういった描き方や価値観を持つことが、日本人にはできるだろうか。
事実は事実として、受け止めざるを得ない。
正直に問題を受け止め容認するお互いの理解は、息子がすでに成長
していることもあるだろうが、戸籍や出生に拘る生き方を潔く越える。
どこに目を向けるべきかを正面から訴えてくるのだ。
他方面から観ることで意識もきっとまた変わる。
製作したのがフランス人、受賞が東京国際映画祭という国境なき映画
が齎す世界平和を是非とも多くの人々へ。
(このタイトルが本当に素敵。壁を越えるためには意識を変えていこう)
人生の根本を覆されても、それぞれの人生は続く
とてもよかったです。
フランス系ユダヤ人のヨセフと、医師?の母のオリット。父はイスラエルの大佐で、順風満帆すぎる、とても素敵な家族。お堅い仕事の両親を持ちながらも、将来の夢はミュージシャン、でも、パレスチナとの抗争に対して兵役にいかないのはおとこじゃない…的なところがあるのでしょうか?兵役の適性を得るための試験?を受けつつ、ミュージシャンを志して日々楽しく暮らすヨセフ。
そんな中、母の元に、両親の血液型から考えるとヨセフが絶対に生まれ得ない血液型だとわかる。
ここまでは、ありそうな話ですが、話の舞台は何せイスラエルとパレスチナ自治区。頭では理解してはいましたが、もっと大きく深い溝がそこにはあり…
特に印象的だったのは、オリットが相手の家族を招き、おたがい取り違えた子供たちとの初対面。お互いの男親は現状の紛争のために喧嘩になり…。
そんなことは序章に過ぎず、お互い憎み合っている民族同士、なのに、お互い敵が急に身内になることで、お互いの家族のアイデンティティが崩れて行く。
すごく、日本人的な考えかもしれませんが、本当はイスラエルの大佐という立場や、ユダヤに国を奪われたとおもっているパレスチナの人々の思い、それぞれ家族の人達にもいろんな思いはあると思うのですが、本当は本人同士が一番傷ついていて、それに気付けないほどの衝撃的な出来事だったのか、それぞれの家族が、ふたりの青年を受け入れられなくなっていきます。
こんな時に本当に男ってだめですね。両母親は育てた息子を愛しつつ、産んだこどもに思いを馳せる…両父親は体裁を考えて息子と距離が出てしまう…。ヤシンの兄は敵国の血が流れているということを意識し、ヤシンに敵対心向きだし…
自分のアイデンティティを失いかねない事実を突きつけられた上に、周りの反応の強さに二人は翻弄されていくわけですが、最後は…
水は血よりも濃いといいますが、それも事実。でも、水だって長く共にすれば血よりも濃くなる。そして、それはお互いの事情を越える…そんなことを感じつつ、さいごにヨセフが一人佇むシーンと、「自分の人生を歩んでいたはずの君…」のくだりは本当によかったです。
家族の大切さ、人としての強さと悲しさ…そんなことを感じる悲しくも、立ち上がれる映画でした。
ありふれた家族 ありえない真実
大きな希望を持って救われる
シネスイッチ銀座にて鑑賞。ほぼ満員だったのには驚いた。
かねてより鑑賞したいと思っていた映画の一つ。
「そして父になる」と同じく、子供の取り違えが原因で起こる物語。
赤ん坊の取り違えが元となるストーリーなので、どうしても比べられてしまうとは思うが、二つは全く違う部分を主眼にした映画なので、比べらる事はできない。
勿論、どちらも甲乙つけがたい程の素晴らしい作品なのは、間違いない。
赤ん坊の取り違えという事件を発端に、
「そして父になる」は、父親になる、家族になってゆくという過程、を描いている。
対して、
「もう一人の息子」は、アイデンティティーの崩壊から再構築という部分を主眼に描かれている映画だ。
勿論、イスラエルとパレスチナでの現状、生活、考え方のようなものも、さりげなく、でも生々しく描かれている。
18歳を目前にしたある日、自分が憎き敵方の人間だと知る事となったら・・・。そして、自分とは何かを、強制的に見つめ直し、再構築する事になったならば・・・。
このような体験は幸か不幸か私にはないが、映画を通して疑似体験できるだけでも価値があったと考える。
ただ、どことなくイスラエル側で育った少年は、パレスチナ側で育った少年よりも、幼さが目立つ。モラトリアムが長いためなのだろうが、こういう対比も素晴らしいなと。
そして、最後には、希望を残して終わらせるという後味の良さも、この物語の背景にある現実を考えると、映画として意味が出てくる終わり方だと思う。
一つ、残念なのは、自分には特定の信仰する宗教はないので、その部分での喪失感については、全く理解ができなかった。
他方で、誤解を恐れずに書くと、
この映画の鑑賞後に、「そして父になる」は、日本社会における、大人の未成熟さ、のようなものをとても上手く表現していたのだと感じた。別に、パレスチナやイスラエルの大人が成熟しているという事ではない。
最後に、この映画は、最低限のリテラシーががなければ、全く意味が分からないので、そこの部分を抑えておく必要はあるかと思う。
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