ハンナ・アーレント : 映画評論・批評
2013年10月15日更新
2013年10月26日より岩波ホールほかにてロードショー
欧米におけるユダヤ人問題の底知れない根深さを提示
ドイツ系の亡命ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」という言葉は、1960年代初頭、ナチスの戦犯アイヒマンの裁判を傍聴した彼女が「ザ・ニューヨーカー」誌に発表した長篇レポートで一躍知られることになった。彼女はアイヒマンとは冷酷非情な怪物ではなく、上官の命令を黙々と遂行する凡庸な官吏のごとき存在にすぎないと喝破した。そして、その思考する能力の欠如こそが未曽有のホロコーストを引き起こしたとする論旨は、この映画の中で引用される実際の裁判映像のアイヒマンの世俗的で虚ろな表情を見るとリアルに納得させられるのだ。
アーレントは、一部ユダヤ人指導層がナチスに協力したと指摘したために中傷と脅迫の手紙が大量に送られ、大学当局からも追放の憂き目にあう。映画はたんに不屈の精神を貫くヒロインを偉人伝ふうに祭り上げることをせずに、最愛の夫に付き従う愛人や、「グループ」の女流作家メアリー・マッカーシーとの熱い友情、ニューヨーク知識人社会の辛辣なスケッチを織り込みながら、欧米におけるユダヤ人問題の底知れない根深さを提示する。
わずかに点描されるだけだが、この映画に通奏低音として流れるのはハンナ・アーレントと師マルティン・ハイデガーの恋愛である。ナチスに入党し、戦後、ドイツの大学を追われたハイデガーを復権させるために、アーレントが密かに献身したことは明らかになっている。この正反対の立場にある2人の関係をもう少し描き込めば、思想家としてのハンナ・アーレントの複雑な魅力がより一層浮き彫りにされたと思われる。
(高崎俊夫)